抑止力 (夜雀)
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第2話

案の定、帰れま10(すけすけ見る見る)の刑に処された氷室は、夏休みの補習だというのに完全下校時刻までしっかり拘束された。
 その後急いで『夏休み突入記念サマーバーゲンセール』という名の戦場に飛び込んだものの、目当ての品は粗方売り切れ(掃討され)た後。それでも一縷の望みを託し、方々(戦場)を駆けずり回ったものの、手に入ったのはほんの僅か。
「……、不幸だ」
 昼間公開処刑に処した少年の口癖をつい口遊む氷室のテンションはもはや地の底を割って淀んでいた。
 その上、この学園都市の交通機関は学生たちの健全なる育成のために最終便が下校時刻に合わせて運行されており、夕方を僅かに過ぎた程度のこの時間にも関わらず一切走っていないのである。
 必然的に帰宅は徒歩となり、夜の帳が落ちた学園都市の道を一人寂しく寮へと向かって歩くしかないのだ。

 夜は嫌いだ。
 夜の闇は嫌なことばかりを思い出させる。

 一人で居るのも嫌いだ。
 孤独は不安を増長し、自分はこの世界に一人取り残されたかのような錯覚を覚えてしまう。

 静かなのは嫌いではないが、好ましくはない。
 お祭り騒ぎが大好きというわけではないため進んで騒ぎに混じろうとは思わないが、それでも静かすぎるより気が楽だ。

 生まれ変わったことで文字通り世界は一変した。しかし嫌いなものばかりが増えた気がする。

 確かに前世の人生は碌なものではなかった。両親には早々に先立たれ、顔はブサイクで、普通に食事をしているだけなのにすぐに太る体質だった。
 学校ではイジメられ、社会に出ても同じくイジメられた。
 死因もそんなイジメの延長上で、通りすがりの女子OLにさりげなく引っかけられたことで運悪く階段下へと落下。そのまま帰らぬ人となった。
 まさか彼女も死ぬとは思わなかったに違いないが、かといって彼女が罪に問われるかと言えば微妙なところだ。
 故意か否かなど本人とその周囲の人間の認識によるものだし、その全てから疎まわれていた自覚がある以上、彼女の方に味方する人間は多そうだ。ただでさえその子は美人で人気が高かったし。
 それに転んだ先が階段だったのは本当に偶然であり、そうじゃなければ死ぬようなことにはなりえなかった。
 だから万が一捕まったとしても証拠不十分で釈放され、良くても執行猶予判決がせいぜいだろう。
 死んでなお、誰一人見返すことができないなど、おかし過ぎて涙が出そうだ。
 そんな状況だったから、必然的にオタな引き籠りとなり、仕事以外で外出することなどまずありえなかった。
 ネットとアニメと漫画が趣味で、ライトノベルを読みふける日々だ。
 昼よりも夜の方が好ましく、他人とコミュニケーションを取るなんて以ての外だった。
 それが今ではどうだ。
 ブサイクだった顔は誰もが羨むほどの整ったものとなり、引き締まったスタイルと大きな胸元は通りすがりの男子を振り返らせることも多く、一人街中に立っていれば自意識過剰な野郎に声をかけられ、告白を受けたことだって一度や二度ではない。
 そして前世では夜行性だったのに今では夜が嫌いになり、引き籠りだったのに今では一人が嫌いになり、静かな生活は大歓迎だったのに今では逆に落ち着かない。
(まるで別人ね……)
 こんな女言葉が自然と出てくる時点でもうそれは証明されている。
 未練があるわけではないが、かといって現状とどちらが良かったかと問われれば答えに窮す。
 嫌ではない。美少女となり、友達も増え、イジメられることもないこの人生が嫌なはずがない。
 でもそれだけでこの世界——前世で読んでいた『とある魔術の禁書目録(ライトノベル)』の世界に生まれ変わったことが“よかった”とはけして思えない。
 『無能力者(レベル0)』だし、補習の常連だし、ナンパはウザいし、帰り道は一人寂しくだし、嫌いなものがたくさん増えた。

