経歴詐称疑惑 - ニューヨーク・タイムズ編

上杉隆 氏はこれまで、ニューヨーク・タイムズ紙の「記者」という経歴を随所で用いてきた。また講演では、同紙に署名記事を書いたさいの話を披露している。しかしながら、ニューヨーク・タイムズのサイトのアーカイヴには、上杉氏の名前になる記事は全く見あたらない。町山智浩氏に対論でこの事を指摘されると、上杉氏は、ニューヨーク・タイムズに じっさいには署名記事を書いたことがない と認めた。また当時の上杉氏の仕事は、東京支局での「リサーチ・アシスタント」だったとのことである。ちなみに、上杉氏が東京支局に在籍していたという期間も発言によって異なっている(※上杉隆 氏年表 参照)。

目次


2000年11月 『週刊現代』

ことの起こりは、昨年の10月下旬だった。
〔中略〕
黒田さんに関する記事は、 10月27日付 NYタイムズに「テレビスターが結婚とプライバシー、そして仕事も失った」というタイトルで掲載されたが、それがNHK広報の逆鱗に触れたのだ。上杉記者の記録をもとに、以後の経過を振り返ると・・・・・・。
〔中略〕
「取材のとき、まず、米本氏は...と言った。その両方の発言を 記事で紹介し 、『矛盾している』と 書いた のですが、米本氏はそこが不満だったようです」(上杉記者)

記事の署名はハワード・フレンチ氏。上杉氏の名前はクレジットされていない。


2008年9月 上杉氏のHPにおける記載

東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) 〜ゴルフとスパと、時々、永田町 2008年9月11日

NHKやニューヨークタイムスなどで記者を経験 し」という経歴の記載を自らのHPで引用している。


2008年12月 上杉氏のHPにおける記載

東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) 〜ゴルフとスパと、時々、永田町 2008年12月20日

「ニューヨーク・タイムズ当局支局の 記者 」という経歴の記載を自らのHPで引用している。


2009年9月 上杉氏のHPにおける記載

東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) 〜ゴルフとスパと、時々、永田町 2009年9月20日

日経ビジネス2009年9月17日記事から、「米紙「ニューヨーク・タイムズ」東京支局の 記者 となり、」という経歴の記載を自らのHPで引用している。


2010年1月 『SAPIO』

私が1999年から3年間、ニューヨーク・タイムズ東京支局で 記者として働いていた 時代にも、記者クラブの壁にぶち当たった経験がある。


2010年12月 『財界さっぽろ』インタヴュー

財界さっぽろ2010年12月号インタヴュー
上杉  その2年前、私がまだニューヨークタイムズの 記者だった ころ、石原慎太郎さんが東京都知事就任と同時にオープン化をやっています。このときは半年間もめた。最終的には知事が勝って、1週間に2回開く会見はフルオープン。クラブメディアは、これ以上オープンなことをするのではないかと思って下手に出る。事実として都知事を12年やっています。


2010年12月 『g2 ( ジーツー ) vol.6 』

上杉  安替さんはいまやネットの世界で有名なジャーナリストですが、もとはニューヨーク・タイムズの取材記者だったそうですね。どちらの支局でしたか?

安替 北京支局でリサーチャー(取材記者)をやってました。

上杉  そうなんですか。私も 東京支局のリサーチャーだった んですよ。私を雇ったのは、ニコラス・クリストフ元北京支局長でした。その後、のちに初代の上海支局長になるハワード・フレンチがボス(支局長)になりました。


2011年2月 『週刊ポスト』

『週刊ポスト』2011年2月4日号 140頁
NHKでは、99年に女性アナウンサーが離婚を隠していたことが原因で番組を降板させられていた。 ニューヨーク・タイムズでその件について書いた私の記事 に、NHKは抗議してきた。


2011年9月 『リアルタイムメディアが動かす社会』

『リアルタイムメディアが動かす社会: 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平』2011年9月1日181頁
アメリカでは、たとえば私が インターン をした「ニューヨーク・タイムズ」では、記者はほとんど中途採用です。


