演劇と社会のあいだ――街をハックする体験型プロジェクトの可能性

高山明さんが主宰するPort B(ポルト・ビー)は、演劇ユニットを名乗っている。しかし、劇場で上演されるタイプの作品はほとんどない。かといって、テントや野外劇場を建てるわけでもない。そもそも俳優がいない。

 

では、観客はどのようにして作品を鑑賞するか。たとえば、2013年にフェスティバル/トーキョー13で初演された「東京ヘテロトピア」では、チケットを購入した観客はまず、東京芸術劇場のロビーへ行き、ガイドブックと、小型のラジオを受け取るように指示される。ガイドブックには都内13カ所の地図とその場所にまつわる歴史、そして周波数が書かれている。観客は、1カ月の会期中の好きなときに、好きな順番で、それらの場所に行き、ラジオの周波数を合わせる。すると、朗読が聞こえてくる。たとえば、御茶ノ水の上海料理店「漢陽楼」の前でイヤホンを耳に突っ込んだ人は、こんな物語を聞いた。

 

 

「その料理をおいしく味わいつつ、Sの話を聞きながら、19歳のぼくは生まれてはじめてといっていい大きな希望が湧いてくるのを感じました。大陸アジアから見ればほんの片隅にすぎないこの島国の都市で、ここで勉強するのだ。これから、自分も真剣に世界を考えるのだ、と思うと、むやみに気分が昂揚してきました。これから、中国各地からの留学生だけでなく、もちろん周囲の日本人だけでもなく、ロシア人にも朝鮮人にも欧米人にも出会うのだ。越南人にも、シャム人にも、ジャワ人やセイロン人にも出会うのだ。出会って、出会って、出会いまくるのだ。」(テキスト:管啓次郎、新潮2014年2月号より引用)

 

 

無名の一留学生、周恩来の物語である。たどたどしさの残る日本語。ラジオドラマのようでもあり、近現代史講座のようでもある。その語りを聞いていると、ふいに自分がたたずんでいるそこが、よく知っている東京ではないような気がしてくる。異境に紛れこんだよう。「ヘテロトピア」の住人の声は、私には間違いなく聞こえているのに、かたわらを通り過ぎる人たちには届かない。

 

これに近い体験を私の乏しい演劇経験から探すのは難しい。書籍になるが、関東大震災後の朝鮮人虐殺について書かれた『九月、東京の路上で』(加藤直樹著、ころから、2014年3月)が予想以上の反響を呼んだのは、日本における人種差別・ヘイトスピーチの問題が大きくなる中で時機を得た内容だったことはもちろんだが、記録に残る証言(当事者の肉声)と、筆者がその場所を一つ一つ訪ねたルポを組み合わせることによって、現在の「ヘテロトピア」として描き出していたからではないかと思い当たる。また、サイト(現場)に足を運び、現実とフィクションのあわいを鑑賞するという意味では、アニメファンの聖地巡礼に類似点を見いだすことができるかもしれない。

 

ただ、Port Bの特徴は、高度に戦略的に、「ヘテロトピア」を出現させようとしていることだ。「私たちをがんじがらめにしようとする政治の爪が及ばない領域をつくり出したい」と語る高山さんに、Port Bのプロジェクトについて話を聞いた。(聞き手・構成/長瀬千雅)

 

 

「東京ヘテロトピア」/観客視点で演劇を考える

 

―― 御茶ノ水の漢陽楼は、かなり昔に先輩に連れられて行ったことがあるんですが、19歳の周恩来が通っていたとは知りませんでした。

 

周恩来って日本語がすごく苦手だったらしいんですよ。当時の日記を読み返すと、ホームシックになってしまって、漢陽楼に通って郷土の料理をよく食べていたそうです。神田周辺には中国からの留学生が2万人ぐらいいましたからね。

 

 

―― 本郷の新星学寮にも行きましたが、あそこにアジアからの留学生のための寮があることも知らなかった。私が行ったときは「東京ヘテロトピア」の鑑賞者が7、8人ほどいましたけど、それぞれにイヤホンでラジオを聞きながらひっそりとあの場所にいる光景はなんだか妙な感じでした。あそこに暮らしている留学生にとっては日常の場所なわけで、そこによそ者として入り込んでいる感じ。演劇でそういう体験をするとは予想してなかったので、びっくりしたんです。劇場でやらないにしても、そこに行けばパフォーマンスか何かが見れるのかな、ぐらいに思っていました。

 

ぼくがつくるものはよく「これは演劇じゃない」と言われるのですが、最近は、ぼく自身が作品をつくるときに演劇の知識や演劇的な発想をちゃんと使えてさえいれば、演劇と思われなくてもまったく気にならなくなりました。

 

 

―― もともとはいわゆる演劇をやっていたんですよね。どういったきっかけで演劇を始めたんですか?

