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THJさんって

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 8日(水)00時13分51秒
返信・引用
  結局自分の思い込みだけで、何一つ根拠を示すことができないんですね。

あべひさんと同じ否認主義。
他方を否認しながらでないと何も説明できてない。
 

THJさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 8日(水)00時00分45秒
返信・引用
  それひとつで充分ですよ。 笑
貴方が川辺メモが何に対して鑑定したものか理解してないだけ。
 

Re: THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 7日(火)23時56分3秒
返信・引用
  > No.17081[元記事へ]

新参者さんへのお返事です。

> 何処に有ろうが、誰が所持してようが、御本尊のお力が変わる訳はありません。

あなたは言葉を変えていますが御本尊の変わらないお力、力用を「仏力」「法力」と言うのですよ。
> 違います。私は終始一貫、どの様な場所に有ろうが、誰が所持してようが、御本尊の力用に勝劣浅深は無いといってます。

だから、その変わらない力用を「仏力」「法力」と言うのですよ。

> あなたは、所持者の信仰が変われば功徳が出たり出なかったりすると言ってるんです。
> 御本尊は、直筆であれ写であれ、功徳の樹ですよ。
> それを引き出すのは、拝むひとの信心の問題です。
> 御本尊に問題があるからではありません。

御本尊に問題があるなどと言う話はしていませんよ。
大石寺の板本尊は、正しい信心をする人を失ったために功徳が出せない本尊になっただけですよ。

> 後世の宗派が勝手に決めたことを、大聖人の教義にすること自体がまちがっているのです。

いいえ、功徳が出る出ないは「信心の厚薄による」とは大聖人の言葉ですよ。

> 信心の厚薄は、拝むひとの問題です。

そう話していますよ。

> 御本尊の功力は、厳然と御本尊に備わっています。

あなたがそう勘違いしているだけですよ。
功力は、御本尊に備わる「仏力」「法力」と、拝する人の「信力」「行力」が合わさることで、生じるのですよ。

> 戒壇の本尊は、平成3年から平成14年までは、学会の宗定本尊だったのです。
> その時は、既に宗門と離別していました。
> この10年間の説明は、どうなさいますか?

宗門が創価学会を破門にしたことにより、大石寺の板本尊は「信力」「行力」を失い、功徳が無い本尊になった。と何度も説明していますよ。
大石寺の板本尊に功徳が無いという事実が先にあり、時間をかけて教義の変更をしているのですよ。

> 説明を、教義的な裏付けをもってお願い致します。

教義的な裏付けが、妙法の四力の話ですよ。
 

Re: THJさん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)22時46分6秒
返信・引用
  THJさんへのお返事です。

> > だから、御本尊の力用は、拝む方の信心の問題でしょう。
> > 御本尊のお力は、いつの時代も、何処にあっても厳然と備わっております。
> > 要するに、御本尊と云うのは、一閻浮提総与なのですから、一宗派の占有物ではないのです。
>
> 一宗派の占有物ではないのは、弘安2年に大聖人が出世の本懐をとげたとして御図顕した大御本尊のことですよ。
> 大石寺の板本尊は、現状では明らかに日蓮正宗の占有物です。
> あなたは知らないかも知れませんが、大石寺の板本尊は日蓮正宗の信者でなければ拝めないと言う決まりを日蓮正宗では作っていますよ。
> 大石寺の板本尊が一宗派の占有物ではないなどとあなたが言っても、日蓮正宗の許可無く拝むことも、年代鑑定をすることも出来ないのが現実ですよ。

そんなことぐらい知ってますよ。(笑)
それも、後世の人間が考えたことでしょう。
何処に有ろうが、誰が所持してようが、御本尊のお力が変わる訳はありません。

> > 御本尊の力用が、あるとかないとか凡夫が判断するものではありませんよ。
>
> では、あなたが「力用」の話をすることがそもそも間違いですよ。

違います。私は終始一貫、どの様な場所に有ろうが、誰が所持してようが、御本尊の力用に勝劣浅深は無いといってます。
あなたは、所持者の信仰が変われば功徳が出たり出なかったりすると言ってるんです。
御本尊は、直筆であれ写であれ、功徳の樹ですよ。
それを引き出すのは、拝むひとの信心の問題です。
御本尊に問題があるからではありません。
後世の宗派が勝手に決めたことを、大聖人の教義にすること自体がまちがっているのです。

> > 御本尊は、絶対的な一念三千の御当体なのです。
>
> また、あなたは別の言葉に変えていますね。
>
> 御本尊が絶対的な一念三千の御当体であっても、信心の厚薄により、功力が出たり、出なかったりする話をしているのですよ。

信心の厚薄は、拝むひとの問題です。
御本尊の功力は、厳然と御本尊に備わっています。

戒壇の本尊は、平成3年から平成14年までは、学会の宗定本尊だったのです。
その時は、既に宗門と離別していました。
この10年間の説明は、どうなさいますか?