2012年3月上杉隆氏講演会in郡山

上杉氏は2012年3月6日の講演会のなかで、ニューヨーク・タイムズでリサーチ・アシスタントをしていた時に署名記事を書いたと話している。
私もニューヨーク・タイムズにいるときに、例えば World Brief といって一、二行の記事を書くんですね。本当に一、二行です。「日本で小渕総理が、日本でですね、国会で君が代・日の丸法案が通過しました。」 でそのときに、名前書く欄無いわけです。短い、日本でいうと「ベタ記事」ですから。ところがそこも書かなくちゃいけないんですね。 そこに「東京支局のリサーチ・アシスタントの Takashi Uesugi」による情報と、その記事だと 。要するに、記事本体よりも名前の方が長くなってしまう訳です。でも書かなくちゃいけないんです。何故ならば、全て新聞に書かれる記事は責任が伴う。責任というのは「誰が書いたか」ということも伴う。読者は「誰が書いたか」ということも含めて情報として新聞を読み手として受けとる。


【 ニューヨーク・タイムズ紙サイトでの検索 】

ニューヨーク・タイムズのサイトは1851年からの記事をアーカイヴ化しており、署名記事を同紙に書いていれば検索で出てくるようになっている。"Takashi Uesugi"で検索しても一本も引っかからず、上杉氏が同紙に署名記事を書いていないことが分かる。(⇒実際にNYTのサイトで"Takashi Uesugi"を検索


【 2012年3月 ニコニコ動画 3.14頂上決戦 上杉隆 VS 町山智浩 】

2012年3月14日の対論のなかで、上杉氏は、ニューヨーク・タイムズ紙に署名記事を書いていなかったことを認めている。また、郡山の講演で話したワールド・ブリーフの記事についても実際は自分の署名ではないと述べている。
町山氏からの二つの質問
質問①  ビジネスメディア誠2009年7月15日のインタヴューで、インターンの期間に「2つのスクープを取った」と書いてあるが、NYTのアーカイブ検索で上杉氏の記事は出てこない。スクープ記事とはどれの事か。
質問②  2012年3月5日〔※実際は6日〕の郡山での講演で、ベタ記事で署名を書いたという話をしている。にも拘わらず、NYTのアーカイブに上杉氏の名前のものが無いのはどうしてなのか。

これに対する上杉氏の回答が以下の書き起こしである。
上杉  一問目の方がこれはスクープの物件ですね。スクープの件に関しましては、いま町山さん最初にご自身で仰ったように 「リサーチ・アシスタント」これが正式名称 です。 最初はご指摘のようにインターン です。

99年に鳩山事務所を辞めた直後にインターンとしてニューヨーク・タイムズに入りました。それは3ヶ月契約だったんですが、当時の支局長の先ほど名前が出たニコラス・クリストフが当時支局長でした。彼の奥さんがシェリル・ウーダン。ともに中国の天安門事件でピュリッツァーとってる記者ですが、その二人と会ってその後インターン採用が決まるという流れです。そしてインターン採用が決まっている時にちょうど支局長の交替があって、当時アフリカの方から派遣されて1年間ハワイに研修していますが、ハワード・フレンチという支局長になりました。

そしてそのハワードになってから、7月・8月・9月ということで日本のちょうど政局があったんですね。当時、小渕政権で小渕さんの「君が代日の丸法案」というのがありました。その「君が代日の丸法案」に関しての取材というのをやっていまして、それがチームというか大体ニューヨーク・タイムズは支局長が書くという風になった場合は、支局長、或いは特派員、それからストリンガー、リサーチ・アシスタントという構成になってまして、あとセクレタリーがいます。私はインターンだったんですが、当時その「君が代日の丸法案」これに関して、たまたま議員秘書からインターンになったので丁度その資料というのを意外と持っていたんですね。というのも、その前の前の年になりますが、衆議院、衆参ともにですが、超党派の憲法調査委員会設置推進議員連盟というのを立ち上げて、その事務局をやっておりました。その流れの中で小渕政権に入り、「君が代日の丸法案」がありまして、たまたまですけど資料を持っていて、それが公になれる資料、つまりオープンに出来るものという事で早めに渡したんです。それが元となって、じつは他の日本の全てのメディアよりも早い段階で、当時はニック〔クリストフ〕だったと思いますが調べてもらえば分かります。National Anthem 何とかっていう記事が載ってると思うんで。そしてそのニックが、或いはハワード着任直後だと思いますが、どちらかの記事で、私のその持ってきた情報がスクープになってます。

