経歴詐称を問題にするのは「日本的」か - アメリカおよび科学における事例

茂木健一郎 氏は、経歴詐称疑惑がかけられている上杉隆 氏を擁護し、経歴詐称を問題視するのは特殊日本的な態度にすぎないと述べている。また、肩書きのなかった科学者の事例に言及し、上杉氏の経歴についてもあげつらうべきではないと言う。はたして経歴詐称を重大な不正行為とみなすのは日本的な現象にすぎないのか、科学の世界で経歴詐称が問題となるケースはないのか、近年の事例や著名なケースを概観してみた。

目次


茂木健一郎氏の議論


茂木氏はFacebookにも同様の主張を書き込んでいる(※現在見れなくなっている)。
痛いテレビ より)

茂木氏は、経歴詐称を不正行為として問題にすることが「経歴に執着すること」と同じであるかのように述べている。しかし経歴への執着という事についていえば、詐称している当人こそが最も肩書きに固執しているのであり、そうした執着を異常な仕方で満たそうとしていると言える。

茂木氏はまた、経歴詐称を問題視するのは「日本的な神経症」であり、取りあげる側こそが問題だとしている。さらに、ファラデーに肩書きがなかったという話が経歴詐称を擁護する何かの傍証になるかのように述べている。

しかし以下のように現実の事例を見るかぎり、アメリカでも経歴詐称は重大な不正として扱われており、科学の世界でも経歴を偽ることは追放に値する行為とみなされている。


アメリカYahoo! CEOの学歴詐称問題 (2012年)- 解任。起用を主導した取締役も退任


2012年、スコット・トンプソン氏は米Yahoo!のCEOに指名されて就任した。それまではペイパルのCEOであり、会計学とコンピューター・サイエンスの学士号をストーンヒル・カレッジで取得したという経歴の持主であった。しかしトンプソン氏の在学当時、ストーンヒル・カレッジにはコンピューター・サイエンスの学部が無かったことが発覚する。取締役会は特別委員会を設置して問題を調査、トンプソン氏には会計学の学士号しかなく、経歴を詐称したとして解任が決定された。またトンプソン氏を採用した責任者であったハート取締役は次の株主総会で退任することを発表した。



参考:


ワシントン・ポスト記事捏造事件(1981年)- 経歴詐称疑惑の追及から記事捏造が判明。記者は辞職


ジャネット・クック記者は1980年にワシントン・ポストに入社。トレド大学、バサール・カレッジ大学院を卒業、多言語に堪能という経歴の持ち主であった。入社してすぐに続々と署名記事が紙面を飾るようになり、八歳のヘロイン常習者を取材した記事「ジミーの世界」で大きな反響を呼ぶ。ワシントン市市長は記事が架空ではないかという疑いを述べるが、ワシントン・ポストは記事には誤りは無いとしソースを明かさなかった。記事はピュリッツァー賞を選考委員の全会一致で受賞する。クック氏の古巣トレド・ブレイド紙の編集者はしかし、AP通信の配信したクック氏の経歴が、自社記事が載せたものと少し違うことに気付く。(調査報告書につづく)


ワシントン・ポスト調査報告書(ビル・グリーン)より(※高濱賛『捏造と盗作』の抄訳から引用)
ジャネットが以前働いていた『トレド・ブレイド』は午前八時すぎ、彼女の受賞を知らせる記事を掲載した新聞を刷りだした。本記のほかに彼女のこと、同社時代の活躍ぶりを書いた補足記事を載せた。同紙編集局長、ジョー・オコーナーが語る。

「その日の午後ですか、編集者の一人がAP通信の配信したピュリッツァー賞受賞者の経歴のコピーを私に見せて、うちの記事と一致しないところがあるというんです。それで早速APのトレド支局に問い合わせたんです」

・・・

その履歴は彼女自身が書いたもので、『ワシントン・ポスト』では誰もチェックしなかったのである。

新しい履歴によれば、彼女はフランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語に堪能だった。ところが古い履歴では、フランス語とスペイン語しか「堪能」とは書かれていない。新しい履歴では、オハイオ女性新聞協会から六つとオハイオAPから一つの賞を受賞したと書かれているが、古い履歴には前者から一回だけ賞をもらったと書かれている。

学歴についても違っていた。新しい履歴書には彼女は一九七六年、バサール・カレッジを優等で卒業、一九七五年にはソルボンヌに留学、一九七七年にはトレド大学大学院で修士号を取っている。ところがバサール・カレッジの記録ではジャネット・クックは一年間、いくつかの授業を取っていたことになっている。またトレド大学は確かに卒業しているが、修士号を取得した記録はなかった。

・・・

「君はバサール・カレッジを卒業したと言っているのに、大学当局は、君は一年しかいなかったと言っているんだ」

コールマンによると、ジャネットは「知らない」と答えたという。コールマンは、「それじゃ、今バサールに電話してみようじゃないか」と提案した。

ジャネットは、「どうしてそんなことが重要なんですか。バサールの記録はただ過去の私についてのものでしょ。重要なのは、『ジミーの世界』で私が何をやったか、やり遂げたかでしょ」と反駁した。

・・・

ブラッドリー、サイモンズ、〔ボブ・〕ウッドワードはコールマンがジャネットと外で話し合っている間に、すでに決意を固めていた。それは、彼女の学歴に関する矛盾点が彼女の誠実さに重大な疑義を生んでいること、またその誠実さ、不誠実さこそが、「ジミーの世界」がこれ以上事実として持ち堪えられるかどうかに関わるということ-この点をできるだけ早く解明せねばならないという決意だった。

