日本戦略研究所


 「日本人の常識」取り戻せ (石原慎太郎、関口徳高「正月対談」)  

2003/01/04 (産経新聞朝刊) ウエーブ産経 正月対談(1)

東京都知事・石原慎太郎氏佛所護念会教団会長・関口徳高氏 

「日本人の常識」取り戻せ 

政治家も痛みと覚悟の時歪んだ対中姿勢に自省なし/ご都合主義の“人道外交” ( 1/ 4)

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 政治の混迷、経済の停滞に加え、北朝鮮の日本人拉致事件への対応など、平成十五年は国家としての日本の覚悟がいや応なく問われる一年となろう。年頭に当たり、東京都政を通じて国政の変革に挑み続ける石原慎太郎知事と、宗教者として国の安泰を祈って活動を続ける佛所護念会教団の関口徳高会長に、日本再生の道筋を大いに語り合ってもらった。

 関口徳高 すべてが後手後手に回っているという感じがします。小泉政権を見ていると、「構造改革なくして景気回復なし」などとスローガンは威勢がいいけれども、難局を打開していくという真の気概が感じられません。肝心の政治責任が棚上げされたままです。国民に痛みは求めても、国会議員や官僚は痛みを分かち持とうとはしていない。

 石原慎太郎 政治家は党利党略、官僚は省益局益ばかり目が行って、すべて、保身。本質的な問題は先送りされたまま。それが一体いつまで続くのかといった感じですね。

 関口 国民の信任を得たいと思うのなら、私はまず国会議員の大幅な定数削減をすべきだと思っているんです。米国は日本と比べて国土面積が約二十五倍、人口が二倍ですが、議員定数は衆議院に相当する下院が四百三十五、参議院に相当する上院は百でしかない。対する日本は衆議院が四百八十、参議院が二百四十七とかなり多い。衆参両院とも比例選出を全廃するくらいの決断をしてほしい。

 石原 議員の数は今の半分でいいし、一院制でいいんじゃないですか。国会中継も年中やっているし、多メディア時代を迎えて国民もいろんな形で情報を得られるようになっている。二院制が求められた時代と明らかに状況が変わってきています。ただ、昔の参議院全国区みたいな制度は良かったと思うんです。全国区というのは一地方とか、細かい内政ではなく、外交や安全保障といった国全体にかかわる問題を国民に訴えることができた。だから全国区と地方区に分けて一院にすれば、議会の機能としてもバランスがとれたものになり得るし、効率化も図れるでしょう。

 関口 民間企業は血を流すようなリストラをしているんですから、国会議員が定数削減して、率先して範を示すのは当たり前だと思います。そうすれば国民も共に痛みに耐え、日本再生のために頑張ろうという気になるんじゃないですか。国会議員の数が減り、資質が向上すれば、官僚機構や特殊法人も自然とスリム化、少数精鋭化に向かっていく。そう思うんですが、これは甘すぎますか。

 石原 やはり政治家の覚悟と決断の問題だと思います。森喜朗くんが首相のとき、「このままでは次の参院選は惨敗する。何か知恵を貸してくれ」と言われて、「せめて都市で点数を稼ぐことを考えろ。そのためには大気汚染の問題に取り組むことだ。〈花粉症は私が治してみせる〉とアピールしてやったらいい」と言ったら、「治るのか」と言うので、「国が排ガス規制を決めて取り組めば必ず改善する」と。

 ところがひと月くらいたって状況を聞いたら、「環境省と国交省、経産省がごちゃごちゃになって、縄張り争いで意見が対立して、ちっともうまくいかない」と言うから、「今かぎり日本で一番偉いんだから、役所を強引にでも束ねたらいいじゃないか。国民のために必要だと思えばそうするのが総理大臣じゃないのか」とハッパをかけた。それでも「いや、なかなかそうはいかない」(笑)。

 関口 官僚の上にあって国のかじ取りをするのが政治家の役目なのに、総理大臣ですらその下僚である役人たちをコントロールできない。

 石原 結局、役人がこの国を牛耳っているんです。さらに悪いことに役人にまったくその反省がない。老人福祉を食い物にして捕まった旧厚生省の事務次官がいたけれど、収賄ほど露骨でなくとも、そういう手合いがこの国を蝕(むしば)んでいるんです。

 昔、司馬遼太郎さんと一緒に、何度か講演旅行をしました。司馬さんは、「日本は変わらんな。全く変わっとらんなあ」と言う。「太政官のころと同じじゃないか」と。

 明治憲法が発布され内閣制度ができる以前の太政官という官僚制度に、その後の中央集権・官僚統制国家という日本は発している。それは今日も本質的にはまったく変わっていない。私もまったくその通りだと思いました。