説明を、教義的な裏付けをもってお願い致します。
 

Re: THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 7日(火)22時41分23秒
返信・引用
  > No.17077[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

> ひとつ出せばこと足ります。
> 川辺メモは、現物について書かれたメモであるとの、聖教新聞に掲載された会長の発言ですね。

そう言うなら、そう書いてある箇所を出せばいいだけですよ。
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/17070
の秋谷会長の発言は

秋谷 日顕は河辺を切るどころか、持ち上げてしまった(大笑)。
秋谷 日蓮大聖人は「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」等々と明確に仰せであられる。大御本尊を「偽物」と断言しただけでも狂乱の大謗法だ。

の2箇所ですが、何処にも現在の創価学会が大石寺の伝承である板御本尊を「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だと特定してはいませんよ。

そもそも、あなたが出したのは、日蓮正宗の教義では、大石寺の板御本尊=「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だとしているのに、その法主が過去に「偽物」と断言しただけでも『狂乱の大謗法』となると批判している記事です。

あなたは新会則施行(平成14年4月)以降に発行されたことが分かる創価学会の公式資料の中に、現在の創価学会が大石寺の板御本尊=「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だとしている公式資料が「いーーぱい ありますよ。」と言っているのですから、そう明記されているものを出せばいいのですよ。
 

大勝利さん、今晩は

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)21時45分54秒
返信・引用
   予言と私が言ったとか言わないとかに関係なく、あの御文は一閻浮提第一の本尊が日本で顕れるとのご予言です。

 『此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し』
  (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 予言されておられますでしょう。
 それともこれはご予言ではないのですか?
 なければ何だとお考えでしょう?

 私は予言だと捉えます。


 観心本尊抄は文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、佐渡流罪中に、一谷で御述作になり、下総国(千葉県)葛飾郡八幡荘の富木常忍に与えられた御書ですから、当然御本尊図顕はそれ以後となります。

 
 

THJさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)21時24分37秒
返信・引用
  ひとつ出せばこと足ります。
川辺メモは、現物について書かれたメモであるとの、聖教新聞に掲載された会長の発言ですね。
 

実名さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)21時19分6秒
返信・引用
  予言と言ったのは実名さんですよ。
予言であれば、本尊抄以降に顕された御本尊ではないでしょうか?
 

Re: THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 7日(火)21時11分18秒
返信・引用
  > No.17066[元記事へ]

新参者さんへのお返事です。

> だから、御本尊の力用は、拝む方の信心の問題でしょう。
> 御本尊のお力は、いつの時代も、何処にあっても厳然と備わっております。
> 要するに、御本尊と云うのは、一閻浮提総与なのですから、一宗派の占有物ではないのです。

一宗派の占有物ではないのは、弘安2年に大聖人が出世の本懐をとげたとして御図顕した大御本尊のことですよ。
大石寺の板本尊は、現状では明らかに日蓮正宗の占有物です。
あなたは知らないかも知れませんが、大石寺の板本尊は日蓮正宗の信者でなければ拝めないと言う決まりを日蓮正宗では作っていますよ。
大石寺の板本尊が一宗派の占有物ではないなどとあなたが言っても、日蓮正宗の許可無く拝むことも、年代鑑定をすることも出来ないのが現実ですよ。

> 何度もいいますが、私は現在、パソコン環境がありませんし、手元に大白蓮華を持てる環境ではないのです。
> その、大白の先生の御指導をアップして頂けませんか?
> 無理なら結構です。

では、やめておきましょう。
大白の10月号を読めるようになったら確認してください。

> 御本尊の力用が、あるとかないとか凡夫が判断するものではありませんよ。

では、あなたが「力用」の話をすることがそもそも間違いですよ。

> そんなの、後世の宗派が勝手に決めたことです。
> 御本尊は、絶対的な一念三千の御当体なのです。

また、あなたは別の言葉に変えていますね。

御本尊が絶対的な一念三千の御当体であっても、信心の厚薄により、功力が出たり、出なかったりする話をしているのですよ。
 

アク禁

 投稿者:白馬五竜  投稿日:2014年10月 7日(火)21時05分35秒
返信・引用
  > No.17073[元記事へ]

実名主義者さんへのお返事です。
>  知識不足で確かではございませんが、少なくとも、文永十年八月には既にご図顕されておられます。
>
>  『夫について経王御前の事二六時中に日月天に祈り申し候、先日のまほり暫時も身をはなさずたもち給へ、其の本尊は正法像法二時には習へる人だにもなしましてかき顕し奉る事たえたり、師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、』
>  (経王殿御返事)
>
>  この御書が文永十年八月です。
>  ですので、この時点では確実に存在しておりますが、最初が何時なのかはそれほど大事ではございませんし、それは学者にお任せいたします。
あなたはアクセス禁止になっている沖〇氏ではないでしょうか?
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)20時58分10秒
返信・引用
   知識不足で確かではございませんが、少なくとも、文永十年八月には既にご図顕されておられます。

