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Okinawa Revisited: Japan’s Twisted Self-Portrait 沖縄、それは「ねじれた」日本の自画像である。

語る人:矢作俊彦、高橋源一郎
司会:鈴木正文
写真:平良竜次
構成:畠山理仁

沖縄、それは「ねじれた」日本の自画像である。

対談収録場所:風庵、沖縄県島尻郡八重瀬町友寄108、tel.098-996-0020

この対談は『GQ JAPAN』2014年8月号に掲載したものです。

矢作俊彦と高橋源一郎のふたりの作家は、この2年あまり、『GQ JAPAN』を舞台に、ジャーナリズム・リポートを展開してきた。この交互連載は、今号で一区切りをつける。そこでふたりは一緒に沖縄に出かけ、戦後日本にとっての「沖縄」の意味をとらえかえしつつ、わが日本の自画像をとらまえようとした。この列島南端の島は、いまも日本の鍵を握っている。

今回の沖縄取材は沖縄戦最大の激戦地となった南部の戦跡巡りからスタートした。ひめゆりの塔、平和祈念公園、平和の礎を訪ねた後には、沖縄本島北部にある広大な北部訓練場にも足を延ばした。高速道路は米軍キャンプの真ん中を突っ切る。辺野古漁港のすぐ隣には米軍基地と「日本」を隔てるフェンスが設置されている。キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、嘉手納飛行場、普天間飛行場……。島中のいたるところで「米軍」の存在を感じられる。それも無理はない。沖縄には日本に存在する米軍基地の約7割が集中しているのだ。二人の目に、沖縄、アメリカ、日本はどう映ったのか。『GQ JAPAN』編集長 鈴木正文司会のもと、二人の対談が始まる。

アメリカと日本
なぜ、沖縄へ?

矢作 と、いうようなことで、昨日今日と沖縄戦の戦跡と沖縄の主だった米軍施設、基地を巡ったわけだけど、別にそんなところに行かなくても僕にはこの島は、田宮模型がこしらえた戦後日本のジオラマとでもいうか、そんなふうに見えて仕方ないんだ。戦後の日本はアメリカ抜きには何ひとつ語れないわけだけど、日本の日常のそこここに嫌でも見えていたアメリカが最近よく見えない。それが、ここではいちいちよく見える。戦争も見える。「反米」やら「反戦」なんかがむき出しで転がってて、言葉としても実に元気なんだ。

高橋 たしかに「反米」を考える場所として沖縄はふさわしいかもしれない。僕、実は今回が初めての沖縄なんだ。40年以上前に沖縄闘争をやっていたのに、今まで沖縄に来たことがなかった。矢作さんに誘われなかったら来なかったな。ずいぶん遅れたけど、実際に来ると感慨深いものがあるね。

鈴木 僕は40年ぶりの沖縄で、今回が2回目です。飛行機で空港に降りると、すぐに航空自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊のベースが目に入ってくる。沖縄ではむき出しの権力が可視化されている。かつて政治家が「国家は暴力装置だ」と発言したら国会で大問題になりましたが、ああ国家は暴力装置なんだなあ、ということが沖縄に着くなり、肌身に感じました。

矢作 スズキさんは40年前に一度来てそれ以来、沖縄には一度も来ていないんでしょう。高橋さんにいたっては一度も来ていない。何でそうまで来なかったの?

鈴木 本土復帰記念事業として1975年に行われた沖縄海洋博の直前取材で来たんですが、摩文仁の丘やひめゆりの塔を見てショックでした。そのショックが響いて、私的な旅行の目的地リストからは外していたのだと思います。

高橋 行くとマズい、なんか自分が考えてきたようなことや、考えてきた世界観が崩される感じがしていたんだろうね。

矢作 若いころとてつもなく卑怯に捨てちゃった女に、わざわざ会いに行く感覚か?(笑)

高橋 ああ。でも、沖縄は日本にとってそういう場所でしょ。今回、車で沖縄本島を巡ったけど、矢作さんは沖縄に詳しいよね。どうして何回も沖縄に来るの?

矢作 君と同じで長いこと何となく嫌だったんだ。返還十何年かな、仕事で仕方なく来てみたら、どうも様子が違う。さっきの譬えで言うと、捨てた女はこっちのことなんか無関心で明るく楽しく逞しく生きてたと、まるでデ・シーカの煙草売りみたいにさ。

高橋 僕が沖縄を避けてきた理由を考えてみたんだよ。一つは、どうしたって東京から地方に行くと半分は観光気分になっちゃうこと。でも、沖縄で観光気分はまずいよね、という気持ちがあった。沖縄は国内なのかというと国内という感じがしない。だって僕らは1972年の返還まではアメリカの統治下にあったことを知っているからね。

矢作 沖縄は「南洋」の入り口だからな。景観として台湾に近い。それに君はアメリカの統治下にあったって言うが、少なくともベトナム戦争のころまで、つまり1972年ころまでは横浜だって横須賀だって似たようなものだったんだ。

高橋 それはあるね。僕は尾道だけど、矢作さんは横浜育ちだもんね。

矢作 うん。12歳まではキャンプの金網の隙間を歩いて学校に通っているようなもんだった。アメ車と拳銃さげた憲兵がいて、金網の向こうではアメリカ人の女の子が白い足をむき出しにしてテニスをしていて、それでも戦車が陸揚げされたりヘリが低空で負傷兵を運んでくるのを実際日常の一部にしていたからね。

高橋 だから沖縄の感覚がよくわかるんだね。その意味では、僕のほうが日本人として普通の感覚だと思う。本土には沖縄みたいに「目に見える基地」がほとんどないからね。僕にとってのアメリカはテレビの向こうにあって憧れるものだった。

矢作 憧れがないわけじゃない。そこが僕らの「反米」のいびつなところだと思う。戦後民主主義も帝国主義も同時に、つまりハンバーガーもナパームもキャディラックも核爆弾も等しく全部アメリカだったんだからね。

高橋 僕たちは1950年ぐらいの生まれでしょ。基地の近くで育った人は別だけど、戦後生まれにとって実はアメリカは遠いものなんだよ。逆に戦中派の人間は、戦争や占領を通じてアメリカを知っている。そういう戦中派の人間たちが死んでいくのと軌を一にして安倍さんたちが出てきた。その時に感じたのは、安倍さんたちは占領者としてのアメリカを知らないということ。実際、アメリカによる日本占領はまだ続いているのに、ほとんどの日本人は「遠くで憧れるアメリカ」と「自分には関係ないけれども日本を占領しているアメリカ」とに分けちゃっている。ことに「日本を占領しているアメリカ」については、基地周辺と沖縄に預けちゃっているんだよ。

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