抑止力 (夜雀)
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第3話

「妻の初産を待つ夫か、あんたは……」
 インデックスが手術室の中に消えてからというもの、無意味に廊下を行ったり来たりする上条の様子に氷室はあきれたように声をかける。
「ちょっとは落ち着いたら? あの傷なら手術を受ければ問題ないはずよ」
「いや、わかってはいるんだけどな……」
 それでもじっとはしていられないと、立ち止まりはすれどソワソワと手術室のドアへとしきりに視線を向ける上条。
「はぁ……」
 気持ちは分からなくもないが、いくらなんでも心配のし過ぎだ。
「こんなところで心配したってすでに債は投げられた後よ。上条君が執刀するわけでもないのだから、私たちに出来ることなど何一つないの」
 そう割り切ったことが言えるは単に氷室がドライなだけか、それとも他人事だと思っているからなのか。もしくは——
「大丈夫。さっきの医者はこの学園都市で最高の医師よ。彼に救えない患者は誰にも救えない。だから安心して黙って座ってなさい」
「最高の、医師……?」
 上条はインデックスとともに手術室に消えていった医者の顔を思い出す。
 失礼ながら、なんていうか潰れたカエルみたいな顔をしている初老の男性で、とてもじゃないが彼が最高の医師だなんて上条には思えない。
 ましてやここは学園都市。最先端科学の結集するこの街において最高とは、即ち世界一の名医ということになる。
「……あれが?」
「ええ」
「いやいやいや。どう見ても上条さんの見立てでは田舎の小さな診療所で御老人相手に世間話ついでの診察を行っている方がよく似合っているといった感じなんですが?」
「だとすればずいぶんとハイカラな田舎よね、ここ」
「ハイカラって……いつの時代の言葉だよ、それ」
「明治の後期から戦後にかけてね。でも今でもキチンと辞書に載っている歴とした現代語よ」
「いや、それはわかってるけど……、てか、マジでそうなのか?」
「ええ。疑う気持ちもわからなくないけど紛れもなくそうよ」
 自信満々に頷く氷室からの様子に嘘をついている気配はない。
 が、だからと言ってすでに「田舎の小さな診療所で御老人相手に世間話ついでの診察を行っている町医者」という認識が出来上がってしまっている上条には、どうにも信じがたい。
「……上条君。冷凍催眠(コールドスリープ)って知ってる?」
「それってあれだろ? 人間を氷漬けにして、後で解凍して蘇えらせるって言うヤツ。たしか有人での惑星間移動時に無駄に歳を取らないようにするための技術、だっけか?」
「ええ、不治の病とか死者蘇生の望みを繋ぐとかの理由で医療現場でも用いられることもあるらしいけどね」
「けどアレってたしか、冷凍する時に問題があって現実には不可能とか言われてなかったか?」
「そうよ。人体の6割から7割は水分で構築されているけど、『水』は他の物質と違って液体よりも固体の方が体積が大きくなる特殊な物質だから、冷凍時に細胞内の水が体積膨張を起こして細胞膜を壊してしまうの。だから解凍してもほとんどの細胞が死滅しているから、蘇生は不可能とされているわね」
「だよなぁ……。で、それがどうしたんだよ」
 少なくとも今のインデックスにそんな処置を施す必要などない。というか、蘇生が不可能ならそれはただの『人殺し』だ。他にどうしようもなく、助かるかもしれないもしもの未来に一縷の望みを託すより他にない状況ならばともかく、それがいつになるのか、そもそも本当にそんな日が訪れるのかもわからないのに実行するヤツの気がしれない。
「あの医師はね、その不可能を可能にしたの。それもほとんど後遺症らしい後遺症を残すことなく、ね」
「なっ——、マジかよっ! どうやって!」

「奇跡的に体積膨張が起きてなかったからね。なら後は解凍するだけだったから大した問題(こと)ではなかったよ」

 そう答えたのは氷室ではなく、手術室の中から姿を現したカエル顔の医師。
「先生!? インデックスは! 手術はどうなったんですか!?」
 彼の顔を見るや否や飛びつくように上条が詰め寄る。
「安心していい。手術は成功。ただ失血が酷いからね。二、三日は絶対安静だよ」
「よかったぁー」
「言ったでしょ、大丈夫だって」
 はぁ、と安堵の息を漏らし胸を撫で下ろす上条の姿に、笑みを噛み殺しながら氷室はその肩をそっと叩く。
「……にしても、よく言うわね。『解凍するだけだったから大した問題ではない』なんて言えるの、あなたぐらいでしょうに」
「そうかい? 確かに解凍時にも問題はあるけど、その問題さえ分かっているのなら“それに適した解決策”を用意して対応すればいいだけの話だ」
「その解決策がぶっ飛んでるっていうのよ……」