 『夫について経王御前の事二六時中に日月天に祈り申し候、先日のまほり暫時も身をはなさずたもち給へ、其の本尊は正法像法二時には習へる人だにもなしましてかき顕し奉る事たえたり、師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、』
 (経王殿御返事)

 この御書が文永十年八月です。
 ですので、この時点では確実に存在しておりますが、最初が何時なのかはそれほど大事ではございませんし、それは学者にお任せいたします。
 

Re: THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 7日(火)20時57分9秒
返信・引用
  > No.17070[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

> いっぱいありますよ。
> とりあえず簡単にネットからですが、
> 21世紀の展望を語るは平成14年以降も継続されて発行されてますね。

で、何処に大石寺の板御本尊を「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だと特定している記述はどこですか?
大石寺の板御本尊が「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だと特定しているのは日蓮正宗で、その法主が過去にそれを否定していたと言う話を指摘・批判しているだけでは、創価学会が大石寺の板御本尊を「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だと特定しているという公式資料にはなりませんよ。

「いっぱいありますよ」と言うのであれば、冗長なものなどは出さずに、旧会則のように明解にそうと分かる公式資料を「いっぱいありますよ」の中から出せばいいのですよ。

新会則施行(平成14年4月)以降に発行されたことが分かる創価学会の公式資料を「いーーぱい ありますよ。」の中からちゃんと出したらどうですか?
 

Re: 大勝利さん今晩は

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)20時27分32秒
返信・引用
  > No.17068[元記事へ]

実名主義者さんへのお返事です。

> >その予言の凄い御本尊は、実体として今現在どこにあるのですか?
> まさか、御書にあるんじゃないでしょうね?
>
>  拝む対象としてのその予言の御本尊は、貴方や私の家にも安置されていますし、法華講員の方々、顕彰会の会館、正信会の寺院、大石寺の中にも、学会本部にも、身延にもございます。
>
>  見たことございませんか?


※末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか

その予言の御本尊の中の始めての本尊は何時出現したのですか?
 

Re: THJさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)20時11分14秒
返信・引用
  > No.17060[元記事へ]

THJさんへのお返事です。
>
> 新会則を施行する前であれば、旧会則の教義が「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」が現代まで現存しているとし、大石寺の伝承である板御本尊だと特定している創価学会の公式資料になり、他の資料をわざわざ出す価値はありません。
>
> 新会則施行後の現在の創価学会では、大石寺の伝承である板御本尊自体の教学上の定義が削除されており、大石寺の板御本尊を「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だと特定している資料はありません。
> あなたが「いーーぱい ありますよ。」と言うのであれば、新会則施行(平成14年4月)以降に発行されたことが分かる創価学会の公式資料を「いーーぱい ありますよ。」の中から出したらどうですか?

いっぱいありますよ。
とりあえず簡単にネットからですが、
21世紀の展望を語るは平成14年以降も継続されて発行されてますね。

高柳 とくに、あの「河辺メモ」で日顕の大御本尊否定が発覚した時の日顕の、あの慌てぶり(笑)。
松村 立て続けに2回も宗務院の「お知らせ」なんか出させて、必死に言い訳していたな(笑)。
佐藤 「あれは河辺の記録ミスだ」なんて、見え透いた言い逃れをしていた(爆笑)。
青木 日顕のことだ。我々は、はじめっから「そう言い出すだろうな」と思っていたよ(笑)。
高柳 それで、かえって「河辺のメモは正真正銘、本物である」ことを証明しちゃった(笑)。
森田 だいたい「河辺の記録ミス」というのが本当だったら、河辺の責任は重大じゃないか。当然、河辺は厳しく処罰されなければならない。
青木 皆が、そう思っていた。ところが河辺は、北海道から東京・新宿の一等地にある大願寺に栄転(笑)。
秋谷 日顕は河辺を切るどころか、持ち上げてしまった(大笑)。
青木 あれで皆が「河辺のメモは、やっぱり全部、事実だったな」と心底、納得したわけだ(笑)。

迫本 それどころか実は、日顕は「はじめから御本尊を信じてなんか、いなかった」という話まである。
佐藤 その通りだな。こんな事実があったよ。
 東京・八王子の平山広篤という坊主が、昭和61年6月13日、寺の集まりで、こう話していた。
 かつて平山が日顕に〝信心してきて一番、苦しんだことは何か〟と質問した。
 すると、日顕は「なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも、本当に信ずることができない」と本音を漏らしていた(爆笑)。
高柳 昭和61年といえば、すでに日顕は「法主」じゃないの。法主が「御本尊が信じられない」とは何事よ!
青木 まったくだ。だから「ニセ法主」なんだ(笑)。
佐藤 これは、その平山の話を、目の前で聞いていた婦人部の方の証言だ。
 あまりにも印象に残った話だったので、日記にも記していた。ほかにも、その場で聞いていた人が、大勢いる。
松村 これは明快、明白だ。
迫本 しかも、この方は、本当に日顕が、そう言ったのかどうか、別の日に平山に念を押した。その時も平山は、同じことを断言していたというんだな。
森田 驚いたな。
 日顕は御本尊を本当に「信じていない」んだな。
秋谷 日蓮大聖人は「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」等々と明確に仰せであられる。大御本尊を「偽物」と断言しただけでも狂乱の大謗法だ。
青木 かりにも法主が「御本尊が信じられない」と喚く。宗旨の根幹である大御本尊を否定する。
 これこそ日顕が「ニセ法主」である何よりの証拠だ。
森田 また一つ、明確になったな(大笑)。
 

大勝利さん今晩は

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)19時22分9秒
返信・引用 編集済
  >その予言の凄い御本尊は、実体として今現在どこにあるのですか?
まさか、御書にあるんじゃないでしょうね?