もう一つは、同時期になりますが、おそらくこれはシェリルかその次に来た、当時重なっていたステファニー・ストロームという記者、このどちらかが書いたと思います。ちょっとはっきりしませんが。これが小川薫さんという総会屋の記事で、じつは当時、日本のメディアがこの小川さんの居場所を探していたんですね。たまたまこれも、情報源の関係でどういうルートかは言えませんが、その居場所を私が或る所から聞いてきて、そして直接小川さんが隠れていた所に入って行って独占インタヴューをとったと。それを記事になっています。

どうして名前が出てないかというご質問に関しては、ニューヨーク・タイムズは基本的に書いた人間が中心となってバイライン、署名になります。例えばリサーチャーや或いはストリンガーと共に取材をしても、たまに & という形で付きますが、バイライン、記事の冒頭に名前を出します。その後に基本的に協力、当時私がいた99年から2001年までのルールに基づいて申しあげてますけど、協力という形では名前を載せないと。一方で例えばワシントン・ポストなどは、これはもう記事の最後に協力者の名前を全部載せることがあります。これは各新聞によって色々ルールがあるんですが、タイムズはそういう意味で文責は一人に基本的には拠ると。ただ町山さんご指摘のように、リサーチャーというのは各国において大きな役割を果たすと。例えば先ほど申しあげたようにニックやシェリルがとったピューリッツァーの China Wakes という本が元になっていますが、その当時の中国の天安門事件の取材も、いま拘束されていますが、ニューヨーク・タイムズの当時のリサーチ・アシスタントが中国でずっと取材したものが元となっている訳です。そういう意味で基本的には内部ではスクープということを言われました。

それで8月の15日だったと思いますが、靖国問題の取材に当時の支局長のハワード・フレンチと行った帰りに帝国ホテルに呼ばれまして、「何の話があるのかな、クビかな、インターンの途中で」と思ってたら、今の二本の取材の成果などを言いながら、リサーチ・アシスタントとして雇いたいのでどうかということで、そのまま採用ということになりましたが、そのなかの経緯に関しましては今の質問とズレているんで省略します。

そして二問目は郡山、色々お調べ頂きありがとうございます。これは、3月5日は北海道に居るので、おそらく3月6日の福島県の高校の、県内の高校の新聞部の定期大会のことだと思います。福島の郡山ビュー・ホテル・アネックスで午後開かれたもの、それに私が講演として呼ばれて、その事を仰っていると思いますが。

ここで言ったものは、ベタ記事のバイラインのことですね。これは恐らくワールド・ブリーフのことを町山さん仰っていると思いますが、タイムズもやはり「ワールド・ブリーフ」といって日本で言うと「ベタ記事」が沢山あります。それは大体ストリンガーとか、リサーチ・アシスタントとか、そういうリサーチャーなどが書いたりする事もあるんですが、もちろん支局長あるいは特派員も書いたりしますが。

この事に関しては、どういう風に言ったかというと、高校生に例を示すために言ったんですね。必ず署名を載せると、これはルールだと、ニューヨーク・タイムズの。先ほどの件と絡めますけど、私も採用の時に条件としてハワード・フレンチに言われたのが、必ず署名を載せること、これが契約条件です。そしてそれは日本語で書いて他の媒体に書くばあいも署名で原稿を書くべきだと、こういう条件がありました。それほどこの署名を書くことに対して厳しいルールが課せられているという例をもって喋ったんですね。で、その時に例えば私が書いたのがそのワールド・ブリーフで、一応書いたことがあります。ただ、署名に関しては残念ながら二回、いえ二行書いて、署名が Tokyo Bureau Research Assistant Takashi Uesugi というような書き方をされたんですが、最後ハワードに直されてですね、これ英語で、最終的にはハワードのバイラインになりました。その時に書いてる記事はありましたが、その事というよりもむしろ、高校生に説明する例として、このバイラインに対して、名前をきちんと書く、場合によっては署名の方が本文より長くなってしまう、日本ではありえない事なんですけど何でここまで署名に拘るかというと、それは記事に対する責任だと。ということで日本の新聞と比較して言いました。

