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【特攻70年(上)】23歳特攻隊員「日本はおしまい」「妻を守るために死ぬ」無念と絶望…母は「戦争協力者」と貶められ 

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【特攻70年(上)】
23歳特攻隊員「日本はおしまい」「妻を守るために死ぬ」無念と絶望…母は「戦争協力者」と貶められ 

飛行服に身を包み、出撃前の打ち合わせをする特攻隊員ら=昭和19(1944)年12月

 旧日本海軍の「神風特別攻撃隊」が初めての攻撃を実行してから、10月25日で70年を迎える。特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、特攻による戦死者数は6418人。彼らは何を思い、その後の日本人に何を託したのか-? 元特攻隊員の言葉などから英霊の思いに迫る。(編集委員 宮本雅史)

 毎年10月25日、愛媛県西条市の楢本神社で、「神風特攻敷島隊並びに愛媛県特攻戦没者追悼式典」が開かれ、今年で40回を数える。

 敷島隊は昭和19年10月20日、フィリピンのマバラカット飛行場で、海軍兵学校70期の関行男大尉=当時(23)、戦死後に中佐=を指揮官に5人で編成。25日、レイテ沖海戦で敵空母群に突撃し、護衛空母セント・ローを撃沈するなど戦果を挙げた。

 当時の新聞は朝刊1面で「身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じた。

 関大尉は命令を受けた際「ぜひ、私にやらせてください」と承諾したとされるが、報道班員だった同盟通信の小野田政特派員は、出撃を控えた関大尉とのやり取りを回想録「神風特攻隊出撃の日」の中でこう記す。

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