 そして何より、氷室皐月は『自分』が一番嫌いだった。

 自分は誰かに評価されるような人間ではない。誰かに評価されていいような人間ではない。評価されるようなこと自体、あってはならないことだ。
 何故なら——

「……サイレン?」
 ふと氷室の耳に甲高いサイレンの音が飛び込んでくる。
 近くで火事でもあったのだろうか、と首をかしげる氷室の鼻が“嫌な臭い”を嗅ぎつけた。
 それは焼け焦げた煤の臭いではなく、鉄錆にも似た鼻を突くようなそんな臭い。
「……血?」
 “嗅ぎなれた”その臭いに顔を顰め、走り出す。
 血の臭いがするということは誰かが傷を負っているということだ。それもすり傷やかすり傷ではありえない。こんな場所まで臭いが届くのならば、まぎれもなく大怪我を負っているはずだ。
 進むにつれ段々とサイレンの音が近づいてくる。もしかするとそこから香ってきているのかもしれないが、それならそれで構わない。すでに対処されているはずだから、杞憂で終わるだけでしかない。
 しかしすぐ近くまでやってきたところで、僅かにその道が反れた。
 どうやら火事は男子寮の方で起きたらしいが、臭いは少し離れた裏路地から漂ってきている。
 ふぅ、と一息吐いてから、氷室は慎重に路地裏へと足を踏み入れる。
 誰かが重傷を負っていたとしても、それを負わせた犯人がその場に未だとどまっている可能性もある。不用意に飛び込むのは危険だし、戦う必要があるのなら不意打ちの方が有利だ。
 路地の角までやってきて、身を隠しつつその先を覗き込む。
 視線の先には少年一人とベンチに横たわる少女が一人。少女の方は外人らしく、身に纏う衣装も学生服とは異なる。かといって私服とも思えない。
(ここからじゃ判別しにくいけど……)
 怪我をしているのはおそらく少女の方だろう。
 少年の方は少女の傍で跪き、少女と何やら会話を交わしている。
 と、突如少年は少女の体を背負いこちらへと歩き始めた。
(この状況で?)
 普通怪我をしている人間は下手に動かさない方がいい。その場に留まって救急車を呼ぶなり、人を呼んでくるなりするのが一般的な対応だ。ましてやすぐ近くに消防車が来ている状況で、わざわざ運ぶ必要はない。無論、一刻を争う自体なら往復の手間を惜しみ運ぶこともあるかもしれないが、少年の進む先はサイレンのする方向とは真逆の方角だ。
(怪しいわね……)
 どうする、と自問し、
(なんて、考えるまでもないわね)
 答えは出ていると、一気に物陰から飛び出した。