 人の体は種類の異なる無数の細胞で構築されているため、熱の伝わり方が場所によってそれぞれ異なる。そのため均一に熱を加えただけでは解凍する速度にムラができ、例え正常に解凍できたとしても人体の機能に多くの問題を抱えた状態となってしまう可能性が高いのだ。
 それをこの医師は、熱の伝導率毎に分けて解凍するという方法を取った。
 要するに氷漬けの人体をバラして、解かして、再度繋ぎ合わせたのだ。
 しかも後遺症を残さないために各部の解凍速度を調節し、手術の進行と併せるという荒業までやってのけている。
 もしこの話を普通の医者が聞けば、まず信じないか、信じたとしても目を丸くして言葉を失うか、泡を食って倒れるかの何れかだろう。一般人ならまず正気を疑う凶行だ。
 だが、どんな凶行であろうともそれで患者の命を救えるのであれば彼は何を犠牲にしてでもそれを実行する。
 法も、常識も、倫理も、道徳も、慣例も、その全てを無視し、一切の手段を問わず、ただ一つの目的と信念のために行動する。

 患者を見捨てない。

 医者としてごく当たり前の、しかし現実的には非常に難しい、ただそれだけのためだけに行動し、実行し、達成する。
 それが彼にとっての“当たり前”であり、それが出来なければ彼は自分に『医者』を名乗る資格はないとさえ考えている。
 どこまで行っても彼は医者であり、どんな時でも医者であり、どうなろうとも医者であり続ける。
 そうしてこれまで多くの患者の命を救いだし、奇跡を起こしてきた。
 それによりついた二つ名が『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』。奇跡の医師。
 もっともその名の通りに死者を甦らせるなんてことはさすがの彼でも不可能だ。
 先の冷凍催眠の例は、ただ氷漬けになって眠っているだけだったから可能だっただけで、もし冷凍された際に細胞膜が壊れていたのなら、さすがの彼も手の施しようがなかった筈だ。
 しかし“死んでさえいなければ”彼は必ず患者を救い上げる。どんな手段を用いてでも。
 それが彼という人間の存在意義だから。

「それはそうと、一つ聞いてもいいかい?」
「あ、はい。なんですか?」
 喜びを噛みしめていた上条に『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』が自身の喉元を指さしながら問いかける。
「あの子のここ、喉の奥の方に、なんだかよくわからないマークが刻まれていたんだけどね。君、何か知っているかい?」
「マーク?」
「そう。ちょうど星占いとかで使われているような、そんな形の印だよ。直接じゃなく、何らかの能力みたいなもので付けられているみたいなんだけどね。よくわからなかったし、とりあえずは問題なさそうだったから放置しているんだけど……その様子だと何も知らなそうだね」
「はい……」
「わかった。一応こっちでも検査はしてみるよ。けど彼女、シスターみたいだから、何か宗教的な意味があって付けているのかもしれないけどね?」
「………………」
「じゃ、僕はまだやることがあるから、これで失礼するよ」
 そう言って『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』は踵を返そうとし、突如忘れ物でもしたかのように足を止めると「あ、そうそう」と言いながら氷室へと向き直る。
「君もあまり無茶はしないようにね?」
「……わかってるわ」
「ならいいんだけどね?」
 それだけ告げると今度こそ『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』は手術室の中へと戻っていった。
「……知らないけど、心当たりはある、って感じね」
 『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』の姿が見えなくなると同時に物思いにふけっていた上条に、氷室が声をかける。
「あ、いや……」
「ウソ。おおよそあの子を襲った犯人に関連する事でしょ? で、巻き込みたくないから話さない、ってとこかしら?」
「……すげぇな。なんでこれだけの情報でそこまでわかんだよ」
(そりゃ、原作(みらい)を知ってますから)
 感心する上条の問いに氷室は心の中で答えを返す。
 無論、口に出すことはしない。出したところで信じてもらえないだろうし、何より氷室の持つ原作知識は完璧ではない。