 古くから日本にいるタス通信の記者が私の所にやってきたとき、「世界で一番成功した社会主義国はどこだと思う」と聞いたら「はあ」と言うから、「それは日本だよ」と言ったら、「まさにそうです。日本はわれわれがめざして失敗した非常に有効な官僚統制の中央集権国家をつくった。それは認めますが、日本はまだそれをやってますね」と(笑)。それから、「ペレストロイカで社会主義体制が崩壊するころのソビエト共産党と、このごろの自民党はよく似ている。本質的なことが何も分かってないし、大きな時代の流れが分かっていない」と言うから、「そうだな」と私も答えざるを得なかった。その分かっていない政治家が、省益局益しかない官僚たちに使われているのが今の日本の惨状です。

 関口 その官僚たちがまだしも日本国のことを思ってやっているとすれば、多少理屈も立つかもしれないけれど、官も民も挙げて、例えば中国に根拠もなく平身低頭してしまう。過度の遠慮をしている。企業は市場の大きさに目くらましされたように競って中国に進出していき、それが国内のデフレに拍車をかけています。産業の空洞化現象を起こして失業率は過去最悪の数字を示している。昨年十一月末の時点で5.5%ですか。国家と国民の真の利益を考えれば、これでいいのかという問いかけをもう一度きちんとすべきです。

 それから、北朝鮮による日本人拉致事件を金正日総書記が認め、多くの日本国民が怒りと悲しみに打ち震えているさなか、日中友好三十周年の祝賀記念行事ということで、与党の国会議員八十五人が、一万三千人余りの日本人ツアー客とともに北京を訪れた。もとより日中友好に反対するわけではありませんが、この対照的な光景は、やはり今の日本の歪(ゆが)んだ姿勢を象徴していると言わざるを得ない。いっときの利益のために過去から未来へとつながる悠久の日本が損なわれている、という自省があまりにないと思います。

 石原 本当にそうした感覚はなくなってしまいました。ただ国際関係の中で、ああいう北朝鮮のような邪悪でグロテスクな国があるということを、同胞が現実に被害にあったのだという認識を、日本人が明瞭(めいりょう)に持ったというのは不幸中の幸いで、これを踏まえて日本人は何を取り戻していったらいいのか。多少ともわが身のこととして考えるよすがにはなったと思うのですが。

 関口 その思いをどう指導者が糾合(きゅうごう)していくかですね。それからこの悲劇にかかわる歴史的責任をきちんと問うこともしていかなければならない。昭和三十四年から五十九年にかけての「北朝鮮帰還運動」では九万三千人余りが北に渡ったといいます。その人たちが今どのような境遇にあるか。恐らく大多数が悲惨であるのは間違いないでしょう。北朝鮮を“地上の楽園”のように賛美し続けてきた人たちの責任は重い。知らん顔をさせてはいけない。

 石原 拉致被害者も日本人妻も、北朝鮮に幽閉された状態からどう救い出すか。帰還運動にかかわった旧社会党や共産党、「朝日新聞」や「世界」といったメディアや日赤などの公的機関にとって、それこそ“人道上の問題”として一刻も早く解決されるべき問題のはずですがね。

 関口 今、必要なのはもろもろの力を束ねて事を進めていく強力なリーダーシップだと思います。それは日本人としての精神の構えはどうあるべきかという根本の問題に行き着く。

 昨年十一月、慶応大学の三田祭(学園祭)に、学生有志が台湾の前総統・李登輝さんを講演に招こうとしましたね。私は慶応大学の出身で、学校側の協力が得られず李前総統を招請できなかったことを大変残念に思っています。その後、産経新聞に講演原稿の全文が載りましたが、演題は「日本人の精神」で、戦前の台湾で農業近代化のため水利事業に尽力した八田與一という日本人技師の生涯を引いて、今の日本の若者に先人が示した「日本精神」に誇りを持って生きるよう語りかけたものでした。

 台湾には私どもの教会もあり、私も李前総統と会ったことがありますので、この「日本精神」を取り戻せという訴えには親身なものを感じました。「日本精神」といってもそれは特別なイデオロギーではなく、かみ砕いて言えば、勤勉で向上心があり、正直で約束を守る。公に奉仕することを厭(いと)わない、といった当たり前のことです。この当たり前のことが、若者に限らず今の日本人から失われていることが、私はすべての問題の根幹にあると思うんです。

 石原 李登輝さんの話というのは、それ自体若い日本人を激励する素晴らしい内容だと思いますけれど、本来ならわれわれがすでに語ってこなければならなかったことです。それをわざわざ元日本人の李登輝さんを招請しなければというのでは−私は李登輝さんをとても尊敬し親しくもあるんですが−、何か逆にあまりに詮(せん)無いという気もします。

 最近の日本では、一方で「人道」だとか「人権」だとか騒ぐくせに、総統を退任して二年過ぎた李登輝さんの、半分故国のような日本への訪問を、訳の分からない理由で拒否することの非人間性というのを、慶応大学にしろ外務省にしろ、日本人としていったいどう受け止めているのか。