「止まりなさい!」
「っ——誰だ!」
 道の中央に立ちふさがった氷室に対し、少年は警戒を露わにし身構える。
「——って、氷室?」
「上条、くん……?」
 対面したことでハッキリとした人相に氷室は唖然とし、同時に心の中で盛大な舌打ちを漏らす。
(まさか今日だったとはね……)
 おぼろげな原作知識を思い出し、現在の状況を悟る。
 おそらく魔術師ステイル=マグヌスとの戦闘を終え、現場から逃げてきたところなのだろう。
(となると、この子が禁書目録(インデックス)……)
「なんでこんなところに……?」
「それはこっちのセリフよ」
「うっ……!」
 夜更けに大怪我を負った少女を背負った少年と、夜遊びに耽っていた少女のどちらが異常かを問われれば、間違いなく上条側がおかしいと断言できる。
 無論、夜遊びも褒められたものではないのも確かだが……。
「——って、こんなことしてる場合じゃないんだった。……悪い、氷室。今急いでんだ」
「でしょうね。その子、怪我してるみたいだし」
 真っ白な布地に金の刺繍が施された高価なティーカップみたいな修道服を身に纏う少女を一瞥し、頷く。
 血の臭いはそのシスター——インデックスから放たれたものだ。今現在も足元に血の雫が滴っていることから、傷を負ってからそう時間は立っていないのだろう。
「ああ。だから——」
 病院に、と続ける上条の言葉を遮り、
「ええ、だからその子をすぐにおろして」
「——え? おろす?」
「いいから早く!」
「えっ……、あ、おい! 氷室っ!」
 状況を飲み込めていない上条を無視して、その背からインデックスをはぎ取ると地面にうつ伏せに寝かせ傷口を見る。
「酷いわね」
 純白の布は背中の部分だけ真っ赤な血で染まり、黒く濁っている部分も見受けられる。
「そうなんだ。だから早くその子を病院に連れてかないと——」
「なら、なんでサイレンの鳴っているのとは逆方向に向かってるの?」
 あれだけの騒ぎなら救急車の一台や二台待機していてもおかしくはない。
 なのに、それをしないのはなぜか。
「そ、それは……」
「事情がありそうだけど、今はこの子を助けるのが最優先よ。少し黙ってて」
 言い淀む上条にきっぱりと告げ、氷室は携帯を取り出すと短縮ボタンから目的の番号を呼び出す。
「…………私よ」短いコールの後、電話に応じた相手に開口一番そう告げると、「訳有りの重症患者一名。背後から鋭利な刃物で一撃。傷口は広くて深いけど中は無事みたい。でも出血が酷い。血液型は……」ちらりと上条に視線を向けるが、しきりに首を振る姿を見て、「御免、わからない。応急処置はこっちでしておくから急いで車を回して。場所は——うん、そう。じゃ、よろしく」
 居場所を伝え、電話切ると再びインデックスへと視線を向ける。
「お、おい氷室。今のって……」
「病院よ。当然じゃない」
「い、いや、それは不味いんだ。その子は……」
「IDを持たない“外の人間”でしょ?」
「なっ——!?」
 なんで、と目を丸くする上条にインデックスの傷の具合をより深く診察しながら、
「この状況下で救急車も呼ばず、人がいる場所にもいかず、むしろ避けるように行動しているなら答えは一つよ」
 あなたが犯人なら話は別だけど、と語る氷室に、上条は必死になって首を振り否定する。
「でも、それなら……」
「大丈夫。呼んだのはそういう“訳有り”でも対応してくれる病院(ばしょ)だから。上に知られるのが不味いっていうならその存在も隠してくれるところよ。だから安心して」
 確かにそれならば問題はない。上条は当初、とある事情により担任教師の小萌先生の家へ向かうつもりだったが、きちんとした医療施設に搬送できるのならそっちで治療してもらった方がいいはずだ。
「てか、なんでそんな病院(ところ)知ってるんだよ」
「親が務めてるところだから」
「お、親?」
「そう。……それより少し離れてて。止血するから」
「お、おう。何か手伝えることはあるか?」
「ないわ。むしろ邪魔。特にその『右手』がね」
「右手……?」
 上条は自らの右手を見る。
 その右手にはあらゆる『異能の力』を打ち消す力が備わっている。
 ついさっきまでその力を使い、インデックスを狙ってきた『魔術師』を自称する男と戦ってきたところだ。
(けど、それが止血とどう関係するんだ? いや、それ以前に——)
 なんで氷室はこの『右手』の事知っているんだ、と首を傾げる上条の目の前で、あろうことか氷室はその手をインデックスの傷口に押し込んだ。
「うっ——!?」
「お、おい! 氷室!?」
「黙ってて! 少し痛いけど、我慢してね。すぐに血を止めて病院に連れて行ってあげるから」
 優しく諭すようにインデックスに告げると、氷室は再び視線を傷口へと向け、集中する。
(傷口の範囲は広いけどきれいに切られている。これなら止血して適切な処置を施せば傷跡も残らないわね)
 心の中でそう呟きながら、意識を傷口全体に広げ、膜で覆うようなイメージを思い描く。
 すると、
「……血が、止まった?」
「ええ。このまま維持してれば、病院までなら何とか持つわ」
「で、でもどうやって……」
 氷室は上条と同じ『無能力者(レベル0)』のはず。何の能力も持たない、持っていたとしても現実に効果を及ぼすほどの力など持たない、無能な能力なはずだ。
「……私もね、上条君と同じよ。身体検査(システムスキャン)では検出されない能力者」
「検出されない……?」
 再び上条は自身の右手に目を落とす。
