|  | 西暦(年) | 月日 | 事柄 | 
	
	
		| 苦難の時代 | 1882(M.15) | 12/23 | 東京都台東区橋場にて誕生。病弱な子供時代を過ごす | 
        
		| 1896(M.29) | 3月 | 浅草尋常高等小学校高等科卒業 | 
	
		| 1897(M.30) | 9月 | 東京美術学校(後の東京芸術大学)予備ノ課程入学(半年後、眼病のため退学。この後、肋膜炎に二度罹病。さらに肺結核となり不治の宣告を受けるが、菜食により治癒) | 
	
		| 1905(M.38) | 5月 | 父死去。小間物小売商「光琳堂」開業 | 
	
		| 1907(M.40) | 2月 | 装身具卸商「岡田商店」開業 | 
	
		| 6月 | 結婚。この頃から約10年間、さらに種々の病苦を経験 | 
	
		| 1909(M.42) | 4月 | 三越呉服店の児童博覧会に簪(カンザシ)を出展、銅賞受賞 | 
	
		| 1914(T.3) | 3-7月 | 東京大正博覧会(東京・上野公園)に簪を出展、銅賞受賞。この頃三越呉服店と取引開始 | 
	
		| 1915(T.4) |  | 装身具「旭ダイヤモンド」発明。日本を含む世界10カ国の特許を取得し、爆発的に売り上げを伸ばす | 
	
		| 1919(T.8) | 春 | 取引先の銀行が経営破綻し、苦境に陥る | 
	
		| 6月 | 妻死去(第3子出産直後。3人の子供はすべて死産または出生直後に死亡) | 
	
		| 12月 | 再婚 | 
	
		| 1920(T.9) | 2月 | 「岡田商店」を株式会社とし事業再建を期するが、その直後、世界的な経済恐慌が起こり、再び苦境に陥る | 
	
		| 6月 | たび重なる不幸によって、宗教に対する関心を持ち始める 「大本」入信
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		| 1921(T.10) |  | 数年間、社運挽回に尽力 | 
	
		| 1923(T.12) | 9月 | 関東大震災の為、再び事業に大打撃を受ける | 
	
		| 10月 | 長男死去(1歳9カ月) | 
	
	
		| 不幸の克服と救世思想の形成 | 1924(T.13) | 2月 | 繰り返される災いに、なぜ人間に不幸が襲うのか、その原因追求に没頭。人間と人間を取り巻く世界の成り立ちに大きな関心を寄せていき、宇宙に遍満する自然力(霊)の存在とその根源性(支配力)を確信。既成宗教とは違う独自の思想・宗教観を作りあげてゆく | 
	
		| 1926(S.1) | 12月 | 自己の使命が人々の不幸を取り除くこと、「救世」であり、そのことはすなわち新しい真の文明を創ることであることを感得するとともに、その根本は、宇宙に遍満し人々に働きかける自然力の活用によって、一人一人の霊を浄め心身の健康を達成することにあると確信する | 
	
		| 1928(S.3) | 2月 | 事業から身を引き、病気治療を中心として、「救済活動」に専念 | 
	
		| 1931(S.6) | 6/15 | 千葉県鋸山山頂にて宇宙的な霊の世界においては、この日を境に、暗い夜の時代は終わり、明るい昼の時代に転換したこと(霊界における夜昼転換)を感得。そしてこの夜から昼へと移る時代の転換はやがて人間の世界においても現れるはずであることを確信し、さらに強く、自らの使命を果たすことを決意する | 
	
	
		| 新しい真の文明創造へ向けた実践と躍動 | 1934(S.9) | 5/1 | 霊を浄め心身の健康を得る核心的手段として、浄化療法を創成し、治療所「応神堂」を開業(「岡田式浄化療法」事業の出発)。その後、浄化療法の原理に基づきさらなる具体的手段の開発を究めてゆく | 
	
		| 9月 | 「大本」脱会。既存の宗教との決別 | 
	
		| 1935(S.10) | 1/1 | 「大日本観音会」(後の世界救世教)発会(東京・麹町) めざすのは新しい真の文明の創造であり、それは個人個人の心身の健康が達成され、そのことを通して家庭、社会そして世界の健康が得られることによって実現するものであると宣言
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		| 6-7月 | 食事法、美術文化法、自然農法の基本的な考え方に言及(自然農法・自然食、美術文化事業の出発) | 
	