 元々原作が未完だったというのもあるが、色々と記憶から抜け落ちている知識(ストーリー)が結構ある。
 例えば今日が上条とインデックスの出会いの日であり、原作の開始日だったなどすっかり忘れていた。
 夏休み初日という分かりやすい日であるにもかかわらず、氷室は覚えていなかった。
 よって自信を持って言えるのはせいぜい主要人物のプロフィールとあらすじ(アウトライン)、それとおおよその時系列程度だ。
 それ以外はこれらから読み取れる事象を氷室が独自に推測し、補間しているに過ぎない。
 しかしそれでは不確定要素が多すぎるため確証に欠け、他人に伝えるなんてことできる筈もない。
 それにすでに原作への介入を果たしてしまっている現状、それらの知識は参考程度にしか役に立たないだろう。

 なんせ『氷室皐月』なる人物がすでに原作には登場しない『不確定要素(イレギュラー)』なのだから。

(問題は、できるだけ原作の流れを崩さずに、どこまで都合のいい結末(ハッピーエンド)を紡ぎだせるかね)
 元々氷室は原作に介入する気などなかった。
 それは最初から無理だと理解はしていたが、少なくとも今回の一件に関しては自分の出る幕ではないと判断していた。
 しかしあの場であれ以外の行動をとる方が逆に不自然だ。自分にはその状況を解決できる術と人脈を持ち、それでいて何もしないなんてことできる筈がない。
 それに個人的な心情で、インデックスを見捨てることができなかったというのもある。
 無論、見捨てたとしてもそれならそれで原作通りに進んだかもしれない。
 だが、そうならなかったかもしれない。
 あの僅かな邂逅が、後の展開にバタフライ効果を及ぼさないとは限らないのだから。
 なら関わったことを悔やむより、物語が破綻させてしまった責任を果たすべきだ。
 介入を続け、流れを修正し、見届ける義務が氷室にはある。でなければ最悪の結末(バットエンド)を迎える可能性もありうるから。

 だからと言って原作通りに進めるつもりはない。それはすでに破綻しているし、あの物語も万事解決(ハッピーエンド)とは呼べる代物ではない。
 しかし原作から離れすぎても今後の展開が読めずアドバンテージを失うことになる。
 それになんだかんだ言っても原作の終わり方が最善であることも多い。
 だがそこへ至る経緯が欠落している以上、慎重に事を進める必要がある。
 原作と現在の情報のすり合わせをし、どこでどれだけの情報を開示し、どれほどの介入をして、どれだけの修正と破綻を行えばいいのか。

 それは単に原作(台本)をなぞるよりも難易度の高い『即興劇』だ。

 始まりと終わり方だけが決まっていて、後は演じる役者たちに全てが委ねられている。
 しかし彼らは自分達が『即興劇』を演じているという自覚がない。だからそれぞれがそれぞれの思惑に従い、思うがままの行動をとり続ける。
 そんな状況で氷室が果たすべき役割は役者兼演出家だ。
 自覚なき役者たちの意図をくみ取り、先読みし、物語(ストーリー)が破綻しないよう調整し、テコ入れ(介入)をし、最良の結末(ハッピーエンド)へとこじつける。
 それも決して自らがご都合主義の神様(デウス・エクス・マキナ)にはならずに、その場にいる者たちが自然とそちらへと向かってような、そんな演出を誰にも悟られず、極自然にこなしていかなければならない。
(どんな苦行よ、それ……)
 目の前にそびえ立つ壁の高さを思うとくらくらと眩暈を覚えるが、偶然とはいえすでに後戻りのきかない場所に立ってしまっている以上、やるしかない。
 すでに債は投げられている。匙まで投げるわけにはいかない。
(とりあえずはこの先の展開へと介入する糸口、これを本格的に繋ぎ合わせるのが先決ね)
 上条当麻は無関係な人間が関わるのをよくは思わない。できる限り遠ざけようとするだろうし、それが女の子であるならばなおさらだ。
 朴念仁で無鉄砲で、後先考えない唐変木ではあるが、同時に生粋のフェミニシストでもある。後、無類のお人よし。
 しかし頑固というわけでもない。理屈があれば理解はするし、流されやすく、人の話を鵜呑みにしやすいという欠点もある。
(となれば——)
 数瞬の思考でとりあえずの道筋(ストーリー)を立てた氷室は上条を真正面に捉え見つめる。
「……話して。何が起きているのか、あの子が誰に狙われているのか」
「いや、それはダメだ」
 案の定、即座に首を振る上条。
「インデックスを助けてもらったのには感謝してる。でも、だからこそ、これ以上氷室を巻き込むことは出来ない」
 どこまでも真摯に、率直に、当たり前の言葉で申し出を拒否する上条当麻。
 しかしそんなことは織り込み済みだ。
「勘違いしないで。別に進んで巻き込まれたいわけじゃないわ」
「だったら——」
「けど、嫌が応でもすでに巻き込まれている状態なの。言わなかった? ここは親が務めている病院だって」
「……そういや、そんなことも言ってたっけ」
「ちなみにさっきの医者がその親なんだけど……」

