立派な人物であるほど、自分が誤っていることが分かれば、きっぱりと言動を変えます。過去のことにとらわれたり、アドバイスしてくれた人のことをうらんだりすることなく、スッキリした形で、変身することができるのです。
まあ、タイトルで終わりでもいいんですが、もう少しだけ。
このブログも、この記事で確か120記事目ということで(この程度ではてんでまだまだですが)、これだけ書いてくると、以前書いたこととこれから書こうとしていることの整合性が段々取れなくなってくる、そういうことがまま出てくるんじゃないかなと思っています。
人間生きてれば考え方なんて日々変わっていくもので、新しい知識や発見なんて毎日山のように出てくる現代、昔の意見に囚われて「あー、この時こう書いちゃったからなあ、矛盾しちゃうからこういう意見は書けねえなあ」なんて自主規制にどれだけの意味があるのかな、と思うわけなのです。
君子、豹変す。
全く矛盾を起こさずに人生を渡りきる奴なんて、この世にいません。絶対に。これだけは断言できる。誰もが何らかの矛盾を抱えて日々を過ごしているはず。
だから過去の自分の言動に囚われて、考え方を変えるのを躊躇うなんて、ぼくは違うと思う。
まあ、ブログの場合、「あの時こう書いたけど、こういう理由でこういう考え方に変わりました」って説明できればベストなのかもしれません。
年を取れば取るほど自分の過去の間違いや考え方の見直しは難しくなっていきますが、ぼくの周りでも「この人はスゴい」と思える人は大抵考え方も柔軟です。
どんなに新しいことを知っても変わらず、変われず、凝り固まって化石になれば、後は朽ち果てるのを待つばかり。それは非常に勿体ない。
過去の自分に縛られず、変わり続けていければいいな、とぼくは思っています。変われないのか、変わらないのか。しっかり見極めたい。