 『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と呼ばれるその右手は、超能力であれ魔術であれ、それがたとえ神様の奇跡なんてシロモノであれ、一撃で打ち消す力を持つ。が、逆を言えばそれだけでしかない。拳銃から放たれた弾丸を防ぐことは出来ないし、燃え移った炎を消すこともできない。ましてや身体検査(システムスキャン)で用いられる機械には何の効果ももたらさないため、結果的に『無能力』の烙印を捺されるのだ。
「私の能力——『抑止力(カウンターストップ)』はね、『止める』能力なの」
「とめる?」
「そう。正確には『対象の持つベクトルに干渉し、その量を0にする』能力。ベクトル量が0になった物体は動くことができないから、結果的に『停止』することになる」
 しかしその力は“初めから動いているもの”に対してしか効果を発揮しないため、静止した状態からの動きを読み取る身体検査(システムスキャン)では計測されることはない。それどころか計測器の動きすら『止めて』しまうために、値が0から動くことはなく計測不能となってしまう。故に結果は『無能力』判定。
「今はこの子の傷口の血を『止める』ことで血管に蓋をしている状態。だからもし上条君の右手が干渉すれば、その蓋は外れて再び出血が起きることになる」
 だから邪魔なのだと。
 その言葉に、上条は小さくうめいた。
 自分の『右手(ちから)』は異能の力を打ち消すことは出来ても、不良からは逃げるしかなく、テストの点が上がる訳でもなく、女の子にモテたりする事もない。ましてや瀕死の少女を救う事すら出来はしない。
 それに比べ氷室の能力(ちから)は同じ『無能力』とされながらも、こうして少女の傷を塞ぎ、その命を繋ぎとめているのだ。応急処置とはいえ、それは確かにインデックスの事を救っている。今、まさに。
「卑下する必要はないわ。たまたま状況が合致しただけで、私の能力だって“使えない”能力なんだから」
「使えない?」
 なんで、と問いかける。今まさにインデックスの命を救っているのは氷室の能力によるものだ。それが“使えない”なんてもののはずがない。
「使えないわよ。ベクトル量を0にするって事は『止める』こと“しか”出来ないってことだもの。加速することも減速することもできない。何かを生み出すこともできないし、操ることも不可能。あらゆる攻撃を防ぐことは出来ても、攻撃力は皆無。そんな力、こんな場面以外にどこで使えっていうのよ?」
 確かに『物を止める』という力が役に立つ場面はそれほど存在しない。例えばブレーキの壊れた暴走トラックを止めるのに使えるが、そんな場面に出くわす方がレアで、そんな限定的な場面にしか使えないのでは意味が無い。あらゆる攻撃を止めるというのも、攻撃を仕掛けてくる者を排除することが出来ない以上、ただ防ぎ続けるだけで、相手があきらめるのを待っていることしかできない。先に力尽きてしまえばその時点で殺られてしまう、その程度の力でしかない。
 今だって、インデックスの命を繋ぎ止めてはいるが癒しているわけではない。あくまでも延命であり、それ以上の事は他の者の手に委ねるしかない。
「だから今回は偶然状況が私の能力に適していただけで、異なれば立場は逆転していたか、どちらも役立たずで終わっていたはずよ」
「あ、ああ……」
 そういう事なら上条だって理解できる。
 お互いたったひとつの事に特化しているせいで、それ以外の事がなんらできないというだけの事だ。
 これがもし何らかの『異能の力』によってインデックスの命が脅かされているのならば氷室の能力(カウンターストップ)ではなく上条の右手(イマジンブレイカー)の出番となったはず。
「それと、このことは誰にも言わないでね」
「え? なんでだ?」
 無能力者の肩身は狭い。能力者の街であり、学校の評価もそれに準ずる以上、最底辺に位置する『無能力者』は他の能力者から見下される事が多い。
 それに能力云々を除いたって、力あるものが力なきものを虐げるのはいつの世も変わらない事柄だ。
 しかし氷室にはちゃんとした能力が備わっている。例えその力が“使えない”能力だとしても、能力者であるという事実があれば彼女の地位は向上し過ごしやすくなるはずだ。
「必要ないから」
「必要ない?」
「だってそうでしょ? スプーンを曲げるならペンチを使えば良いし火が欲しければ100円ライターで十分よ。テレパシーなんてなくてもケータイがあるし、テレポートなんて使わなくても自分の足で歩けばいいだけじゃない」
「まぁ、そうだな」
 それは昨夜、とある電気使い(エレクトロマスター)に上条自身が吐いた台詞でもある。
 他の何かで十分代用可能ならば、わざわざ超能力を使うまでもない。ただ少し便利だな、程度のもので、その超能力だって1人1つしか持つことができないから自身の能力以外の事柄は、やはり何かで代用するしかない。
「普通に日常生活を送るだけなら超能力なんてもの必要ないのよ。だからそれで得られるものなんて『私は優秀なモルモットです』って評価だけよ」
 バカバカしい、と吐き捨てる氷室に、上条は納得しながらもどこか薄ら寒いものを感じた。
 『優秀なモルモット』。確かに違いない。ここは超能力を研究する街であり、生徒は『学生』の名を借りた超能力が使えるという『被検体(モルモット)』だ。その能力が向上するということは即ち『より優秀なモルモット』になったと言える。
 だがそれを言ってしまうと——、