 拝む対象としてのその予言の御本尊は、貴方や私の家にも安置されていますし、法華講員の方々、顕彰会の会館、正信会の寺院、大石寺の中にも、学会本部にも、身延にもございます。

 見たことございませんか?
 

もう一つ

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)19時05分57秒
返信・引用
  曰く。

「実際に大石寺の戒壇の本尊に功徳は無いでしょう。
これは、正しい信心をしている和合僧団にある御本尊には功力があり、
正しい信心をしていない和合僧団にある御本尊には功力が無いことを証明しているのです。」

これって、誰かが証明できるのですか?
正しい信心をしてるのなら、御本尊はどちらの御本尊でも功徳は頂けます。

それが、信力行力ですよ。
日昇本尊は、戒壇の御本尊を書写したものですし、現在、学会は日昇そのものも破折してるじゃないですか。
 

THJさん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)18時57分13秒
返信・引用
  だから、御本尊の力用は、拝む方の信心の問題でしょう。

御本尊のお力は、いつの時代も、何処にあっても厳然と備わっております。

要するに、御本尊と云うのは、一閻浮提総与なのですから、一宗派の占有物ではないのです。

何度もいいますが、私は現在、パソコン環境がありませんし、手元に大白蓮華を持てる環境ではないのです。

その、大白の先生の御指導をアップして頂けませんか?

無理なら結構です。

御本尊の力用が、あるとかないとか凡夫が判断するものではありませんよ。

そんなの、後世の宗派が勝手に決めたことです。

御本尊は、絶対的な一念三千の御当体なのです。

 

Re: THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 7日(火)18時10分44秒
返信・引用
  > No.17064[元記事へ]

新参者さんへのお返事です。

> 前にも、先生の指導をお示ししましたが、先生は、御本尊の事を、信心が無ければの前提付きで、只の物だとおっしゃったのですよ。
> 御本尊の力用についての御指導じゃないのです。

いいえ、教義に照らし、御本尊の力用に関する教義・道理を根拠にした指導です。
先生が御書や教義を無視して「信者の意気込み・気構え」程度の話をしているとあなたが考えているならば、それは誤りですよ。

> あくまでも、拝む側の信心の問題です。

その通りですよ。拝む側が他宗の本尊を拝むんでいるような信心は正しい信心では無いのです。

> 御本尊が、御安置されてる場所や、御本尊を所持している人間によって、功力が変わる訳がありません。

実際に大石寺の戒壇の本尊に功徳は無いでしょう。
これは、正しい信心をしている和合僧団にある御本尊には功力があり、
正しい信心をしていない和合僧団にある御本尊には功力が無いことを証明しているのです。

> 大聖人の魂が、場所や人で出たり入ったりすると言うご金言を示して下さい。

大聖人在世時には1つの教団だったのですから、場所に関するご金言はありませんよ。
そもそも、「大聖人の魂が、出たり入ったりする」と言う話はしていません。功力が出たり、出なかったりする話をしています。

大白10月号「御書講義」の「悪知識を捨てて、善友に親しみ近づきなさい」の文に対する「拝読のため」や先生の指導を読んでみて下さい。
 

THJさん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)17時20分26秒
返信・引用
  前にも、先生の指導をお示ししましたが、先生は、御本尊の事を、信心が無ければの前提付きで、只の物だとおっしゃったのですよ。

御本尊の力用についての御指導じゃないのです。
あくまでも、拝む側の信心の問題です。
御本尊が、御安置されてる場所や、御本尊を所持している人間によって、功力が変わる訳がありません。

大聖人の魂が、場所や人で出たり入ったりすると言うご金言を示して下さい。
 

フェイク 第1466号

 投稿者:宿坊  投稿日:2014年10月 7日(火)17時16分44秒
返信・引用
  (発行=14.10.06)

日顕宗のお会式は要法寺の猿真似
謗法の十七世日精が持ち込んだ現在の様式
騙して連れ出し入講させようと虎視眈々

日顕宗の重役・藤本日潤がいる常泉寺(東京都墨田区向島)の墓地に、先月の
秋季彼岸の際、墓参に行って帰宅する婦人に目を付けた坊主が近づいて「法華
講に入りなさい」と強要。それを振り切って帰る婦人の後を追ってきた坊主が
執拗に入講を迫ったが、きっぱり断られていた。

