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【特攻70年(上)】
23歳特攻隊員「日本はおしまい」「妻を守るために死ぬ」無念と絶望…母は「戦争協力者」と貶められ
関大尉の母、サカエさんも、「軍神の母」からいつしか「戦争協力者の母」という批判を浴びせられる。
訪れる人もなく、衣類を闇米に代え、草餅を作って売り歩いた。晩年は西条市の小学校に住み込みで働き、昭和28年11月、還暦を前に亡くなる。
意識が混濁する床で、「行男の墓を建ててください」とつぶやいて息を引きとったという。
サカエさんが亡くなった際、戦時中は「軍神の母」につきまとっていた新聞記者が、「そんなもの記事になりますか。軍神がなんですか」と吐き捨てるように言ったという。