昨日のドラゴンボールの記事にたくさんの反響いただいてます。ありがとうございます。この記事はずっと頭の中でこねくり回していたことをようやく形に出来た、という記事だったので書けたこと自体が嬉しかったし、コメントいただくのも凄く嬉しい。
なんて思ってたら、ぼくよりも4年も先に似たようなテーマで論じられている記事をご紹介いただきました。なにー!
『ドラゴンボール』の悟空と碇ゲンドウの共通性について - tyokorataの日記
(執筆者ご本人様からもブコメいただいてます。感謝!)
なんとなくシンクロニシティを感じなくもありません。
折角なので昨日の記事の補足的にいくつか書いていきたいと思います。
「碇ゲンドウ」と「孫悟空」は似ているのか
上の記事のタイトルにありますが、エヴァンゲリオンの碇ゲンドウと悟空は似ているのでしょうか。
確かに、「初号機に乗って戦わなければ人類が滅びる」というロジックで戦いに積極的でないシンジを初号機に乗せたゲンドウと、「お前がセルに勝たなければ地球は終わり」というロジックで悟飯を闘わせた悟空には共通するものがあるように思います。あくまで「セルゲームに限定すれば」という条件付きではありますが。
しかし、両者の「結果(=子供に自らの理屈を押し付けること)」は同じであっても、そこに至るまでの過程と行動原理はまるで別物であるということは、押さえておくとまた違った見方が出来るかもしれません。
ただひたすら他人が怖かったゲンドウと、対照的な悟空
碇ゲンドウは、シンジに「初号機に乗って戦うこと」を押し付けるだけ押し付けて、父親らしいコミュニケーションなどは何一つ取ろうとしませんでした(一回だけ「頑張ったな」と褒めてあげたくらい)。メンタルケアは全て部下であるミサトに丸投げ。息子を一体なんだと思ってるんだ。
しかしそれには理由がありました。旧劇場版「Air/まごころを、君に」で、ゲンドウは死の間際になってようやく息子をどう思っていたのかを露わにしました。
「俺がそばにいるとシンジを傷つけるだけだ。だから、何もしない方がいい」
「シンジが怖かったのね」
「自分が人から愛されるとは、信じられない。私にそんな資格はない」
「その結果がこの有様か」
「すまなかったな、シンジ」
自分が人から愛されることが信じられない。裏切られるのが怖い。そういう理屈でゲンドウはシンジを拒絶し、ただ目的のために利用するだけの道具にしようとしたのでした。
そこにあるのは、他人に対する根源的な恐怖と絶対的な拒絶です。正しくディスコミュニケーション。
では、悟空はどうでしょうか。
普段の生活を見てみればゲンドウとシンジの関係とはまるっきり対照的です。普通に会話もできるし、釣りにも行ける。なんなら二人きりの世界で一年間生活することだって出来ます。
よく悟空は「人間らしい感情がない」なんて言われがちですけど、個人的には全然そんなことは思いません。むしろ悟空はある程度は父親の役割を果たしていると思うし(働いてはいないかもしれないけどw)、息子とのコミュニケーションにも問題はありません。
では、そんな良好な親子関係がなぜあんなことになってしまったのか。
ぼくは逆に「そんな良好な親子関係」だったからこそ、ああいう状況が起きてしまったんじゃないかと考えています。
良好な親子関係に潜んだ「押し付け」と「擦れ違い」
人間関係が近くなると、段々相手の考えることがわかるようになってくる。そういうことを感じたことのある人は多いんじゃないかと思います。
あいつはこういう奴だから。こいつはこういう時にきっとこう考えているんだろうなぁ。あなたはこういう人でしょ?
関係が近くなればなるほど、その推量の精度は増していきます。友達、親友、恋人、配偶者、そして親子。近くなればなるほど、相手を自分と同じ存在であるかのように感じてしまう。
しかし、それはあくまでも錯覚です。自分と同じ存在なんていない。相手が自分と同一なんてことはあり得ない。どんなに長く連れ添った相方でも、親子であったとしても、あなたとぼくは違う存在なんです。
(↓関連リンク↓)
他人はちっとも自分を理解してくれない、と思った時に読む話。 - Fuzzy Logic
近くなればなるほど、その錯覚は強さをましていきます。時には「押し付け」を「押し付け」と、感じなくなってしまうほど。
親の側も、子の側も、違和感を感じないまま、それでいてどこか擦れ違ってしまう。その様は他人の目から見たら、時に異様に映ります。ピッコロが感じ、指摘したのは、正にその擦れ違いでした。
悟飯の側からも、父の「押し付け」を「押し付け」とすら感じていなかった可能性もあります。「なぜボクを助けてくれないんだろう」と悟飯の気持ちを推察したピッコロの言葉は、あくまでピッコロの推量に過ぎません。お父さんがああ言ってるんだから、お父さんの言うことが正しいんだから、出来ないのはボクが悪いんだ、とすら思っていたかもしれません。
親の側も、子の側も、違和感を感じていないのなら、それはそれで正しい親子関係なんでしょうか。傍から見て異様だったとしても、所詮他人の戯言です。「ウチの教育方針にクチを出すな」と、悟空がピッコロを一喝する一手もあり得たかもしれません。
(余談ですが、「巨人の星」で言う星一徹と星飛雄馬の関係なんかそうなんじゃないかなと思いました。息子にあんなギブス嵌めさせてる親は虐待で逮捕されてもおかしくないだろうし。微妙かな?)
悟空も「押し付け」と思っていなかった。悟飯も「押し付け」とは思っていなかった。ならそれは正しいのか。
ぼくにはわかりません。しかしその「一つの答え」が悟飯のあの姿なんじゃないかとぼくは思います。
悟飯
何をしている
とどめだ!!!
すぐにとどめをさせ!!!
もうとどめを?
ふふ…まだはやいよおとうさん
あんなやつはもっと苦しめてやらなきゃ…
親子関係が正しくても、出てくる結果が正しいとは限らない。
碇ゲンドウはシンジに対して良い父親ではありませんでした。親子関係という言葉を使うのも憚られるほどに関係は崩壊してしまっている。しかし、仮にゲンドウが他人への恐怖を克服したら、シンジへの素直な気持ちを言葉に表すことができていたら、何か変わっていたのかもしれません。
孫悟空は悟飯に対してそれなりに良い父親でした。コミュニケーションも良好で、趣味(格闘)も共有できる、尊敬し合える親子関係。しかし。
悟空は一体何を間違えたのでしょうか。もしかしたら何も間違えてないのかもしれない。でも結果的に、悟空は自分の生き方を息子に「押し付け」てしまい、息子はその「押し付け」を間違った形で受け取ってしまった。
親子関係が正しくても、出てくる結果が正しいとは限らないわけです。
じゃあどうすればいいのか。親は子に何を伝えればいいんだろうか。
ぼくにはまだわかりません。
もしかしたら一生分からないままかもしれない。
だけど、こうして繋いできたものを、ぼくらは連綿と後世へとつないでいかなければならない。
そのためには考え続けなければならない。下手をすれば一生。
答えなんかない。
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