放送時間 | : | 2014年10月26日(日)24:50〜 |
ナレーター | : | 小山茉美 |
制作 | : | 山形放送 |
再放送 | : | 2014年11月2日(日) 11:00〜 BS日テレ |
2014年11月2日(日) 18:00〜 CS「日テレNEWS24」 | ||
2011年11月9日、山形市内のアパートの一室で一人暮らしの男子学生の遺体が見つかった。大久保祐映さん(当時19)。携帯電話に残されていた最後の発信先は「119」。9日前の10月31日午前5時11分だった。しかし、通報を受けた山形市消防本部は救急車を出動させなかった。その時の6分20秒間の音声記録が消防本部に残っていた。「救急車の要請ですか」「はい」。「お名前は?」「19です」…。かみ合わないやり取り、途切れ途切れの声、荒い息遣い。通報当時、山形市消防本部の管内で救急車の出動はなく、5台全てが出動できる状態だった。なぜ救急車は出動しなかったのか…。そして山形市の出動システムは3年経つ今も変わっていない。私たちの命を守るはずの「救急」の今を問う。
放送 | : | 10月5日(日) |
25:50〜 | ||
ナレーター | : | 矢島正明 |
制作 | : | 日本テレビ |
再放送 | : | 10月12日(日)11:00〜 |
BS日テレ | ||
10月12日(日)18:30〜 | ||
CS「日テレNEWS24」 |
がんに冒されても前向きに生きる…その力を与えてくれたのは手術や薬ではなく、“言葉の処方箋”だった。順天堂大学の病理学研究者・樋野興夫教授(60)が取り組む新たな医療…「がん哲学外来」。患者との対話を通じ、人生を生き抜くための言葉を処方する試みだ。命のタイムリミットが予期せず告げられたとき、人はいかに生きたらいいのか。その問いに応える言葉の力とは?胃がんが再発した男性(55)は「がん哲学外来」での樋野教授の言葉に後押しされ、プロの役者による朗読会を企画した。がんと闘う仲間に贈るためだ。ところが今年5月、中山さんは夢半ばで亡くなる。朗読会は、その遺志を継いだ妻や仲間が開催することになった。がん患者の心を癒す命の対話と、朗読会までの足跡を追った。
放送 | : | 10月12日(日) |
25:20〜 | ||
ナレーター | : | 川嶋あい |
制作 | : | 福岡放送 |
再放送 | : | 10月19日(日)11:00〜 |
BS日テレ | ||
10月19日(日)18:30〜 | ||
CS「日テレNEWS24」 |
7月、児童養護施設や里親のもとで育った人たちのスピーチコンテストが、福岡市で初めて開かれた。あらかじめ面接や書類などで選ばれた出場者5人は、一時金30万円と学校を卒業するまで毎月3万円の奨学金を受けることができる。スピーチの条件は自分の過去や将来と向き合い、夢への決意を強くすること。両親から虐待され、施設で10年間過ごした宮本一幸さん(21)。3人の市民ボランティアとともに原稿を練り上げていくが、大人を信用せずに生きてきた宮本さんは、支援者たちに心を開くことができない。しかし、時間を共有するうちに少しずつ気持ちに変化が…。迎えた本番、聴衆300人の前で伝えた思いとは?過去と向き合い、将来の夢につなげた宮本さんと支援者の3か月間の軌跡。
放送 | : | 10月19日(日) |
24:50〜 | ||
ナレーター | : | 杉山裕子 |
制作 | : | テレビ信州 |
再放送 | : | 10月26日(日)11:00〜 |
BS日テレ | ||
10月26日(日)18:30〜 | ||
CS「日テレNEWS24」 |
秋晴れの空のもと、大勢の紅葉狩り客で賑わう山が牙をむいた。長野と岐阜にまたがる木曽・御嶽山(標高3067m)で起きた噴火。火山災害としては戦後最悪、犠牲者50人以上を出す大惨事となった。有史以来の沈黙を守っていた御嶽山は1979年に突然噴火し、静かな山が生きている=活火山だったことを知らしめた。今回も、半月前に火山性地震が一時増加したが警戒レベルは通常のままだった。噴火予知は出来なかったのか?活火山を抱える地元は、その多くが観光地。火山自体が貴重な観光資源だ。「登りやすい山」「信仰の山」として多くの人が登ってきた身近な火山である御嶽山。火山防災の現状を紐解きながら、今後の被害軽減の道を探る。
放送 | : | 10月26日(日) |
24:50〜 | ||
ナレーター | : | 小山茉美 |
制作 | : | 山形放送 |
再放送 | : | 11月2日(日)11:00〜 |
BS日テレ | ||
11月2日(日)18:00〜 | ||
CS「日テレNEWS24」 |
2011年11月9日、山形市内のアパートの一室で一人暮らしの男子学生の遺体が見つかった。大久保祐映さん(当時19)。携帯電話に残されていた最後の発信先は「119」。9日前の10月31日午前5時11分だった。しかし、通報を受けた山形市消防本部は救急車を出動させなかった。その時の6分20秒間の音声記録が消防本部に残っていた。「救急車の要請ですか」「はい」。「お名前は?」「19です」…。かみ合わないやり取り、途切れ途切れの声、荒い息遣い。通報当時、山形市消防本部の管内で救急車の出動はなく、5台全てが出動できる状態だった。なぜ救急車は出動しなかったのか…。そして山形市の出動システムは3年経つ今も変わっていない。私たちの命を守るはずの「救急」の今を問う。