日本の新聞というのはご存じのように、これはですね、基本的に署名が無い記事が多いです。特に読売とかはいまだそうですが、なぜ無いかということで、私も最初タイムズでそのハワードの、いわゆる契約の時に言ったんですね。「なんかその売名行為みたいで恥ずかしい」と。そういう風に言ったときに、逆にハワードの方が怒ったわけです。なぜ怒ったかというと、「相手はどうすんだ」と。書かれた相手は名前を出していると。そして自分は出さないと。そういう記事というのはこれは端的に言って卑怯だと。そういう卑怯な記事というのは決して書かれるべきではないし、署名というのは責任が生じると。その責任をもってきちんと行うのが正にアメリカの新聞のやり方だということで契約したんですが・・・あれ?〔回線が〕繋がってますか?・・・という事で、その二点目はワールド・ブリーフのバイラインのことを仰ってるんだと思います。

小口絵里子  アメリカの町山さん、ちょっと今〔回線が〕切れたかもしれませんね。回線繋ぎ直しますのでお待ち下さい。

上杉  また最初から言うのこれ?

小口  いや町山さんずっと聞いてらっしゃいましたよ。 上杉さん、「署名の記事は有ったのか無かったのか」という話でいうと

上杉   無いですよだから 。つまり今言ったようにニューヨーク・タイムズのルールは最終責任をもった記者、ワシントン・ポストだともしかして僕がワシントン・ポストで働いていたらおそらく載っけてくれたかなと。まあただ バイラインを書くというレベルでもないと正直自分でも思ってました 。それはもっとすごい記事、例えばいまニューヨーク・タイムズでいうと日本人でも田淵広子さんとか、そういう素晴らしい人たちがいますし。まあでも正直言ってそのワールド・ブリーフでは名前一回載るかなという時は正直ドキドキしたんですけど、まあそれはしょうがないですね。

小口   載りたかったけれどそれは載らなかったということですね


上杉氏のポジションは「 リサーチ・アシスタント 」ということである。上杉氏はこれについて、一方で、ストリンガーなどとは区別して話しているが、他方でストリンガー、リサーチ・アシスタントを含めてリサーチャーと呼ぶような話し方もしており、不明確なところがある。

上杉氏の言うところの「スクープ」について、上杉氏が関わったとしているのは、前職で用いた資料の提出と、前職の伝手によるインタヴュ-イの居場所情報の提出、である。

そのワールド・ブリーフでは名前一回載るかなという時は正直ドキドキした 」と話しており、ニューヨーク・タイムズにおいて名前が一回載るか載らないかという記事への関わりは、ベタ記事だったという事である。

上杉氏は署名に関してニューヨーク・タイムズに言及する際、ここでも著書 『ジャーナリズム崩壊』 でもワシントン・ポストを引きあいに出す。上杉氏の仕事がはたしてワシントン・ポストの基準で署名記事として扱われるかどうかは、上杉氏の話だけでは不明である。またニューヨーク・タイムズでも記事に携わった者の名前は contributed reporting として末尾に記載されるようになっている (※但し、上杉氏がいたという2002年までとそれ以降とでは記載の頻度にかなり差がある。・1990.1.1-2002.12.312003.1.1-2012.12.31


2013年5月 ニューモデルマガジンX7月号

上杉氏は上記のように自分の仕事は「リサーチアシスタント」だったと言っているが、その後も「 ニューヨークタイムズで3年間、 記者をやっていた 」と言い続けている。


参考リンク




更新
2013.3.20 『g2 ( ジーツー ) vol.6 』からの引用を追加
2013.4.20 週刊現代記事の引用、町山氏との対論の書き起こしを追加。
2013.5.20 リード文、参考リンク追加。
2013.5.31 HP記載、ニューモデルマガジンXからの引用を追加
2013.6.11 『週刊ポスト』2011年2月4日号からの引用を追加