「…………………………………………………………はぁ?」

 長い長い沈黙の後、シリアスも何もかもをぶっ飛ばして、上条当麻は間抜けな顔を晒した。

「…………………………………あれが、親?」
「そうよ」
「…………………………………………冗談?」
「じゃないわよ」
「…………………………………マジで、親?」
「そう言ってるでしょ」
「…………………………………………奇跡だ」

 これぞまさに遺伝子の神秘。奇跡が起きたとしか思えない程、上条の目から見て二人は似てない。
 似ている方を探すのが困難なぐらい似ていない。
 逆間違い探し、それも世界最高難易度を誇る超難問と呼べるくらいに全く以て似ても似つかない。
「言っておくけど、血は一滴も繋がってないわよ」
「ってことは、連れ子か?」
「いいえ、『捨て子』よ」
「捨て————、っ!?」
「『置き去り(チャイルドエラー)』だから、私」
「——————、!?」
 今度こそハッキリと上条は絶句した。

 『置き去り(チャイルドエラー)』とは学園都市が抱える特有の社会現象のことだ。
 学園都市は入学した生徒の生活を最低限保証する制度が存在する。
 これは入学と同時に『開発』を受け『能力者』となることで、その存在そのものが学園都市の機密情報と化した生徒をむやみに外部に流出させないようにするための機密措置の一環として存在する制度だが、これにより学生たちは学園都市内での生活が保証されることとなる。
 しかしこれを悪用し、手を付けられない子や育児を放棄した親が、入学金だけを支払って我が子を学園都市に放り込んだのち行方を眩ますという行為が頻発するようになった。
 これに対し、学園都市側は入学時の審査を厳しくする等の措置を取ってはいるものの、大した効果はなく、かといって入学手続きそのものが正当に行われている以上、入学と同時に能力開発を行ってしまい、以後その子を外部へと放り出すこともできなくなってしまう。その上、何の保証もせずにいると治安の悪化を招くだけのため、保証はせざるを得ず、それに託ける無責任な親は後を絶たない。そのため有効な手段がとれぬまま年々その数は増え続けているという、厄介な連鎖が発生しているのだ。
 そうして親に捨てられた子供の事を学園都市では『置き去り(チャイルドエラー)』と呼んでいる。