 

ぼくは演劇を始めたのは遅くて、大学に入ってからです。關口存男(せきぐち・つぎお)先生を敬愛していて、關口先生のようにドイツ語を学びたいと思ったんですね。もちろん先生はとっくの昔に亡くなられていましたから、どうせなら本場に行ってしまえとドイツの大学に入ったんです。そこで演劇に出合いました。

 

 

―― ドイツの人と演劇をつくり始めたんですね。ドイツ語ですよね?

 

そうです。いろんな劇団で演出をさせてもらいました。やっていればテクニックや知識は自然に増えるので、うまくつくれるようにはなるんですね。ただ、そこから自分のスタイルを築くまでになるのはなかなか難しい。職人的な演出家になる道もあったし、それに憧れていたけど、その道ではなくなりました。

 

 

―― ピーター・ブルックの影響を受けたと聞いたのですが。

 

ワークショップで、ピーター・ブルックと仕事している役者さんと出会ったんですね。それで、ブルックの作品を見たり、ブルックの書いたあらゆるものを集めて読んだりもしました。

 

 

―― 今ちょうどブルックの映画[*1]をやってますよね。

 

ああ、やっていますね。ワークショップの映画。ブルックはワークショップもすさまじくうまい。役者と何をどうつくるかということに関しては、本当にすごく上手な人だと思います。ぼくもワークショップをかなり集中的にやった時期もありましたが、じつはいまだによくわかんない。結局、劇団的な組織のありかたがぼくはあんまり好きになれなかった。

 

[*1]「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」

 

 

―― ほかにも、憧れの演劇人みたいな人はいたんですか。

 

いっぱいいます。タデウシュ・カントール、土方巽、クリストフ・マルターラー、それからブレヒトも。いっぱい研究はしました。でもやっぱりそこから、本当の意味での自分のスタイルをつくるところに行くのは、けっこう溝が深くて。

 

5年ドイツでやって、日本に帰ってきて、一回休憩しようかみたいな気持ちで演劇とまったく関係ない会社に就職しました。ドイツ語ができたんで海外営業を2年半ぐらい。演劇には限界も感じていたし、どう打開すればいいかもわかんなかった。プライドはずたずただし、もう終わったな、「ゼロ。」みたいな感じになりました。

 

そういうときって、はじめを振り返りますよね。自分はなんで演劇を始めたのかと考えたときに、「自分は観客だったんだ」と思ったんです。観ることが好きだった。つくり手になっちゃうと忘れちゃうんだけど。原点に戻って、観客視点から見た演劇ってどういうものだろうということを考えて、一点突破でそれだけをやったら、ひょっとしたらまたやれるんじゃないかと思ったんです。

 

 

―― さっき名前が挙がった演劇人は、それぞれに思想性を色濃く感じさせる人たちですよね。

 

その通りです。

 

 

―― ブレヒトとか、聞いただけで難しそうです。

 

そう思われていますよね。とても単純に言ってしまうと、ぼくの理解では、演劇が無批判に過去から受け継いできた宗教的な面や神秘的なところをなくそうとした人。ぼくは演劇には二通りあると思ってて、一つは、一回性や、その場のアウラを重視する「宗教的」舞台。まったく宗教など扱ってなくても「宗教」に根をもったものです。これは神秘的だし強度もある。もう一方は、基本的に複製や引用が可能で、強度より散漫さを重視しているもの。これは没入よりも批評を重視することにつながります。ブレヒトがまさにそうで、演劇が脱神秘化されている。即物的で世俗的。ぼくはそれは引き継ぎたい。

 

 

―― 「東京ヘテロトピア」もそうでしたが、観客に委ねられる部分が非常に大きいのは、そういう考え方からきているんですね。

 

イリュージョンを演劇でやってても、もうしょうがないだろう、という気持ちはあります。

 

 

「完全避難マニュアル・フランクフルト版」/ツアーパフォーマンスとは

 

―― Port Bの代表作の一つに「完全避難マニュアル」[*2]がありますが、これも、「避難所」という名の上演スポットを観客が自由に訪れて、それぞれの「ツアー」をつくるタイプのプログラムです。

 

ちょうど先月から10月5日まで、「完全避難マニュアル・フランクフルト版」をやったんですが、フランクフルトを中心とした電車で1時間ぐらいのエリアに約40カ所、コンテンツをつくりました。ぼくはフランクフルトはあまり知らないので、いろんな人と組んだんです。世界中から集まってもらったアーティストのほか、地元のアーティスト、7つの大学とも提携したので学生にも参加してもらいました。リサーチやコンテンツづくりをそういう人たちにもやってもらい、ぼくはもっぱらつくられたものをつなぐ、フレームづくりをやりました。もちろん方向性は示しますし、地元のアーティストなんかとはひたすら話し合って一緒につくりました。成立させるのが無理だと思えばお断りすることもありました。

