- 1:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/10/20(月) 22:20:01.09 ID:Kjuvu7nI.net
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29歳で死んで幕末最高の思想家とかどんだけ濃厚な人生だよ
吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田松陰
- 4:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/10/20(月) 22:21:01.70 ID:R02AgRt9.net
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何も積み上げないまま松陰先生の年齢抜いてしまった奴らwwwww
(´・ω・`)
- 8:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/10/20(月) 22:21:33.17 ID:m/Cz03sj.net
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密航渡米成功してれば明治の重臣やったろな
- 9:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/10/20(月) 22:21:35.72 ID:jkqC9Hi4.net
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俺なんかその頃まだ2chで煽り合いしてたぞ
高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日))は、江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。
安政4年(1857年)には吉田松陰が主宰していた松下村塾に入り、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一とともに松下村塾四天王と呼ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/高杉晋作
過激すぎて明治の世に生きていけなそう
西郷隆盛みたいに
それはない
政治家ではないから
橋本 左内(はしもと さない、天保5年3月11日(1834年4月19日) - 安政6年10月7日(1859年11月1日))は、江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前国福井藩藩士。号は景岳。諱は綱紀。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/橋本左内
西郷隆盛がビビった数少ない相手
死ぬほど頭よかった模様
12歳で書いた文章が未だ古典で発行されてるとか神童やで
啓発録だろ?たぶん満14歳のときのだと思う
思想家は儒教も仏教も国学も含む包括的な概念やろ
「哲学」っつうのは、ギリシャ(特にソクラテス・プラトン・アリストテレス)に端を発する
西洋の学問や考え方
天保11年(1840年)、藩主・毛利慶親の御前で『武教全書』戦法篇を講義し、藩校明倫館の兵学教授として出仕する。
なんかおかしいよなぁ
叔父の玉木さんがな・・・あれ今の大河で描写出来るんやろうか
長州で夭折を嘆くなら高杉と久坂やな
久坂 玄瑞(くさか げんずい)は、幕末の長州藩士。幼名は秀三郎、名は通武(みちたけ)、通称は実甫、誠、義助(よしすけ)。妻は吉田松陰の妹、文。長州藩における尊王攘夷派の中心人物。栄典は贈正四位(1891年)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/久坂玄瑞
なお
兄も80過ぎまで生きてる、父親も妹たちも長生き
今度の大河は歴史傍観するのか
太宰治 35歳
樋口一葉 24歳
しかも29の時点で思想を広め終わってる
イチローがメジャーで284安打打った年に交通事故かなんかで死亡した感じか
高杉晋作も長生きしてたら英雄になってないだろうな
山県も晩年は人気なかったし
262安打だろ
弟子「攘夷!攘夷!外人殺すンゴオオオオオwwwwww」
空の上の松陰「」
松陰自身が「頑張れば今の戦力でも何とかなる」って言ったせいなんやで
生まれた杉家は金持ちではない
養子にいった吉田家もそうでもない
というか生き方こそ思想であるべきだよな
葬式にほとんど人が来なくて参列した長州の人が赤っ恥かくとか
明治、大正天皇に嫌われまくって『山縣つまんな』とか『お前いつ辞めんねん』って言われたとか戦前からイメージ悪すぎて草生える
死もまた社会奉仕
死んだ時に新聞に「こいつは死ぬことが国のため」みたいな風に公然とディスられたのって山縣だっけ?
宮中某重大事件とか今から見たらアホみたい
農民→テロリスト→海外留学→通訳やったり幕府と戦争したり→20代で兵庫県知事→初代総理大臣→韓国人に暗殺される
波乱すぎやろ
生き急ぐ連中にとっちゃ30なんてジジイなんやな
どうシュミレーションしても当時長生きできない
密航が成功しとったら結構長生きしたと思うけどな
何か動乱のニュース聞いて密航ぶん投げて、途中で戻ってそう
高杉晋作、久坂玄瑞…あと2人を知ってるやつは何人いるのか
吉田利麿と前原だっけ
吉田稔麿と入江九一
入江はあんま業績無いなぁ
佐久間 象山(さくま しょうざん、-ぞうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。松代三山の一人。通称は修理(しゅり)、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい)と称した。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されている。
象山の号は近隣の黄檗宗象山恵明禅寺に因んだとされる。その呼称については、一般に「しょうざん」、地元では「ぞうざん」と呼ばれており、弘化2年(1845年)に象山自身が松代本誓寺への奉納文書に「後の人我が名を呼ぶなばまさに知るべし」として、反切法を用いて「しょうざん」と呼ぶように書き残している。象山は松代藩の下級武士の出であり、若年期に経学と数学を学んだ。とりわけ象山は数学に興味を示し、熱心に学んだ。若年期に数学の素養を深く身に着けたことは、この後の彼の洋学吸収に大きく益した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/佐久間象山
幕末一の科学者らしいが性格がクソだったそうやなw
たぶん会ってるやろ
これマメな
門下生が、「君」「僕」と呼び合ってたのが流行したらしいな
一人称が僕で二人称は君と呼ぶのが長州の当時のトレンドなんだっけ
候文の中に「僕」が出てくるから結構萌える
間違いなく頂点に行かないかん器やったろ
関の弟子の建部もすごいぞ
関孝和と建部賢弘という天才が同じ時代に同じところで研究してたんだからすごいよなぁ
空海「せやろか?」
あんたは体育会系の最高峰やろ
一言で言い表すと富国強兵
富国強兵とかべつにたいしたことないわ
気になるな。なんの本?
『山県有朋の「奇兵隊戦記」 』
面白いね
一理あるな
山県は過激な対外強硬派でもなかったし
対ロシアに関しては伊藤博文も融和派やったしな
師匠の薫陶か下関でこっぴどくやられたかが理由かな
長州閥が悪いみたいに言われるけど、山県が死んで長州閥が消えたとたんに陸軍が暴走始めたからな
伊藤が満韓交換で日露協商進めようとしてたのに対して
山縣はそんな甘い奴らちゃう、次は必ず朝鮮と対馬狙うはずやって日英同盟推進したんやっけ?
吉田松陰「今さら遅い。日本が不道徳な国だと世界から思われるだけ」
久坂玄瑞「お前弱虫だな。俺はやるぞ」
吉田松陰「早くやれよ。口先だけか?さぁ、早くやれ」
久坂玄瑞「…弟子にしてください」
斬首した役人によると、今までの罪人で一番冷静で美しい最期だったらしい
橋本佐内の最期の方がなんか感動的やけどな
何代目かは知らんが
本人の人生は短かったけど、その意味でものすごく長く生きた感じというか
そういう才能をこの現代でも持って生まれた奴いるんやろなぁとか考えるのすき
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元スレ : http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1413811201/
1 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年10月22日 01:25 ▼このコメントに返信 面白くなきこの世を面白く(戦争で)
2 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年10月22日 01:31 ▼このコメントに返信 今の日本に生まれてたら出る杭は全力でぶっ叩くスタンスのせいでメンヘラニート化してそう
3 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年10月22日 01:51 ▼このコメントに返信 ※2
この人らは全力でぶったたきに来たハンマーを逆に吹っ飛ばした人らなんだよ
叩かれてへこむ程度のヤツは所詮十把一絡げの杭に過ぎないってこった
4 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年10月22日 02:01 ▼このコメントに返信 昭和と平成の腐りきった女共にこの英雄達はホモ野郎として描かれるとか可哀そすぎる