「驚くことじゃないと思うけど? 学園都市(ここ)じゃたいして珍しくもないんだし」
「いや、それはそうだけど……」
 確かに珍しくはない。年々増加傾向にある『置き去り(チャイルドエラー)』が具体的にどれだけいるかなど上条にはわからない。だがけして少なくないことは知っている。
 それに学園都市は外部の人間が立ち入るのを嫌っているため、親兄弟であっても中に入るには面倒な手続きと検査を幾重にも行わなければならず、頻繁に訪ねてくることはないし、外との連絡だってある程度の規制が設けられている。
 そのため本人が『置き去り(そう)』だと言わない限り他の学生と何一つ変わらない生活を送っているため、区別をつけることはできない。
 だから偶然となりに居合わせた子が『置き去り(そう)』だったとしてもなんら不思議ではない。
 だがしかし、自分から『置き去り(そう)』だという者は珍しく、普通は隠すものだ。親に捨てられたなんてこと、他人に話したがるヤツはそうはいない。
 しかも目の前にいる人気者の少女が『置き去り(チャイルドエラー)』だなんて、上条じゃなくても信じられないに違いない。
「少し前に大怪我を負ったことがあってね。その時、執刀してくれたのが彼で、その誼で保護責任者を買って出てくれたのよ」
「だから、『親』か……」
「そう」
 氷室は一度だって『父』や『母』という言葉は使っていない。ただの『親』、それだけ。
 それは父でも母でもなく、どちらでもあり、どちらでもない、自らを庇護する存在としての意味であり、それ以上の意味を持たない言葉だ。
 だがそれでも『保護責任者』ではなく『親』という言葉を使うのは、その人物に敬意と感謝の気持ちを払っているから。
「だから、ここが戦いの場になるのなら、それは他人事じゃないの。……犯人、まだ捕まってないんでしょ?」
「ああ……」
 インデックスを襲ってきた——本人曰く、傷つけたのは別の人間で、自分はただ『回収』しに来ただけだと言っていたが——魔術師は上条の一撃で気を失い倒れたものの、それだけで諦めるとは到底思えない。
 かといって警備員(ジャッジメント)にそう易々と捕まるようなヤツでもおそらくはない。
 ならまたあの魔術師はインデックスを狙って襲撃を仕掛けてくる。対策を練ったうえで、必ず。
「けどさっきも聞いた通り、あの子は二、三日ここから動くことができない状態よ。でも襲撃犯がそれを悠長に待ってくれるとは限らない。なら、ここは戦場になるわ。そしてこの病院とその患者に危害が加えられるのなら、私はそれを黙って見過ごすことはできない」
 ここは病院だ。それなりの警備(セキュリティー)は配備されているものの、あくまでも“それなり”であり、一般的な犯罪を想定したものでしかない。
 そもそも病院が襲われるなんてことはそうそうありえず、ましてや魔導師なんてふざけた連中が襲ってくることなど言うまでもなく予想外の事態だから、大した効果は期待できないと思っていい。
 その上、ここにはインデックス以外にも多くに入院患者が在籍し、彼らの面倒を見るため常時医師や看護婦などが詰めている。
 そこが戦場になるということは、つまりそんな彼らにも危害が及ぶ危険性があるという事だ。
(くそっ、やっぱ病院は不味かったか……)
 かといって当初の予定通り、小萌先生に頼っても結局のところ同じだ。どの道、無関係な誰かを巻き込むことになるのは変わらない。
(だったら、どうすればよかったっていうんだよ!)