 常泉寺に限らず、墓参に来た人を励ましたり、共に冥福を祈るのではなく、
成果にしようと勧誘するのが日顕宗の悪辣な手口である。

 これが墓参ではなく、日顕宗の寺の行事に参加しようものなら強引に入講さ
せられる。

 事実、大石寺の東之坊での法要に参列した人達に対して「未入信の人は前に来
て下さい」と言って折伏もしないまま、授戒したことがあった。

 そこで要注意なのが十月から十一月にかけて各末寺で行なう「お会式」である。

 お会式は本来、法華講員から供養を集めるのが目的の一つだが、それに加えて、
布教部(部長は阿部信彰)では僧俗が協力し、全支部が折伏目標を達成する契機
にしていくよう呼び掛けている。そのため各末寺の坊主や講中幹部らは、お会
式に学会員を騙して誘い出して、法華講に入講させようと虎視眈々と狙ってい
るからだ。

 日顕宗では日蓮大聖人が弘安五年(一二八二年)十月十三日に御入滅になり、滅
不滅・三世常住の妙相を示されたことを慶祝する行事だと説明しているが、仏
法上の意義などは何もない。

 日蓮大聖人御入滅の地である東京・大田区の池上本門寺では各地から集まった
万灯が池上の地を深夜まで盛大に練り歩いて大賑わいになり、約三十万人の見
学者が訪れ、また、中山法華経寺などは地域融合の行事になっている。地元商
店街の人の話では、経済効果も大きいということだ。

 それに比べて、大石寺及び各末寺での「お会式」は世間から隔絶した陰鬱な行
事になっており、参加する者も少ない。

 ところが、機関紙などでは大石寺のお会式について「他宗では絶対みることが
できない」「本宗独特の儀式」「古式豊かな中世の絵巻」等と吹聴している。
こんなデタラメな宣伝文句に騙されてはならない。

 形式仏教の三文芝居

今の「お会式」の様式は昔、京都の要法寺から持ち込まれたもので、三三九
度とか飾り等、総じて現在のお会式の様式は、総本山に御影堂が成った寛永九
年(一六三二年)、第十七世・日精の時代に出来た、と大石寺も認めている。

我が国の戦国時代、要法寺には広蔵院日辰という日顕のような魔僧が出現し
て「造像読誦論」という邪義を唱えた。

この日辰の邪義が要法寺に根付いていった。

この要法寺の誤った教風の中で育った坊主共が、江戸時代には大石寺の貫首
として次々に晋山。なかでも、寛永九年一月、造像読誦論の謗法坊主・日精が
登座して今の「お会式」の様式が出来あがった訳で、邪宗の猿真似の「三文芝
居」なのである。

これから、お会式に誘い出そうとして法華講員らが出没すると思われるが、
玄関払いするか、厳しく破折して撃退するに限る。
 

Re: 会則変更

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 7日(火)17時03分38秒
返信・引用
  > No.17030[元記事へ]

新参者さんへのお返事です。

> 何か、違ってきていませんか?
> あなたは、戒壇の御本尊の功力は、学会離脱後に無くたったと仰ったのですよ。
> それが前言では、功力を発揮してたとは言えないと言葉を変えておられます。
> ならば離別後、戒壇の御本尊から功力が消失したのでは無いでしょう。
> 大聖人の魂が、後世の宗派団体の都合で、抜けたり入ったりするなんて、おかしな考え方であり、御本尊そのものの意味を否定するものですよ。
> 宗祖直造、本懐説、戒壇の問題の意義は考え直すべきですが、直筆本尊や写の本尊の功徳云々を、ご金言も引用せずに語るのは、如何なものでしょう。

「功力を発揮していない」も「功力が無い」も同じ意味ですよ。
あなたが「功徳」や「功力」と言う言葉から「力用」と言う言葉に変えているのです。

「ご金言」や先生の指導については、ちょうど、大白10月号の御書講義・座談会御書にあるので省略しているのです。
「功徳」や「功力」は、御本尊に備わる「仏力」「法力」と私達の「信力」「行力」と言う四種の「力用」を合わせることで生じるのですから、私達の「信力」「行力」が通じない御本尊には「功徳」や「功力」は無いのです。

信徒の「信力」「行力」から切り離されても御本尊の備わる「力用」は 「仏力」「法力」のことで、「功徳」や「功力」のことでは無いのですよ。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月 7日(火)17時02分34秒
返信・引用
  如来滅後五五百歳始観心本尊抄を格護した富木常忍とその後継の方々には諸手を挙げて感謝するしかございません。  

Re: THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 7日(火)16時59分25秒
返信・引用
  > No.17029[元記事へ]

大勝利さんへのお返事です。

> いーーぱい ありますよ。
> 現存、現存いいますが、そもそも墨の部分を削ってるんですけどね。

では、早く「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」が現代まで現存しているとし、大石寺の伝承である板御本尊だと特定している創価学会の公式資料を出したらどうですか?

