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キャンプファイヤーの周りでたむろし、たき火を棒で突く人々。ほぼ裸の状態に素足で地を歩き、頭にタバコやパイプを入れたバスケットを持つ。
彼らの身体には無数のタトゥーがあり、そのタトゥーの数は彼等が他部族を殺し、頭を落とした数に比例する。彼等にとって、そのタトゥーの数は栄光なのだ。タトゥーが増える日、彼等は犬を一匹殺し、食べる事で戦士を称える。
フィリピンの土着民族であるイゴロテ族のこういった姿を見る事が出来たのは、彼等が暮らしていた北フィリピンルソンではなく、アメリカ・コニ―アイランドにある「ルナパーク」というアミューズメントパークだ。
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ルナパークでのイゴロテ族は、まさに人間動物園そのものだった。柵の外からイゴロテの人々を見る観客はまず、イゴロテの長からの説明を聞く。彼がイゴロテの生活を観客に伝えるのだ。
その後、園長兼マネージャーのトゥルーマン・ハント医師が観客に向けて説明を行う。それが終わると、イゴロテの人々は重い太鼓の音と共に踊りまわり、観客を魅了するのだ。
イゴロテ族の正式名称はボントック・イゴロテである。1905年の夏、彼らを見る事が出来る、このイベントは世界中で爆発的なヒットとなった。
世界中からメディア記者が押し寄せて来た。そこには有名なニューヨークタイムズ紙、ワシントン・ポスト、AP通信、ヴォーグ誌、さらには人類学者やアリス・ルーズベルト大統領の娘、テディ・ルーズベルトの姿もあった。
この人気をの後押しをしたのは他でもないマネージャーのハント氏による虚実によるところも多い。イゴロテ族は確かに「首狩り族」であり、その栄光を称える為に犬を狩り、食した事も事実である。しかし、1905年当時に作り上げられた話の中で彼等は首狩り族であると同時に、食人族であるともされていたのだ。
だが、イゴロテ族の人気はある日を境に終焉した。マネージャーであるハント氏が逮捕されたのである。その経緯について語る前に、イゴロテ族とハント氏の出会いから書かなくてはならないだろう。
以下に記載するのはトゥルー・ハントマンとイゴロテの人々の出会いから終わりまでの出来事を書いた、「The Lost Tribe of Coney Island」という本の一部である。この本は10月14日より発売されている。
大人気を誇ったイゴロテ族の見世物小屋
フィリピンでは自由に自然の中を駆け巡っていたイゴロテ族だったが、コニーアイランドでの彼等は違った。日中は大衆の見世物にされ、閉園と共に柵のカギは閉められる。
彼らが暮らしていた空間には幾つかの家が存在しており、中に入ると薄暗い、土で固められた地面が待っている。それぞれの空間には一つだけ大きな塔が存在しており、その塔からイゴロテ族は敵部族が近づいてきていないかの確認をするそうだ。
この塔に関してイゴロテ族は「(敵が来ることもないのに)何故必要なのか?」と疑問に思ったそうだが、西洋文化に詳しかったイゴロテ族の付き添いであるバリナグさんだけは「見世物としての面白さを上げる為だろう」と理解していた。
日に日にルナパークの入園者は増え、イゴロテ族は見世物として成功を収めていった。しかし同時にイゴロテ族の伝統と風習は無残にも食い荒らされていったのだ。
犬を捕食する「英雄を称える祭り」が客に受けると知ったハント氏は、イゴロテの人々に「毎日犬を食べるように」強要したそうだ。その命令に従う事でイゴロテの人々の注目はより広がる事となった。それにより、ホワイトハウスを含めるアメリカ全土にまで彼らの名前は広まる事となった。彼らを一目見ようと、全米各地から入園者が訪れた。
入園者はイゴロテ族に対して、下着やキャンディー、タバコ等のプレゼントを頻繁に行った。時には「あなたの子供を養子にしてやってもいい」という事をイゴロテ族に言い始める入園者までいたほどだ。
彼らのプレゼンテーションに見惚れた人々からのプレゼントは時にネックレスやダイヤモンドという高価な物にまで及んだ。ハント氏はこういった場合、右腕であるカラーン氏を送り込んで、宝石を拾いに行かせたそうだ。ハント氏はイゴロテ族に「宝石はあなたたちの分け前と同じ場所に隠してあるから大丈夫だ」と言ってごまかした。勿論これは嘘である事が後に発覚するわけだが、イゴロテ族の人々はハント氏を信用していた。