 インデックスを見捨てて逃げればよかったのか?
 そんなことはできない。できたのであれば上条当麻は魔術師なんてメルヘン野郎に挑みかかったりはしなかった。

 なら今すぐインデックスを連れて逃げればいいのか?
 しかし途中で容体が悪化した場合、またここに戻って来らざるを得なくなる。

 だけどこのままここに置いておいても、無関係な誰かを巻き込んでしまう。

「大丈夫よ。こと防御に関してなら私の能力は完璧だから」
「……どういうことだ?」
「こういうことよ」
 そういうと氷室は持っていた空き缶を上条に向けて放り投げた。
 上条は思わずとっさにそれを受け止めようと前に出る。
 ——が、予測していた場所に空き缶は“落ちてこず”、勢い余って前のめりに倒れ、
「あだっ——!?」
 空き缶に盛大に頭をぶつけてしまう。
「大丈夫?」
「大丈夫って——狙ってやがっただろ、絶対!」
「そんなつもりはなかったんだけどね……さすがカミやん。不幸には定評があるわね」
「いらねーよ、そんな定評!」
 しかし上条当麻が不幸に見舞われるのは、物を投げれば地面に落ちるぐらいに当然の事なのである。
(——物を投げれば地面に落ちるのが、当然?)
 それは何の不思議もない事なのだが、ふと疑問に思い、上条は視線を上へと向けてみる。
 そこにはさっき受け止め損なった空き缶の姿。当然そこは空中で、何もなく、“普通なら”空き缶は床へと落ちる筈だ。
 宙に浮かんだ空き缶を試しに左手で触れてみる——が、ピクリとも動かない。
(——これ、空中で『止まってる』んだ)
 掴んで引っ張ったり、逆に押したり、握りつぶそうとしてみるもビクともしない。空中で完全に固定されている。
 だが上条が『右手』で触れた瞬間、カランという甲高い音を立てあっけないほどに空き缶は床へと落下した。
 つまりそこには『異能の力』——氷室の『抑止力(カウンターストップ)』が働いていたという証だ。
「どう?」
「どうって……」
 氷室は空き缶をただ投げただけ。投げた時点で空き缶は『停止』していなかったのだから、上条に向けて飛んできた。
 しかし上条が取ろうとした段階で空き缶は空中に『停止』し、その結果目測を“誤らされた”上条が不幸な目にあった。
「……つまり、氷室の能力は手で直接触れたりしなくても物を止めることができるってことか?」
「ええ。対象の位置座標さえ分かれば可能よ。ま、あの子の時は傷が深かったから手を入れて正確な位置情報を掴む必要があったけど、基本的には目視の利く範囲なら可能ね。それに一度止めてしまえば能力を行使している限りどんなに力を籠めてもそれを動かすことはできなくなる。これを壁や床、扉なんかにかけたらどうなると思う?」
 その壁や床、扉は動かすことができなくなる。
 動かない、ということは外からどんなに力を加えてもどかすことができないという事だ。
「そ。それ以上に壊すことすら不可能になるわね。私の能力はあらゆるベクトルを対象とできるから、分子、原子単位での『停止』も可能よ。それらが動かないのなら、それらで構築された物体を壊せるはずがない」
「すげぇ……」
 硬度を上げるなんてレベルじゃない。破壊不能な物体を作り出すなんてこと、他のどんな能力にも不可能だ。
「ってことは、それを使えば病室をシェルターみたいにできるってことか」
「そ。たとえ核爆弾を落とされようとも、巨大隕石が降ってこようともビクともしないわね」
「いや、さすがにあいつらもそこまではしないと思うけど……」
「それに11次元ベクトルも止められるから空間移動(テレポート)による侵入も防げるわ。『難攻不落』ですら生温い、まさしく『絶対不屈』の要塞よ」
「……確かに、それなら守りきれるかもな」
「でも私の体力は無限には続かないから……」
「ただ閉じこもっているだけじゃ根本的な解決にはならない、ってことか」
「そういうこと。だから無駄な力を使わないためにも、向こうがどんな力を使ってくるのか知っておきたいの。それにあの子がどんな事件に巻き込まれているのかを知れば、戦闘を回避する手段を講じることもできるかもしれないし、できなくても何らかの対策は練れるはずよ」
 今、インデックスをこの病院から動かすことはできない。
 かといって上条一人で病院や入院患者たちも含めて全部を守りきるなんてことは不可能だ。
 上条当麻の力(イマジンブレイカー)は防衛戦には向かない。
 『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の効果範囲は右手、それも手首から先の部分だけだ。その部分に触れた異能は須らく打ち消すことができるが、それ以外の場所は何の効果も持たない、ごく普通の高校生の肉体があるだけだ。
 だから自分一人を守るのならばなんとかなるかも知れないが、その背に誰かを背負って守る盾とするにはあまりにも小さすぎると言わざるを得ない。
 一方で氷室の能力(カウンターストップ)は彼女の言うとおり防衛戦に特化している。
 破壊不可能、侵入不可能な『絶対不屈』の砦を築き、一切敵を近づけさせない。
 しかしその砦も永遠に機能し続けるわけではない。
 ならば——
「手を組みましょう、って言ってるの。私はこの病院とあの子を含めた患者たちを守るための盾となる。上条君はあの子を守るために盾に阻まれ動きを止めた彼らを排除する矛となる。互いの利害が一致した理想的な布陣だと思うけど?」
「ダメだ——、と言っても氷室は退かないんだろ?」
「当然」
 上条がインデックスを守りたいと思うように、氷室にも守りたいものが存在する。それを守るためなら、絶対に退くことはできない。退けば守りたいものを守れなくなるから。
 そして両者の願いが重なり合うのであれば、協力した方が成功率は高くなる。
 あらゆる異能を打ち消す『幻想殺し()』と、あらゆる攻撃を防ぐ『抑止力()』。この2つが揃えば、魔術師相手でも十分やりあえる。
「……わかった」
 どの道、魔術師(むこう)も一人ではないようだし、自分一人で全てを背負えるほど上条当麻は偉くも強くもない。
 協力者となってくれる者がいるのであれば、これほど心強いことはない。
「話すよ……と言っても、俺の知っていることなんてたかが知れてるし、正直俺自身も信じられないようなことばかりなんだが……」
「構わないわ。それならそれで、そこから推測していけばいいだけだから」
「そうだな。氷室は俺と違って頭はいいんだし」
 上条一人では見ることの出来ないところも見えてくるかもしれない。
「あら、頭だけじゃなくて顔もいいでしょ?」
「……普通自分で言うか、それ?」
「上条君がブス専だとは知らなったわ」
「なんでそうなるっ!」
「違うの?」
「違うっ!」
「残念」
「何がっ!? 違くなかったらどうなってたんだ俺!?」
「中学時代のゴリマッチョなクラスメート(女?)を紹介しようかと……」
「全力でお断りさせていただきますっ!?」

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