新会則を施行する前であれば、旧会則の教義が「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」が現代まで現存しているとし、大石寺の伝承である板御本尊だと特定している創価学会の公式資料になり、他の資料をわざわざ出す価値はありません。

新会則施行後の現在の創価学会では、大石寺の伝承である板御本尊自体の教学上の定義が削除されており、大石寺の板御本尊を「弘安2年10月12日の戒壇の御本尊」の現物だと特定している資料はありません。
あなたが「いーーぱい ありますよ。」と言うのであれば、新会則施行(平成14年4月)以降に発行されたことが分かる創価学会の公式資料を「いーーぱい ありますよ。」の中から出したらどうですか?
 

Re: 御書にあるのです

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)16時37分57秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

>  御本尊が法華経そのものではないし、仏そのものではないと言うのは、御書にキチンと書かれてあります。
>
>  『是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。』
>  (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)
>
>  法本尊開顕の書として有名ですし、御真跡は正中山法華経寺に現存しています。
>  これほど重みをもつ文証はございません。
>
>  末法で凄い本尊が出現すると預言され、
>
>  『此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、』
>
>  その本尊が仏像であると仰せです。
>  仏像は仏を象ったものです。
>
>  西郷隆盛の銅像は、本人そのものではありません。
>  同じく、仏像は仏そのものではございません。
>
>  簡単な道理です。
>

その予言の凄い御本尊は、実体として今現在どこにあるのですか?
まさか、御書にあるんじゃないでしょうね?
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)15時29分31秒
返信・引用
   元々が、創価の御本尊は魔札だと言う愚かな人たちがおります。

 いわく、
 戒壇本尊とは無関係だから。
 法主の開眼がないから。
 主な理由がこれで、未だネットではここに迷う自称創価学会員がいます。

 アホらしい限りは限りですが、一応は釘を刺しておきます。
 それゆえの書き込みですね。

 有意義も何も、相手が論理的でなく、感情論のみですから、事実の提示を淡々としているだけなんです。
 
 

実名さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)15時21分46秒
返信・引用
  「私は創価学会の公式見解の発表に全く関与しておりません」
と発言する人の
「創価学会の全権大使であるとの自覚」やら
「現在創価学会は戒壇本尊本懐を採用しておりません。」とは、
叫ばれるのはご自由だとしても、聞く側にとっては無意味になります。

受け取り側に無意味な発信は、発信側にとっても無意味です。


もちろん無意味な行動の自由はありますが、価値的な対話をしたいですね。
 

創価学会五項目の基本理念から

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)15時17分32秒
返信・引用
   5.創価学会は、人間の精神の自由、なかんずく信教の自由を死守する

 私が自由に発言する権利を、創価学会は完全に認めております。

 ですので公式見解云々は愚かなことですね。
 

御書にあるのです

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)15時07分50秒
返信・引用
   御本尊が法華経そのものではないし、仏そのものではないと言うのは、御書にキチンと書かれてあります。

 『是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。』
 (如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 法本尊開顕の書として有名ですし、御真跡は正中山法華経寺に現存しています。
 これほど重みをもつ文証はございません。

 末法で凄い本尊が出現すると預言され、

 『此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず、』

 その本尊が仏像であると仰せです。
 仏像は仏を象ったものです。

 西郷隆盛の銅像は、本人そのものではありません。
 同じく、仏像は仏そのものではございません。

 簡単な道理です。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月 7日(火)15時03分52秒
返信・引用
  そもそも、山の財政難対策の為に登山会が始まった。
会員さんにわざわざ山へ行ってもらう為にはモチベーションが要る。
そこで板曼荼羅がいかに凄いかという事を宣伝した。
化城喩品の指導者の如く苦心した事でしょう。
今では山の財政を考える必要がなくなった。会館のメンテナンス、新築に専念できます。
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)14時51分50秒
返信・引用
   現在創価学会は戒壇本尊本懐を採用しておりません。

 かと言って、真正面から否定もしていません。

 グレーゾーンに置いたままです。

 私は創価学会としてはそれで良いと思っております。

 ですが私は嘘だと知っておりますし、その件で盛り上がる方々もおられます。

 独立する自由人として、私は自身の信念に基づき、それが嘘だと発信いたします。

 この点は私の自由です。

 他人の干渉は無用なのです。
 

実名さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)14時35分41秒
返信・引用
  ※嘘だと叫ぶ言論の自由が私にあります。

実名さんが嘘だと叫んでいるのは「公式見解」に対してですよね。
にも関わらず、
「私は創価学会の公式見解の発表に全く関与しておりません」であれば、

そもそも、嘘だと叫ぶ必要がないのではないでしょうか?



