中国語の「法治」は何を意味するのか Associated Press
中国共産党最高指導部の年次総会について書くのは、決して容易な仕事ではない。総会が例年、軍の所有するホテルで厳重な警戒の下に開催されるためだが、今年は例年以上に難しい。
問題は、今年の総会のテーマをいかに翻訳するかだ。党の発表によれば、今年のテーマは中国語で「法治」、「法律」と「治める」を意味する2つの漢字で構成されている。
20日から23日まで北京で開催されるの党中央委員会第4回全体会議(四中全会)に対する公式メディアの記事の中で、この文言は「rule of law(法の支配)」と英語に翻訳されている。例えば国営新華社通信は19日の論説で、「rule of law」は市場志向経済における改革に「不可欠だ」と主張している。
これは一見、直訳のようにみえる。総会の一つの焦点が中国の裁判所を政治的な干渉から隔離することを狙った改革にあるのだから、妥当な翻訳に思われる。
しかし、中国を専門とする学者たちは、実際には、直訳では全くないと言う。
韓国・延世大学の中国史学者ジョン・デラリー氏は「『rule of law』という英訳は著しくミスリーディング(誤解を招く)だし、意図的にミスリーディングしていると思う」と述べた。
問題の核心は、中国語の文法には前置詞がない場合が多いことだ、とデービッド・モーザー氏(CET北京の中国語プログラムの学術ディレクターで、中国語を学ぶ難しさに関する有名なエッセイの著者でもある)は言う。「法治」のケースでは、この前置詞がないということが、中英辞典において似て非なる2つの英訳につながっているという。つまり「rule of law」と「rule by law(法による支配)」だ。
モーザー氏は「辞書編集者たちは、違いに全く気づいていないかもしれないし、『of』でも『by』でも彼らには適切にみえるようだ」と述べた。
この2つの訳語は二カ国語辞典の編集者たちにはコイン投げのようにどちらでも良いように見えたかもしれないが、2つは実際には大いに異なるコノテーション(言外の意味)を持っている、と学者たちは言う。
「rule of law」というと、その下では政治指導者の権力は法と規則によって制約され、総じて「rule by law」に含まれるとみなされる、とペンシルベニア大学のビクター・メーア教授(中国語学)は言う。
メーア教授は「『rule of law』は公正さと予測可能な法の適用を含意している」と述べ、「『rule by law』と言えば、それは例えばドイツのヒトラー時代のニュルンベルク法(Nurnberger Gesetze)に基づく支配も含むだろう。同法は公正でもなく、適用も予測可能ではなかった」と語った。
中国では、それは重要な差異だ。中国では裁判所、警察、検察当局者が共産党によって統制されており、憲法(それは各種の自由、とりわけ言論と宗教の自由を保証している)は、党の利害に抵触した時には、排除されてきたからだ。
延世大学のデラリー氏によれば、「法治」という中国語は、儒家のライバルだった法家の創始者によって紀元前2世紀か3世紀に造られた。
デラリー氏は「法家は、独裁制度とまではいかなくても権威主義的な制度を持つべきだと主張した。そこでは、だれもが厳格な法を順守しなければならないし、人々は報酬と処罰によって突き動かされていた」と述べた。これは、社会は徳のあるエリート層によって支配されるべきだと考えた儒家の思想とは対照的だ。
デラリー氏によれば、中国の歴代王朝は、伝統的にこれら2つの理想、つまり「人による支配」と「法による支配」を混合した特色を持っていた。それが現在に至るまで続いているが、支配エリート層が法によって制約されるべきだとの考え方は決して真剣に考えらたことはない。同氏は、この理由により「法治」のもっと適切な翻訳は「law and order(法と秩序)」かもしれないと述べている。
学者たちによれば、今週の四中全会のテーマは、アジェンダ(政策目標)を叙述するのに公式メディアが用いてきたもう少し長い文言に反映されているという。それは「依法治国」という中国語の言い回しで、「法に従って国を治める」という意味だ。それは、より明確に法家的な用語法で、四中全会で提案される予定の司法改革案の性格とぴったり符合する。この司法改革案は、裁判所を地方政府から独立させるが、依然として共産党支配という籠(かご)の中に閉じ込めておくのが狙いだ。
中国の国営メディアが意図的に、外国の読者に異なるメッセージを送ろうとしていると考えるのはデラリー氏だけではない。前出のモーザー氏も「私は、翻訳者たちがこの『of』と『by』の区別を熟知しており、彼らが英訳に『rule of law』を選んだのは、意図的で注意深い選択だという気がする」と述べている。そして「大半の外国人読者は前置詞の区別に恐らく気づいていないだろうが、それに敏感な少数の人々にとって、『of』はしかるべきメッセージを送っているのだ」と語った。