ジャネットは泣いていた。ブラッドリーは彼女の捨て台詞を押しつぶすように、「ポルトガル語で二言三言、喋ってみてくれないか」。彼女は喋れなかった。「イタリア語はどうなんだ」とブラッドリーは聞いた。

ジャネットは「ノー」と蚊の鳴くような声で答えた。

フランス語の堪能なブラッドリーは今度は、フランス語で尋ねた。彼女は口ごもった。ブラッドリーはあとになって、彼女のフランス語は高校でちょっとかじった程度のものだったと言っている。

ブラッドリーは、彼にとって忘れることのできないウォーターゲート事件のリチャード・ニクソンとジャネットとを比較して声を荒げた。「君はリチャード・ニクソンそっくりだ。君がやっていることは隠蔽工作じゃないか」

(高濱賛『捏造と盗作 米ジャーナリズムに何を学ぶか』225-232頁)


参考:


アニリール・セルカン事件(2010年)- 学位剥奪・懲戒解雇相当


アニリール・セルカン氏は東京大学大学院の助教(工学系研究科)であり、『ポケットの中の宇宙』(中公新書ラクレ)、『宇宙エレベーター』(大和書房)などの著書もある研究者であった。プリンストン大学時代に発表したという「11次元宇宙理論」で知られ、イタリアやカナダの大学でも教鞭をとっていたという。多数の講演をこなし、「トルコ人初の宇宙飛行士候補」として新聞に取りあげられるなど活躍していた。


しかし以前より、セルカン氏の経歴を裏付ける筈の記録の幾つかが見あたらない事が指摘されていた。2010年、セルカン氏が論文を盗用していた事実が発覚し、東京大学はセルカン氏の学位を剥奪。さらに調査の結果、セルカン氏が履歴書に嘘の学歴を記載していた事も判明、「悪質かつ不正な方法」により学位を取得したとして、同大学より懲戒解雇相当と発表された。また、セルカン氏の指導教員であった松村教授は停職1ヵ月の懲戒処分とされた。


参考:


スペクター事件(1981年)- 論文取り下げ・追放


コーネル大学の若き大学院生マーク・スペクター氏は、エフレイン・ラッカー教授のもとに来て早々に、他のポスドク研究者らが歯が立たなかった実験を続々と成功させ「黄金の手」をもつと言われるようになった。がんの原因に関するラッカー教授の理論をスペクター氏は実験で次々と立証していき、二人はノーベル賞確実と言われていた。しかし或る研究者の検証により、スペクター氏の行った実験は巧妙に捏造されたものだったことが判明する。


キナーゼ・カスケード理論が崩れ始めると、マーク・スペクターの経歴の主要な部分もまた同様に崩れ始めたのである。一九八一年九月九日、スペクターは提出済みだった学位論文を撤回した。...そして、彼の経歴調査(スペクターがコーネル大学大学院に入学した時点で行われるべきだった)がようやく実施され、彼がもっていると言ったシンシナティ大学での文学修士号も文学士号ももっていないことがわかったのである。

(W.ブロード・ N.ウェイド著、牧野賢治訳『背信の科学者たち』p.107

スペクター氏は、潔白を証明する機会を与えられたがそれを果たさず、研究室から追放された。博士論文の審査は中止され、学会誌に掲載された論文も撤回された。『背信の科学者たち』の著者たちは、スペクター氏の学歴詐称はいずれ発覚していただろうが、しかしもし一連の実験の捏造が判明してなければうまく乗り切っただろうと述べている(前掲書p.112)。


参考:


上杉氏は<実質的に>何をしていたのか



上杉氏がNHKやNYTで<実質的に>何をしていたのかについて、上杉氏自身の説明は一貫していない(※詳細:経歴詐称疑惑-NHK編経歴詐称疑惑-NYT編)。

NHKにかんして、「番組の司会を六年間つとめていた」という上杉氏の発言がドイツのメディアに掲載されているが、そのような記録はどこにも見あたらない。また上杉氏は、テレビ番組雑誌インタヴューで、NHKの 『モーニングワイド』で「内勤記者」として校閲を担当していた、と言っている 。しかしウィキペディアによると『モーニングワイド』は1993年に番組を終了しており、この頃上杉氏は、著書などの記録にてらせばまだ大学在学中の筈である

NYTで何をしていたのかについても、上杉氏の語ることは明瞭ではない。「東京支局のリサーチ・アシスタント」だったと町山氏との対論では述べているが、以前は、「記者として働いていた」記事を書いた、と述べており、2012年の講演でもニューヨーク・タイムズで署名記事を書いた話をしていた。しかし、ニューヨーク・タイムズのアーカイヴに上杉氏の署名になる記事は一本もなく、その後、上杉氏自身、署名記事を書いていなかった事を認めた

<以下、囲みは引用>
小口絵里子  上杉さん、「署名の記事は有ったのか無かったのか」という話でいうと?

上杉  無いですよだから。


茂木氏は「実質的に何をしたか」が経歴よりも大事だという。捏造記事を書いたワシントンポストの記者も、最初に経歴の矛盾を突かれたとき、「重要なのは、...私が何をやったか、やり遂げたかでしょ」と反論している。しかし本当にそう思っている人は、経歴を偽ることなど初めからしないのではないか。



参考:


更新
2013.6.11 NYT経歴にかんする説明に一文追加