 

Re: 新参者さん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)14時33分39秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

だから、お好きなようにと言っております。

あなたの発言を止めた覚えはありませんよ。

学会が目指すものは、一切衆生の成仏です。
信心の厚薄は、関係ありません。
一切衆生の成仏です。


>  おかしなことを言うものですね。
>
>  私は創価学会を代表しておりませんが、命の中で師匠の仰せ道理、自身が創価学会の全権大使であるとの自覚をもって生きております。
>
>  そして、私が発言をする自由を創価学会は会則で認めております。
>
>  貴方が気に入ろうがいるまいが、そう言い些事に捉われません。7
 

新参者さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)14時04分18秒
返信・引用
   おかしなことを言うものですね。

 私は創価学会を代表しておりませんが、命の中で師匠の仰せ道理、自身が創価学会の全権大使であるとの自覚をもって生きております。

 そして、私が発言をする自由を創価学会は会則で認めております。

 貴方が気に入ろうがいるまいが、そう言い些事に捉われません。7
 

Re: ついでですが

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)14時00分5秒
返信・引用
  実名主義者さんへのお返事です。

あなたね。
創価学会を代表してるような事を言わないで下さい。
あなたの私見じゃないですか。
お好きにどうぞ。
それが、先生や大聖人のお心とは、絶対に思いませんので。

> >でも、ひとりの不信者も出さない、他門からの攻撃に耐えられる変更が、一朝一夕に出来るでしょうか。
>
>
>  この程度で不信になり退会する方がおられるなら、止める必要もありません。
>
>  ドンドン止めて頂いたら幸いですね。
>
>  人生をかけて創価で戦う覚悟のない、不覚悟な軟弱者の、不節操な在会は迷惑だと思っておりますので。
>
>  
 

実名主義者さん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)13時56分8秒
返信・引用
  曰く。

「そして、説明責任は私に無く、嘘をついた側にある。」

教義変更、会則変更の話ですよ。

根本的な、宗義を変えるのですから、説明責任があるのは常識ですよ。

嘘をついていたとは、申しませんが、学会の運営は会則に則り、信仰は教義に則り行ってきたのでしょうし、これからも行うのですよ。

会員は、そっちのけで、会則や教義変更が許される訳がありませんよ。

これ、世間の常識です。

 

ついでですが

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)13時43分33秒
返信・引用
  >でも、ひとりの不信者も出さない、他門からの攻撃に耐えられる変更が、一朝一夕に出来るでしょうか。


 この程度で不信になり退会する方がおられるなら、止める必要もありません。

 ドンドン止めて頂いたら幸いですね。

 人生をかけて創価で戦う覚悟のない、不覚悟な軟弱者の、不節操な在会は迷惑だと思っておりますので。

 
 

新参者さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)13時16分5秒
返信・引用
   説明責任があると貴方は思う。

 私は思わない。

 そして、説明責任は私に無く、嘘をついた側にある。

 これが世間の常識です。

 私に説明責任はございませんね。

 私は嘘をついておりませんので。
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)13時14分5秒
返信・引用
   嘘だと叫ぶ言論の自由が私にあります。

 それが本当に嘘だった場合、責任をとるべきは嘘をついた人ですね。

 所が私は嘘をついた側の人間ではありません。

 嘘を嘘だと指摘する側におります。

 ですので、嘘をついた責任は私にありません。

 更に、私はその嘘は方便だと思っていますので、責任を追及するつもりがございません。

 これは如来寿量品の良医の比喩に明らかです。

 ですが、貴方がその嘘が許せないとお思いなら、どうぞしかるべき処置をとられれば良いでしょうし、私はその行為に反対を致しません。
 

実名さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)13時06分50秒
返信・引用
  ※その問題は私の回答すべきことではありません。

いままでは全部嘘だったと自由に叫ぶだけで、過去の嘘の責任に関しては知らんふりというのはどうなんでしょう?

特に他門流の方々などには納得を得られないのではないでしょうか?
 

しかし実名主義者さん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)12時55分29秒
返信・引用
  創価新報などでは、宗門の言う血脈論を否定し、その故も、説明されていますが、教義会則を変更するなら、説明責任はありますよ。

戒壇の本尊を、学会とは関係の無いものとするのも、教義的な裏付けが必要です。
勿論、御書根本を謳っている学会ですから、ご金言をもって変更の正しさを証明しなければいけません。

その上で、学会の隅々まで周知徹底されての会則教義変更なら、皆さんも納得されるでしょう。

何事も、あやふやに進めて行けば未来に禍根を残すだけです。

こう言う作業は、時間が掛かってとうぜんですね。

でも、ひとりの不信者も出さない、他門からの攻撃に耐えられる変更が、一朝一夕に出来るでしょうか。

末法は、尽未来際です。

慎重に事を進めて、学会令法久住の為の尊い作業をやって頂きたいものです。
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)12時45分19秒
返信・引用
   その問題は私の回答すべきことではありません。

 常に書いておりますが、私は創価学会の公式見解の発表に全く関与しておりません。

 責任を問うべきであるとするなら、責任をとるべきだとお考えの方々が、公式に苦情を出し、創価学会の前言反故の責任の所在を追及されれば良いのです。

 私はそういう責任をとる必要がないとの立場です。

 ですので、そういう事には関心がございません。

 
 

実名さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)12時38分51秒
返信・引用
  ※全部嘘!!!!

