2014年 10月 08日
「慰安婦と戦場の性」における人権感覚 |
慰安婦問題と河野談話をめぐる今日の真の争点は、「吉田証言」流の強制連行=「狭義の強制性」でも軍の関与の有無でもない。「慰安婦」とは公娼なのか性奴隷なのかという点にある。このことは、多少でもこの問題を勉強すれば分かることだ。
要は秦郁彦氏らが90年代からずっと主張している、軍が関与しているのは当たり前だが、「慰安婦」は公認売春婦=公娼であり良い暮らしをしていた、あれこれの証言は「女郎の身の上話」(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』)であり、信用に値しないという論法がこのベースにある。
『慰安婦と戦場の性』は河野談話撤回派のバイブルであり、この問題の理解のためには、一読をおすすめする。彼らの人権感覚の水準もよく分かる。
河野談話は、慰安婦の募集は軍の意を受けた民間業者が主にあたり甘言や強圧的にしたもので、(朝鮮半島では)総じて本人の意思に反していたとしながら、「吉田証言」的な軍や官憲による組織的な強制連行があったとはしていない。その一方で、女性が置かれた実態が痛ましく強制的であったしている。つまり募集方法より置かれた実態に重きを置いて、「広義の強制性」を認め、謝罪しているのである。
このような談話の核心部分が、冒頭に紹介した論点とばっちり噛み合ってしまっていることが、撤回派には許せないのだろう。
自由意思でやった売春婦なんだからなんで問題にされなければならないのか、という被害者意識が、彼らの本音だから。
繰り返しになるが、「慰安婦問題」とは、女性が置かれた状態の評価=人権感覚そのものが問われており、撤回派のどうしようもない差別的な人権感覚の欠如が、いえばいうほど国際社会から糾弾されているということをいいかげん理解しなければならない。
だが、売春婦が好きでやったんだから問題ないとは、桜井よしこや秦郁彦には言えても、さすがに政府や責任ある政治家としては口が裂けても言うわけにはいかない。もし言ってしまえば橋下大阪市長の二の舞になるだろう。安倍首相も談話は堅持するとしかいえない。
だから筋が違う、とうにお払い箱になっていた「吉田証言」の過去記事取り消しなどという、新たな事実が出てきたわけでもない枝葉末節に、ここぞとばかりに飛びつき、あわよくば談話撤回にもっていき、この際核心部分まで水に流してしまおうとしているのだろう。
であるから、撤回をいう政治家の言い分は、本音をオブラートしているためだろうが、あまりにお粗末で意味が通じないのが特徴だ。
ついでに新たな談話による「骨抜き論」について。実はあまり心配していない。どんな談話を出そうが、河野談話の示す普遍的な人権感覚を否定するような特殊なものを出せるはずがないから。結局はその精神を継承する立場のものしか出せないのではないか。
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