ハント氏の野望
夏が終わる頃、ハント氏の懐はイゴロテ族がもたらす収益で潤っていた。彼と彼の一回り離れた若い妻「サリー」はニューヨークで最もいい土地に暮らし、クラブ通いをしていた。ハント氏はサリーを溺愛しており、かなりの大金を彼女に貢いだと言われている。
8月の終わり、イゴロテの人々は初の「園内での出産」を行った。この時の反響は凄まじい物で、ハント氏は時の人となった。マサチューセッツからマンチェスター、イギリスまで、マスコミを通して多くの人々にこの話は知れ渡る事となった。ハント氏はこの時、神にでもなった気分だったのだろう。
ある晩、ハント氏はバリナグさんを呼び出し、提案を行った。バリナグさんに園内の管理を任せ、ハント氏はイゴロテ族の半数を連れてメンフィスへと向かい、そこでショーを行うと言い始めたのだ。そしてついに、その計画が実行される事となった。
イゴロテ族の人々は自分たちが離れ離れにされなど考えたことも無かっただろう。仲間と引き裂かれた彼らの心は強く傷つき、彼らは自らが置かれている現状に対して疑問を持ち始めた。時にイゴロテ族は「未だに給料が一度も支払われていない事」や「風習や伝統を捻じ曲げられた事」に対してハント氏に異議を唱える一面もあったが、ハント氏はこの話題が出るたびに苛立ちを露わにした。
メンフィスでもイゴロテ族のパフォーマンスは大ヒットとなった。ハント氏はこの成功を元に更に野望を高めていった。ハント氏はニューヨークに残していった残り半分のイゴロテ族を更に半分に引き裂き、片方をカラーン氏に任せる事で二手に分かれ、アメリカ全土のツアーを行う事を画策したのだ。
イゴロテ族はアーカンソーからテキサス、ルイジアナ、フロリダ、カンサス等50の町々でパフォーマンスを行った。
終焉
部族を分断され、各地を巡業させられたイゴロテ族の不満は頂点に達し始めていた。1905年の終わりには「本国へ返してくれ」とハント氏に嘆く一面も見られた。しかし、ハント氏は「あと数公演だけ終えてから帰してやる」と約束をし、その場を逃れた。
約束から数日後、不満は更に膨れ上がった。イゴロテ族はフィリピンに残した家族の心配をし始めていたのだ。本国に残した家族には一年分の食糧を残して行ったが、一年たった今、彼等は家族が食糧難になっていないか強く心配していたのだ。
1906年5月、ハント氏は更に18人のイゴロテ族をシカゴへと連れ行く事を打ち明けた。この時の18人の生活は特にひどく、たった三つのテントで18人が寝泊まりし、地面は泥沼で、頭上にはローラーコースターが回り、毎日彼らを恐怖で萎縮させていた。
この18人のうちの1人があまりの恐怖と酷い生活基準に「アメリカ合衆国旧陸軍省」へ現状を記した手紙を送った。その結果、ハント氏の悪事は明るみに出る事となった。
アメリカ合衆国旧陸軍省は優秀なエージェント「フレデリック・バーカー」氏をシカゴへと派遣したが、この事を聞いたハント氏はシカゴから逃げ出した。この日から陸軍省とハント氏のイタチごっことなったが、遂に1906年10月ハント氏は御用となった。
ハント氏は9600ドル以上の金を横領しており、イゴロテ族がハンドメイドで作った装飾品から儲けたお金も暴力で奪い取っていた事も発覚した。その後、バリナグさんとその妻マリアを含める5人のフィリピン人がハント氏の裁判を傍聴したそうだ。
一世一代の大勝負と願い行ったフィリピンの人々のアメリカンドリームは辛い現実と共に、消え去ってしまった。彼等は有名にはなったが、大金を手に入れる事は出来なかったのだ
この話はなぜかアメリカ人の話題から忽然と消えてしまったそうだ。その理由として、「新しい娯楽を見つけたから」という物があるが、もう一つの答えは「アメリカ全国民がこの件を恥じたから」と言う点もある。真相はわからないが、決して忘れるべきではない、一つの史実である。
via:dailymail・原文翻訳:riki7119
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コメント
1.
