情けない話ですが、歴代首相で安定政権を築いた人達は
党内を制することが最も重要だったのです。
味方の足を引っ張ってでも、コップの中の争いをしてでも自分がポストを取るとか、
自分より当選回数も年齢も下なのに先を越したのが許せないとか
そういうので同じ党内であっても陥れるという事をするのが居ます。
小泉純一郎が郵政民営化を実現するまでに5年かかりましたが、
これだってその間に徹底的に田中派を切り崩して森派を最大派閥にして
党内を押さえ込む事ができたからです。
その逆に福田内閣で行革大臣だった渡辺喜美は
米国にサブプライムローン処理に日本が外貨準備を献上するかのような話を
勝手にしてきてしまって
あわてて福田康夫が内閣改造で渡辺喜美を閣外に追い出したものの
一度美味しい話を聞いた米国が見逃すはずも無く、
しぶとく要求をしてきてどうにもならないと悟り首相を辞任。
首相不在、つまりは窓口が無い状態になったので
米国はそこでリーマンを引き受けますと手を挙げた韓国に
外債(ドル)の支払いにお目こぼしをするなどしたら、
韓国はデフォルトが回避という目的が達成できたので
あっさりと「やっぱリーマン引き取るのやめるわ」と手のひらを返しました。
これでリーマンがぶっ倒れてリーマンショックが起きたわけです。
麻生内閣で再び大臣濃厚とマスコミが勝手な予想を出していたためか
渡辺喜美は期待して待っていたようですが、
福田康夫からの申し渡しがあったのか渡辺喜美は政務官にすら入れませんでした。
途端にマスコミで麻生批判を始めたわけです。
おそらくそれを見た小沢が渡辺喜美をそそのかしたのでしょう。
「自民を割ってきたら総理にしてやる」みたいな。
なにせ渡辺喜美の父・美智雄に対して小沢はその方法を使いました。
そして渡辺美智雄の派閥から次々と離党者を出したのに
優柔不断な美智雄は判断ができず、結局時間切れで
自分の子分達だけ離党して野党へ。
渡辺美智雄は離党しそこねて完全に干される事に。
そして渡辺喜美もテレビカメラを連れてパフォーマンスを繰り返して
自民党を離党したものの誰も彼には付いていきませんでした。
当時、麻生が国会で答弁中なのを知っていながら、
テレビカメラとともに首相官邸を訪れ、
守衛が「国会の方におりますのでそちらへ」と説明しているのを
「直訴状も受け取らない官邸」として悪役に仕立てる演出をしていました。
下野したばかりの自民党を割ろうとした舛添要一も
同じ手でそそのかしたのだろうと思います。
舛添要一は調子に乗って「私が総理なら閣僚のほとんどは民主から選ぶ」
みたいなことまで言ってましたからね。
また、このときは鳩山邦夫が露骨に分裂を後ろから支えようとしていたので
おそらくは自民が割れれば
二度と政権に戻れないので民主党の独裁になる。
だから離党して民主党に最合流という目論見だったのだろうと思います。
しかしながら民主党オールスター内閣と言われた鳩山内閣の
あまりのダメさに一気に支持率が下がり、
鳩山邦夫は無所属で様子見をしていました。
結局、民主党がやばいと見て再び自民党に戻ったわけですが、
そういう裏切り者なんかがごろごろいるのが永田町です。
ただ、嗤ってしまうのがマスコミのやり方がワンパターン過ぎるところです。
調子に乗せて党を割らせたいと思っている人物が居たら
なぜかアンケートで「次期首相になって欲しい人No.1」になるんです。
舛添要一も渡辺喜美もそうなっていました。
党を割ることに失敗した後は相手にもされませんでしたけどね。
マスコミも民主党も、とにかく自民を割ってしまえば
二度と政権奪還などできないから民主党政権が永続する
という目論見で動いていたのは間違いないでしょう。
とにかく自民を割ろうとしていましたから。
このあたり、
中国共産党の日本解放(中共は植民地化することを「解放」と言い張る)要綱で
革新系の野党を結集させて政権を取り、
保守勢力を少数政党に分裂させて
二度と政権復帰させないようにするというものがありましたので、
マスコミも小沢も選挙制度の改正からずっとその動きに沿っていると言えます。
(そう見れば河野洋平が新自由クラブで自民分裂をやったものの失敗したわけですが)
党内を制することが最も重要だったのです。
