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 69年前の宮崎・延岡大空襲で、国民学校で教鞭(きょうべん)を執っていた25歳の日系2世の女性教師が犠牲になった。その妹が英語で彼女の生涯をつづった本が親族の手で日本語に訳され、ゆかりの学校などに寄贈された。親族らは「平和や人権などさまざまなメッセージをくみとって欲しい」と話している。

 太平洋戦争末期の1945年6月、米軍は宮崎県延岡市を空襲した。3765戸が被害を受け、130人が即死した。犠牲者の中に、安賀多国民学校(現・同市立延岡中学校)の教師だった栗田彰子(あきこ)さんがいた。

 栗田さんは日本語学校の教師になるという夢を抱き、日米開戦前の38年に母方の実家がある延岡市にカナダ・バンクーバーから越してきた。文化の違いに戸惑いながらも、宮崎県女子師範学校(現宮崎大教育文化学部)を卒業。安賀多国民学校に就職した。空襲があった45年6月29日未明、栗田さんは校舎の火を消そうとして焼夷(しょうい)弾の直撃を受けた。

 本の題名は「栗田彰子の生涯 愛はすべてを解決する」(A5判、128ページ)。栗田さんの妹、永井ヨシ子さん(故人)が90年代半ばに英語で執筆した冊子を、親戚で宮崎市職員の荒武千穂さん(56)が日本語に翻訳。いとこの白石徳美(のりよし)さん(81)=延岡市=が中心になって出版した。