少し前からだろうか、「ミニマリスト」という言葉を見かけるようになった。シンプルライフ、断捨離、に続く《最低限の物の量で暮らす人》のことらしい。
多くのものを持たない暮らしを表す言葉は前からあるので、実はあまり驚かなかった。
普段はあまり部屋を掃除しない人が思い立ったように片付け始めるだけだったら、ただの個人で話が終わるだけだが、それがなぜか周期的に話題になって、ひとつのブームになることはよくあることだ。
(もちろん日常的にものの少ない生活をしている人たちにとっては、一過性のものではなく生き方の1つなのだろうと思う)
どっちかというと、私は物欲に弱い。欲しいものが出来たら、はてブに[物欲]タグをつけて記録する。実際に買うかどうかは別だけど(笑)
ブログの「〇〇出し」も好きだ。人の持ち物を見るのも、自分のものを見せるのも、楽しい。
でも、少ないものの量で暮らすことに越した事はない、と私はどこかで思ってる。ごちゃごちゃした部屋より、すっきりした部屋の方がいいに決まっている。
ついでに言えば、物の量だけでなく、思考回路もシンプルになるといいのに。余計なことなど考えずに、心に波風立てず、自分にとって大事なことだけ考えていられたら。
ミニマリストについては、大量消費へのアンチテーゼだとか、バブル世代とは違うとか、汚部屋への対抗だとか様々な語られ方がある。そして、そのあり方についても人それぞれなようだ。
しかし興味深いことに、ミニマリストの方の中には、手放すものについてブログに書く人がいる。
ブログやSNSでは、どちらかというと買ったもの、自分が手に入れたことやもの……その他欲望を喚起する事柄について書く人の方が目立っていたように思う、これまでは。
だからわざわざ捨てるものを人に見せるというのには、ちょっとした違和感があった。
購入した新商品をブログに書く「開封の儀」と見せてるものが逆なだけで 、他人に見せるという意味では、精神的にすごく近いことのように思えたりもした。
だが、日記だってブログだって、何度も読み返して覚えておくために書く人もいれば、綺麗さっぱり忘れるために書く人もいる。私の場合は前者で始めたつもりが、今はほぼ後者だ。
シンプルライフには、心置きなく忘れるために=捨てるために、記録するというのもひとつの方法かもしれない。
モノへの欲望を喚起することではなく、収束させる営みに対して、人々が祝祭への参画のような楽しみを感じられる日が来るのか。それはこれからの気になるところである。
一人暮らしか、実家住みか、自分の家庭を持っているか、そして他者との関わり方によって、そのあり方も一人の人生の中で変わっていきそうなものだけど。