 その一方で人道援助と称して、拉致事件の国家間交渉のさなかに、外務省の外郭団体(日本外交協会)が、使途の監視手段もないまま、都など全国の自治体から譲り受けた非常用の備蓄食糧を北朝鮮に送っていました。協会の専務理事が中学時代からの付き合いという埼玉県の遊技業協同組合の理事長からの要請を受けて、外務省からの支援見合わせ要請を無視して行ったという。いったい彼らは誰に対する忠節で「人権」とか「ヒューマニズム」を口にしてるんでしょうか。

 関口 残念ながら日本ではないでしょうね。やっぱり、次の世代をきちんと育てることしか日本に活路はないと思います。

 石原 どういうふうに育てますか。

 関口 迂遠(うえん)なようですが、まず家庭内で当たり前の躾(しつけ)をすることではないでしょうか。きちんとあいさつできる、家の手伝いができる、神仏を敬う感覚を持っているとか、かつて常識だったはずのことを子供に身につけさせる。もちろん、そのためには家族のありようも見直さなければいけない。戦後ずっとやってきた核家族で果たしてよかったのか。

 わが家は三世代同居です。いろいろ面倒なこともありますが、そろってご飯を食べるだけでも、“個食”では得られない家族の時間があります。それは大仰ではないけれど、積み重なったときに自然と強い家族の絆(きずな)の形成につながっているのではないか。そんな気がします。かつての「当たり前」を見直すことが大切だと思います。

 石原 親子三世代で住むというのは、子供や孫にとっても随分得なんですね。金銭ということじゃなくて、孫の病(やまい)の手当ての仕方等々、おじいちゃん、おばあちゃんの経験というのは貴重だし、家庭とはそもそもそれが自然と引き継がれていく場所だったはずなんです。

 関口 同感です。そうした日常の上に、少し「鍛錬」とか「修行」といった要素を付け加えてやる。学校教育はそうあるべきですね。〈鉄は熱いうちに打て〉の言葉どおり、鍛えるべき時機に子供たちを鍛えてやらないのは大人の怠慢、子供に対する罪だと思います。うちの教団では毎年五月から七月末にかけて、身延山団参といって、日蓮宗総本山身延山久遠寺に参拝しています。真夜中に起き出し、かなりきついんですけれど、昨年は二万人近い信者が参加してくれました。

 それから先人の歴史をきちんと教えることです。先人が苦闘を積み重ねてくれたおかげで今のわれわれがある。日本の過去には誤りがなかったなどとは言いませんが、現在の価値や基準だけで一方的に先人の行いを裁くような思い上がりを子供たちに植え付けてはいけない。先祖に対して敬虔(けいけん)な気持ちがなければ、子孫に対する責任感も生まれてきません。

 石原 垂直の倫理観、それをさらに芯で支えている垂直の情念をどう分身に持続させるかということですね。今、この世に生きている日本人だけではないという意識、過去の日本人と未来の日本人を結び付ける所に自分は立っているのだという責任感、これを涵養(かんよう)し、回復させる。

 関口 「宗教教育」と大上段に構えなくても、石原さんが今おっしゃった垂直の倫理観というのは、たとえば朝夕仏壇に手を合わせるというようなことから養われてくるのだと思います。そうした当たり前の感覚、日本人の常識を取り戻していくことが、地味ですけれど日本再生のカギではないでしょうか。私たちの教団は靖国神社への参拝もします。それに違和感を抱く人たちもいるようですが、国のために命を投げ出した人々への慰霊は、これまた当たり前のことでしょう。

 ≪いしはら・しんたろう≫ 昭和7年兵庫県生まれ。一橋大学卒業。昭和30年『太陽の季節』で芥川賞受賞。43年参院議員初当選。47年衆院議員初当選。以後、環境庁長官、運輸大臣を歴任。平成7年、在職25年を区切りに衆院議員辞任。平成11年4月東京都知事に当選。

 ≪せきぐち・のりたか≫ 昭和10年東京都生まれ。33年慶応義塾大学卒業。35年5月佛所護念会教団本部に勤務。同8月初代青年部長。39年教団理事に就任。55年教団責任役員(常務理事)、60年副会長、平成2年、二代会長関口トミノの死去にともない三代会長に就任。

 ≪佛所護念会教団≫ 昭和25年、関口嘉一によって設立。法華経見宝塔品に示される平等大慧、教菩薩法、佛所護念の精神を中心に法華経による在家先祖供養を行い支部を中心に布教活動を行う。教団設立直後から毎年伊勢神宮参拝を行うほか、38年から神宮の式年遷宮の奉賛をすすめ、明治神宮・靖国神社への参拝も行っている。  

 

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