 今も必死になってレベルを上げようとしている多くの能力者(がくせい)達の努力はどうなる? 

 『無能』の烙印を捺されて腐っていった者たちの嘆きはどうなる? 

 そんなものに何の意味もないのだと、そういう事なのか?

「どいつもこいつも能力、能力……超能力がどれほどのものだっていうのよ。そんなものだけで人の価値が決まるわけじゃないでしょうに……」
 なおも続く氷室の怨嗟。
 そう、怨嗟だ。
 それはまるで、過去にそういう扱いを受けたことがある様な、そんな過去に対する恨み辛みを吐き出すような言葉に、上条は氷室の中にある“何か”を垣間見た気がした。

 上条にとっての氷室皐月という少女は、美人で、胸がでかくて、ノリのいい、物静かなクラスメイトだ。
 普段は一人静かに教室の片隅で本を読むか窓の外を眺めているかのどちらかで、眼鏡をかけていればまさしく文学少女という言葉がぴったりと当てはまりそうだ。
 かと思えば、今朝の一件のようにノリがよく、話してみれば決して悪い印象を抱くことはない。面倒見も良く、クラス委員長(女)と一緒に何かを手伝っている場面もよく目にする。
 クラスのみならず学校中で密かな人気を博し、非公式にファンクラブまで発足しているという噂も耳にしたことがある。
 見た目は文句なしの美人だし、スタイルもいい——特にその胸が。それでいて人柄もいいともなれば、多くの好感を集めるのは当然だろう。
 頭もよくて勉強もでき、でも能力テストだけは最低得点のため補習の常連客。
 それが上条がこれまでの抱いてきた氷室皐月というクラスメイトの人物像だ。

 しかしそれは高校に入学してからのこと。中学は別の学校だったため、それ以前の彼女がどういう人物だったのかを上条は知らない。
 だからそこに人には言えないような“何か”があったとしてもなんら不思議ではない。
 だが同時に、今の氷室を見ているとそれを信じることは出来なかった。
 およそ『無能力者(レベル0)』であるということ以外に欠点なんて見当たらないこの少女が、これほどまでに悪感情を抱く“何か”があったなど見当もつかない。
 身勝手ながらに上条は、彼女は人を羨むことも恨むこともないのだとさえ思っていた。
 だけどそれは違ったのだと。彼女も一人の人間であり、ならば当然そういった暗い感情を宿すただの人なのだと、理解した。

(でも、なんで……)

 怨嗟を綴る氷室の表情はどこまでも冷たく無表情で——
 感情無しには語れないと示しているかのようで——
 それは彼女の抱える暗さがどもまでも深く、底の知れない深淵の『闇』を連想させるほどに暗いものだと表すようで——

(なんでそんなに、悲しそうなんだよ……)