味方の足を引っ張ってでも、コップの中の争いをしてでも自分がポストを取るとか、
自分より当選回数も年齢も下なのに先を越したのが許せないとか
そういうので同じ党内であっても陥れるという事をするのが居ます。
小泉純一郎が郵政民営化を実現するまでに5年かかりましたが、
これだってその間に徹底的に田中派を切り崩して森派を最大派閥にして
党内を押さえ込む事ができたからです。
その逆に福田内閣で行革大臣だった渡辺喜美は
米国にサブプライムローン処理に日本が外貨準備を献上するかのような話を
勝手にしてきてしまって
あわてて福田康夫が内閣改造で渡辺喜美を閣外に追い出したものの
一度美味しい話を聞いた米国が見逃すはずも無く、
しぶとく要求をしてきてどうにもならないと悟り首相を辞任。
首相不在、つまりは窓口が無い状態になったので
米国はそこでリーマンを引き受けますと手を挙げた韓国に
外債(ドル)の支払いにお目こぼしをするなどしたら、
韓国はデフォルトが回避という目的が達成できたので
あっさりと「やっぱリーマン引き取るのやめるわ」と手のひらを返しました。
これでリーマンがぶっ倒れてリーマンショックが起きたわけです。
麻生内閣で再び大臣濃厚とマスコミが勝手な予想を出していたためか
渡辺喜美は期待して待っていたようですが、
福田康夫からの申し渡しがあったのか渡辺喜美は政務官にすら入れませんでした。
途端にマスコミで麻生批判を始めたわけです。
おそらくそれを見た小沢が渡辺喜美をそそのかしたのでしょう。
「自民を割ってきたら総理にしてやる」みたいな。
なにせ渡辺喜美の父・美智雄に対して小沢はその方法を使いました。
そして渡辺美智雄の派閥から次々と離党者を出したのに
優柔不断な美智雄は判断ができず、結局時間切れで
自分の子分達だけ離党して野党へ。
渡辺美智雄は離党しそこねて完全に干される事に。
そして渡辺喜美もテレビカメラを連れてパフォーマンスを繰り返して
自民党を離党したものの誰も彼には付いていきませんでした。
当時、麻生が国会で答弁中なのを知っていながら、
テレビカメラとともに首相官邸を訪れ、
守衛が「国会の方におりますのでそちらへ」と説明しているのを
「直訴状も受け取らない官邸」として悪役に仕立てる演出をしていました。
下野したばかりの自民党を割ろうとした舛添要一も
同じ手でそそのかしたのだろうと思います。
舛添要一は調子に乗って「私が総理なら閣僚のほとんどは民主から選ぶ」
みたいなことまで言ってましたからね。
また、このときは鳩山邦夫が露骨に分裂を後ろから支えようとしていたので
おそらくは自民が割れれば
二度と政権に戻れないので民主党の独裁になる。
だから離党して民主党に最合流という目論見だったのだろうと思います。
しかしながら民主党オールスター内閣と言われた鳩山内閣の
あまりのダメさに一気に支持率が下がり、
鳩山邦夫は無所属で様子見をしていました。
結局、民主党がやばいと見て再び自民党に戻ったわけですが、
そういう裏切り者なんかがごろごろいるのが永田町です。
ただ、嗤ってしまうのがマスコミのやり方がワンパターン過ぎるところです。
調子に乗せて党を割らせたいと思っている人物が居たら
なぜかアンケートで「次期首相になって欲しい人No.1」になるんです。
舛添要一も渡辺喜美もそうなっていました。
党を割ることに失敗した後は相手にもされませんでしたけどね。
マスコミも民主党も、とにかく自民を割ってしまえば
二度と政権奪還などできないから民主党政権が永続する
という目論見で動いていたのは間違いないでしょう。
とにかく自民を割ろうとしていましたから。
このあたり、
中国共産党の日本解放(中共は植民地化することを「解放」と言い張る)要綱で
革新系の野党を結集させて政権を取り、
保守勢力を少数政党に分裂させて
二度と政権復帰させないようにするというものがありましたので、
マスコミも小沢も選挙制度の改正からずっとその動きに沿っていると言えます。
(そう見れば河野洋平が新自由クラブで自民分裂をやったものの失敗したわけですが)
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