作業員、早朝の大移動/原発へ除染へ 覚悟胸に/現場へ・フクシマの素顔
福島第1原発から南へ20キロちょっと、国内最大級のサッカー施設だった「Jヴィレッジ」にも遠くない。福島県広野町の国道6号沿いにあるその食堂のお客さんは大きく様変わりした。
午前4時すぎ、気温10度を切る暗闇に、ぽっかりと、その食堂の明かりが浮かんでいた。
<食事は黙々と>
利用するのは専ら、第1原発の構内で働く作業員だ。元請けは、汚染水タンクの基礎工事を受注した大手ゼネコン。食堂の目の前や周辺に窮屈に立ち並ぶアパートに約160人が住む。
一人、また一人と食堂に入っていく。食事はバイキング形式。ソーセージや焼きザケ、サラダなどを黙々と口に運ぶ。食器を返却口に戻し、小さな声で「ごちそうさま」。足早に部屋へと戻る。おかみは「以前は、大会や合宿でJヴィレッジに来た子どもたちで、にぎやかだったんだよ」と言いながら、調理に追われた。
空が白んだ午前5時半ごろ、大型バスやマイクロバス10台が次々と横付けされた。作業員が乗り込む。第1原発まで約40分の通勤が始まった。
第1原発ではいま、1日6000〜7000人が働く。南隣の富岡町では約2200人が除染作業に当たる。早朝の大移動。作業員の宿舎やホテルなどがあるいわき市、広野町から第1原発へと続く国道6号はもう、バスやワゴン車、大型トラック、ライトバンなどが数珠つなぎだ。
午前7時、楢葉町の6号沿いのコンビニエンスストアに入ると、作業員でごった返していた。車のナンバーは旭川、富士山、品川、三重…。カメラを肩に掛けていたら、レジの長い列に並んでいた男性に手招きされた。
「これが福島の現実だ。撮ってくれ」
<2000台乗り入れ>
午前7時半、Jヴィレッジに向かった。11面あった天然芝のグラウンドは、巨大な駐車場と化している。
国道6号から、マイカーやワゴン車がかつてのピッチに次々と乗り入れる。その数2000。作業員は、ここから大型バスで原発にピストン輸送される。正面玄関に多いときは100人ほどの列ができた。バスは第1原発とJヴィレッジ間を1日約90往復するという。
福島の復興は、第1原発の事故収束と廃炉、除染の進展なしには成り立たない。6号沿いのコンビニで出会った原発作業員(47)は「東京から来た。放射線への恐怖心はある。それなりの覚悟がないと、ここには来られない」と言った。
青森県から来た除染作業員(69)は語った。「技術者が足りないと聞き、力になりたかった。母が半年前に亡くなり、1人になったので、福島に駆け付けた」
作業員が担う役割の大きさと、早朝の混沌(こんとん)。原発事故は終わっていない。
<記者の一言/生活環境改善策を>
広野町やいわき市にはプレハブの宿舎がいくつもある。過酷な現場で働く作業員は生活環境も厳しい。一方で作業員が絡む事件も多く、生活マナーには地元で苦情も出る。廃炉作業は30〜40年続く。取り巻く環境の改善に、腰を据えた施策が必要なのではないか。(福島総局・藤井宏匡)
2014年10月24日金曜日