 何故だか上条には、氷室が一人泣いているかのように見えた。

「上条君?」
 ふと名を呼ばれ顔を上げると、氷室が不思議そうな表情で上条を見つめていた。
 そこに先ほどまでの暗い冷たさは微塵も感じられない。いつも通りの氷室皐月がそこに存在し、先ほどまでのが全て夢だったかのような錯覚を覚えてしまう。
(夢、だったのか……?)
 今日一日いろいろとあり過ぎたせいで疲れているのかもしれない。
「えっと…悪い。で、なんだっけか?」
「だから秘密にしといてくれって話よ」
「あ、ああ。でも、それなら尚更バラしちまった方がいいんじゃないか?」
 氷室の過去に何があったのかはわからないが、かといって『無能力者(レベル0)』であるより、無い方がやはり都合がいいのではないかと思う。
「まぁ、普通の能力だったらそっちの方が面倒がないんでしょうけど……」
「何か問題があるのか?」
 それはやはり“暗い過去”に関係するのだろうか、と上条は氷室の顔色を窺ってみるも、眉を顰めてはいるものの先ほどの様な冷たい無表情ではなかった。
「問題、というか……希少(レア)なのよ、私の能力は」
「まぁ、そうだろうな……」
 上条だってすべての能力を知っているわけではないが、それでも『物を止める』だけの能力なんて聞いたことがない。逆ならば腐るほどあるのだが。
「勘違いしているみたいだから訂正するけど、『止める』ことが希少ってことじゃないからね」
「へ? 違うのか?」
「ええ。問題なのはそれが『ベクトル』に干渉する能力だってこと」
「ベクトル……? それのどこが問題なんだ?」
 物を止めるのならベクトルに関わるのは当然だろう。
 物体は須らく何らかのベクトルを有しているのだし、動いているということはそのベクトルが作用しているという事だ。その作用を『止める』以上、ベクトルに関連するのは必然だと思うのだが……。
「間接的にベクトルに作用する能力者は大勢いるわ。『念動力者(サイコキネシスト)』もある意味そうだしね」
 物体に力を加えて操る彼らも間接的にベクトルを操っていることになる。
「でも直接ベクトルに干渉できる能力者は私以外にはこの学園都市に一人しかいないの」
「二人だけっ!? マジかよ」
「マジよ」
 学園都市の人口は230万人とされ、その八割が学生=能力者だ。つまり184万人もの能力者がいて、その中のたった二人しか存在しない。
 確かに希少(レア)だ。
 ちなみに『幻想殺し(イマジンブレイカー)』はそれ以上の珍種(レアモノ)なのだが、本人に全くその自覚がないためここでは捨て置かれている。
「しかもその能力者っていうのが、第一位なのよねぇ……」
「だ、第一位って……、学園都市に7人しかいない『超能力者(レベル5)』の第一位(トップ)っ!?」

 学園都市における能力者はその力量により0から5の6段階に振り分けられる。
 最底辺は言うまでもなく上条達が所属する『無能力者(レベル0)』。そこから一般的に能力者と呼ばれ始める『低能力者(レベル1)』『異能力者(レベル2)』と続き、『強能力者(レベル3)』で一人前、『大能力者(レベル4)』ともなればエリートと認められる存在となる。
 そして最高位の『超能力者(レベル5)』は学園都市に僅か7人しかいない。その7人の中でもさらにランクがあり、その第一位(トップ)ともなれば正真正銘学園都市最強の能力者ということになる。

「そ…、だからわかるでしょ? 最強(第一位)の能力者と同じ系統の能力を、最弱(レベル0)である私が持っているなんて知れたら大騒ぎになるわ」
 騒ぎにならないはずがない。大事だ。
「私は今の生活で十分満足しているの。それ以上もそれ以下も望んでいないから……」
「……わかった。誰にも言わない」
「助かるわ」
 確かにすごいことであり、自慢できることではあるが、それをどうするかは本人次第だ。他人が持て囃したところで碌なことにはならない。
 そもそも話したところで信じる者などいないだろう。氷室が『無能力者(レベル0)』であることはすでに『書庫(バンク)』にも登録されている事実だ。その力が『身体検査(システムスキャン)』で検出されない以上、上条の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』同様、その評価が覆ることはない。
 だが万が一、ということもある。
 本人がそれを望まないのであれば、上条には面白半分でそれを風潮する気は微塵もなかった。

「……来たみたいね」
 未だ鳴り止まない男子寮側のサイレンとは別の方角から聞こえてきたサイレンが近くで止まる。
 すぐさまストレッチャーを連れた一団がこちらに向けて駆け込んできた。
「運ぶの手伝って」
「おう……って、大丈夫なのか?」
「直接効果範囲に触れなければ平気よ」
「わかった」
 チラリと見たインデックスの容態はすでに虫の息だ。
 ここからは時間との勝負となる。
「もうすぐ病院だからな。それまで死ぬんじゃねぇぞ、インデックス」
 冷たくなったインデックスの手を上条当麻は力強く握りしめた。


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