		| 9月 | 「療院」構想を発表し、全世界に「岡田式浄化療法」を広めることを宣言 | 
	
		| 10/1 | 「大日本観音会」の総本部を設立(東京・上野毛)。「玉川郷(後に宝山荘)」と命名 | 
	
		| 1936(S.11) | 5/15 | 【MOAの原点】 「大日本健康協会」発会。宗教団体とは別に新たな組織を作り、健康法の普及を始める。
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		| 1944(S.19) | 5/5 | 箱根強羅に移転。 翌年から真文明世界のひな型として、「箱根神仙郷」の建設に着手(ひな型建設事業の出発)
 その後、「熱海瑞雲郷」、「瑞泉郷」、「京都平安郷」の建設を順次進める
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		| 1947(S.22) | 2/11 | 「日本浄化療法普及会」発会 | 
	
		| 1949(S.24) | 3月 | 「瑞泉郷構想」発表 | 
	
		| 1950(S.25) | 2/4 | 宗教法人「世界救世教」発足 | 
	
		| 1951(S.26) | 5/22 | 東京日比谷公会堂で、新文明創造について広く一般聴衆に講演 | 
	
		| 1952(S.27) | 6/15 | 「箱根美術館」開館 | 
	
		| 9/15 | 「(財)東明美術保存会」(後の「MOA美術文化財団」)設立 | 
	
		| 1953(S.28) | 6/15 | 「箱根神仙郷」完成 | 
	
		| 12/1 | 「自然農法普及会」発会。自然農法の組織的な普及に着手する | 
	
		| 1954(S.29) | 2/4 | 尾形光琳作「紅白梅図屏風」収集 | 
	
		| 1955(S.30) | 2/8 | 野々村仁清作「色絵藤花文茶壷」収集 | 
	
		| 2/10 | 岡田茂吉逝去(72歳) | 
	
	
		| 岡田茂吉の思想と実践の継承(浄化療法 自然農法・自然食 美術文化を中心とするMOA活動の展開) | 1956(S.31) | 1/1 | 「熱海美術館」開館 | 
	
		| 1971(S.46) | 9/11 | 「環境科学総合研究所」設立(S.56年7月に財団認可) | 
	
		| 1973(S.48) | 11/1 | 「(株)メシアニカゼネラル(MGC)」設立(後の(株)MOA商事、(株)MOAインターナショナル) | 
	
		| 1980(S.55) | 7/22 | MOA(MOKICHI OKADA CULTURAL SERVICES ASSOCIATION)が米国で発足 | 
	
		| 1982(S.57) | 1/11 | 「MOA美術館」開館(「熱海瑞雲郷」完成) | 
	
		| 12/22 | 「大仁農場」開所 | 
	
		| 1985(S.60) | 11/13 | 「(財)自然農法国際研究開発センター」設立 | 
	
		| 1987(S.62) | 5/22 | 「自然農法技術普及要綱」(現MOA自然農法ガイドライン)制定 | 
	
		| 1991(H.3) | 6/12 | 「(財)MOA健康科学センター」設立 | 
	
		| 1994(H.6) | 10/26 | 「(財)微生物応用技術研究所」運営権を譲り受ける | 
	
		| 1995(H.7) | 3-4月 | 「宗教・大自然・環境保全に関する会議」開催。「大仁宣言」採択 | 
	
		| 4-5月 | 「環境と宗教に関するサミット」開催 | 
	
		| 1998(H.10) | 11月 | 「大仁瑞泉郷」建設開始 (その後、国内外に中小の瑞泉郷建設進む)
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		| 1999(H.11) | 12/10 | NPO法人「MOA自然農法文化事業団」設立 | 
	
		| 2001(H.13) | 7/16 | 「東京療院」開設 | 
	
		| 2004(H.16) | 3/17 | 「一般社団法人MOAインターナショナル」設立 | 
	
		| 2006(H.18) | 4/29 | 「奥熱海療院」開設(「大仁瑞泉郷」完成) | 
	
		| 5/11 | 「新田記念統合医学研究所」設置 |