2. 匿名処理班
こりゃ日本が国際連合で人種差別撤廃を訴えても受け入れられるものではなかったな。
つい100数年前のこと。
3. 匿名処理班
日本にも似たような話があるよ。
N.ヴィシネフスキー (著『トナカイ王―北方先住民のサハリン史』
樺太の先住民集落・オタスの杜で「トナカイ王」と呼ばれたヤクート人ヴィノクーロフ氏が、故郷北シベリアのヤクーチア独立に向け日本の支援を求め活動した。
4.
5.
6. 匿名処理班
これはアカン(;_;)
7. 匿名処理班
覚えてないor知らないアメリカ人って多そうだなぁ
8.
9. 匿名処理班
うわー。なんか・・・なんつーか・・・内容が衝撃的すぎて
自分の中に起こった感情が何なのかすら把握できない
くらい混乱してるわ・・・
10.
11. 匿名処理班
※2
人類館事件って…知ってるかな?
12.
13. 匿名処理班
でもこういうことでしか金を稼げない人にとったらなぁ
珍しい奇病とか見世物小屋で金になってたらしいし
14. 匿名処理班
グレンデール市長は何を思うか
15. 匿名処理班
ほんと人間っていろんな失敗してきてるなぁ…。無知が罪にもなりかねないのはこういうのを知らずに助長しちゃうからだよね。
16. 匿名処理班
イゴロテ族はこの後どうなったんだろうな
多少なりとも文明に触れたんだから狩猟とかに戻れるかは微妙だし
17. 匿名処理班
小人プロレス面白かったんだよ、ドリフにも出て笑わせてもらった
でも彼らは人権問題とかで活躍の場を奪われたんだと
俺達が輝けるのはプロレスだったのに…どこかで読んだインタビューが忘れられないよ
主催者側がボリ過ぎておかしくなるんかね
18. 匿名処理班
まさに外道
19. 匿名処理班
映画とかになってそうな話だな
20. 匿名処理班
この件は契約不履行と補償もなかった事が問題だったけど
当時は日本を含め各国で行われていた、と
今もテレビや何かで同じ事してるけど何が違うんだろうね
21. 匿名処理班
昔はこれでも当たり前だったのかも知れんが、
今で考えると恐ろしいよな。。。
今の当たり前も百年後の知識の深まった世界では
恐ろしい事をしているのかも知れないな
22. 匿名処理班
見世物として「特異な習慣や文化」を出したのなら、
その実態は怪しいものだ。
ジョセフィン・ベーカーという黒人歌手がいた。
彼女はフランスでバナナを腰につけた”ドレス”で踊った。
人々は彼女こそ文明に毒されていない純粋な、アフリカ文化の体現者だと賛美した。
しかし彼女はアメリカ出身の、ごく普通の人間だった。
奇抜なドレスで踊ったのも、
フランス人が”そういうもの”を求めていたからやったに過ぎない。
23. 匿名処理班
胸くそ悪い話だなぁ。
でも、倫理なんて作られたもんで人間の真理なんてこんなものなのかもしれん。
自分もまたしかり
24. 匿名処理班
日本国内でも内国勧業博覧会でやらかしているし、
もう少し時代が遡るが戦国ぐらいまでは奴隷貿易で売り飛ばされる日本人もいた
あの時代は西洋人から見たら、極東の日本なんて人間扱いしてないしな
決して日本と無関係な話ではないんだ
25. 匿名処理班
今でもやってるじゃん。リアリティーショーがまさにそれ。
気づいてないかもしれないけど、若い男女を追うドキュメンタリー番組で人気だった とかも同じだよ。他人の生活を見せ物にして、それでお金を稼いでる。何も変わってないよ。
26. 匿名処理班
黒人の奴隷制度が廃止されたときアメリカ人はアジアに新しい奴隷を探した。日本人も含くむ。日本人は切腹したりして抗議したってこの前本で読んだ
27. 匿名処理班
つい20年くらい前の日本のテレビ番組も外国の少数民族にありもしない風習を捏造してやらせてテレビで見世物にして流してたな
現地では日本から観光客が来るからと番組が終わって10年以上過ぎてもずっとその風習を続けてたそうだ
28.
29.
30. 匿名処理班
※17
あんま知らないから偉そうなこと言えないけど小人プロレスの人たちはプロだったんじゃないかなぁ。
イゴロテ族の境遇はあまり「プロ」といえるものではないと思う。
31. 匿名処理班
許されないことであると同時に、自分達も同じことをしていないか、考えてみる必要がありそうだ
32.
33. 匿名処理班
動物とおんなじ扱いだね。
それでも夜は明けるって映画見たけど、黒人の扱いは家畜並みだった。
自由の国は何でもありって感じだ。