 

 

[*2] 「完全避難マニュアル」 東京版は2010年にフェスティバル/トーキョー10にて初演。

ここが入り口。http://hinan-manual.com/ 当時の「避難民」たちのつぶやきは今も見れる。http://togetter.com/li/66998

 

 

―― そのジャッジが肝ということですね。

 

でも、国際的に活躍しているアーティストはやっぱり運動神経が全然違うので、すぐ理解するし、面白いものを出してくるんですよね。これだったらぼくらのほうでこういうフレームをつくればもっと生きる、みたいなプロセスを共有して。あとは導線づくりですね。

 

―― その導線というのは、観客がどう体験するかという意味の導線ですよね。

 

そうです。

 

 

―― 観客はまずインターネットの特設サイトを訪れて、イエス・ノーで答えるタイプの簡単な質問に答える。すると4つのツアーコースのどれかに誘導される。それぞれの場所に行くための地図がダウンロードできるようにしてあるので、あとは観客に自由に行ってもらう。

 

4つのツアーコースにはそれぞれテーマがあるんです。Aが「出会い」。都市生活の中で偶然の出会いを誘発するような避難所。Bは文字通りの「避難」。難民や移民にまつわる場所などです。Cは「変身」。アイデンティティーをゆさぶるもの。Dが「旅」。そのフェスティバルがフランクフルト周辺7都市で開催されるものだったので、それを電車でつなぐものです。

 

 

―― 日本だと電車に乗ってわざわざ指定された場所に行くことを面白がる人はたくさんいそうですけど、ドイツの人はどうでしたか?

 

ドイツ人もけっこうやってくれたんですよ。コンプリートする人もいましたね。でも半分だけやるとかでも全然いい。自分で自分のツアーをつくるというのがコンセプトなので。ふだんは自分の住んでいる町とフランクフルトの往復の電車にしか乗らないけれども、ツアーに参加することで別の経路を発見したりする。そういう別ルートがいろんなところに生まれるっていうのが、ぼくが意図した道づくりですね。

 

 

―― つまり、グーグルマップとかカーナビで検索したら出てこない道ってことですよね。

 

そう。そして、ふだん自分の意識の中では結びついていない2つのポイントを結んでしまう。あるいはふだん使っている道が全然違うふうに見えてきちゃうとか。

 

 

―― 行った先では、たとえばどんなコンテンツに出合うんですか?

 

そうですね、たとえば、「変身」コースに、カジノに行くための衣装店をつくったんですよ。ヴィースバーデンに古い、権威あるカジノがあるんですね。ドストエフスキーがそこですっからかんになって、その体験を『賭博者』に書いたという。ドレスコードがあって、正装でないと入れてくれないようなところです。そこに入るための貸衣装屋というコンセプトの店。

 

マーヴィンというセンスのいい学生がいたので、それやんない?と声をかけて、一緒につくりました。彼が店長になって、自分で服飾史を研究して、衣装を選んで、すべてを構成しました。応募してきたアーティストの中にインテリアデザイナーがいたので、インテリアをお願いしたら、やっていくうちに二人が仲間になって、どんどんやってくれた。

 

 

クラシックな衣装を身につけてカジノを訪れた参加者たち。写真=蓮沼昌宏

クラシックな衣装を身につけてカジノを訪れた参加者たち。写真=蓮沼昌宏

 

 

―― 本格的な衣装ですね!

 

かっこいいんですよ。衣装を着たお客さんも「これで入れるんだ?!」みたいな感じで。カジノには別に許可をとったり協力を要請したりはしてないんで、カジノ側からしたら、その人が仮装マニアなんだか、ちょっとおかしな人なんだか、もしかしたらとんでもないお金持ちなんだかっていうのは、わからないんですよ。

 

 

―― あとで種明かしもしてないんですか?

 

してない。でもこの格好で行くと入れざるを得ないから。観客のほうも、人間って変装すると人格が変わるでしょ。それが避難になったという人はけっこう多かったみたいですね。

 

 

―― 避難の意味も多重的なんですね。どれぐらいお客さんがきたんですか?

 

多いときで1日に25組ぐらい。それが約3週間。

 

 

―― 店長として切り盛りするのって、けっこう大変ですよね。

 

そう、しかもマーヴィンは社会学の勉強をしてるふつうの学生だから。

 

 

―― アーティストじゃないんですか!

 

そうなんですよ。でも変わった服着てたりしたんで、いけるだろうと。もちろんよく見て、引き出してあげることは必要ですけど、これをやり遂げてくれたのは、うれしかったなあ。

 

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