その過去の嘘の責任は誰が御取になるのですか?
創価学会の公式見解の責任は世間ではどなたに帰属するとなるのでしょうね?
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)12時05分37秒
返信・引用
   ご都合主義であろうがなかろうが、不要になったものは使いません。

 昨年のカレーンダーは使わないでしょう。

 あれって、ご都合主義でしょうか?

 創価学会の公式見解を、大聖人の御書の上に位置づけてはなりません。
 御書は末法万年変わりません。
 お題目と同じですね、絶対に変わりません。

 御書には何が書いてあるのか?
 自行化他のお題目を説明してあります。

 御本尊が法華経だと書いている御文はございません。
 あくまでもお題目なんです。

 創価学会は戦後、雨後のタケノコのように出てきた新興宗教と一線を画すため、日蓮正宗を利用し、戒壇本尊本懐を前に出して折伏大行進をやりました。

 戒壇本尊以外を拝んでも功徳どころか罰だ。

 でも、御書に無いのです。
 もう捨てていい邪義ですが、長年利用してきたので、捨てると混乱が起きる。
 それだけの話です。
 法主の血脈なんてものもありません。

 御書に無いものは無い!!

 戒壇本尊本懐。
 法主の血脈。
 興師の唯綬一人。

 こういうものは御書にありません。
 全部嘘!!!!

 これが把握できないと、創価思想は無理ですよ。
 私は日蓮正宗時代の最早不要となった教義について、創価学会が謝罪する謂れも必要もないと思う一人です。
 ですが、大勝利さんがそれがいけないことで、キチンと世間にも古参会員にも謝罪すべきだとお考えなら、それはそれで結構です。

 但し、公式に謝罪を求める行為に、私は参加致しません。
 それは私の信念に外れます。

 同じく、私以外の方が、公式に謝罪を求める行動に、反対致しません。
 それはその方の自由なんです。
 

実名主義者さん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 7日(火)11時42分44秒
返信・引用
  割り込み、ご容赦。

爾前や迹門は、間違った教えではありませんよ。
時に適った教えです。

法華経までは、衆生の気根が整わなかったと云うことですね。

法華経を説いて、謝る必要なんてありません。
 

実名さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)11時01分23秒
返信・引用
  そういうのを、世間では「ご都合主義」と呼ぶのです。  

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)10時44分18秒
返信・引用
   破門以前

 御法主上人猊下様に心服随従し奉り!!

 何てしばしは聖教新聞に載っていましたが、未だに誰一人謝罪しませんし、それが問題にもなりません。

 そういう事で良いのです。
 

大勝利さん

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)10時42分29秒
返信・引用
   そのあたりは、宗門に差し上げれば良いのです。

 釈迦だって爾前から説いたでしょう。

 でも、法華経説いて謝罪した話聞きません。

 そういう些事は時が解決すると思います。
 

実名さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 7日(火)10時40分51秒
返信・引用
  ※将来こういう教義が創価の根幹に座りますよ。

例えば、「戒壇の大御本尊は大聖人の出世の本壊ではない」とか、
「大石寺の大御本尊は弘安2年の大御本尊の現物ではない」と過去主張に相違するならば、
創価学会は聖教新聞等の過去の記事の誤りを内外に向けて正式に「謝罪」すべき事になると思いますが、いかがお考えでしょうか?
 

筋肉離さん、おはようございます

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)08時55分25秒
返信・引用
   この板は実名が禁止されています。

 ですので、私は実名主義者と名乗っています。

 黒川さんと内通??

 樋田さんも、津村さんも友人ですよ、当然黒川さんとも友人です。

 他宗の人と友人になると貴方の倫理では内通なんですか~~??

 フ~~~ン・・・・・

 不自由な人生なんですね。
 

実例を引用いたします

 投稿者:実名主義者  投稿日:2014年10月 7日(火)08時30分14秒
返信・引用
   『海の文化と村の文化』 (2000年4月23日) 7

          ドクター部 於保 哲外 先生
「第5総県ドクター部・白樺・医療技術部会合同部員会」
厚木平和会館から、抜粋引用。

 私たちは、朝晩勤行します。
 二座の御観念文は本尊供養です。
 「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り報恩感謝申し上げます」。
 この二座の本尊供養のときに、この本尊を自分のことと思ってやっていますか?
 みなさん「仏壇の中の御本尊」だと思っていませんか?そ
 ういう人を指して大聖人は、「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書P384)とおっしゃられている。
 すなわち、法華経じゃないんです。
 また別の御書でも、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書P1244)。
 此の御本尊は「胸中の肉団に」、自分の生命に、「おはしますなり」と勉強したはずですが、実際勤行をする時は自分の生命の外に置いていますね。
 不思議なんです。学んだこととやっていることが違うんです。
 ~引用終わり~

 創価学会のドクター部と言う、知的集団の会合で、以上の内容の講演がなされた。
 将来こういう教義が創価の根幹に座りますよ。
 

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