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日本のゲーム産業の現状



概要
  • ゲームについて語るが、その前に日本のコンテンツ産業全体の話から。
  • ハリウッド型コンテンツの武器は大規模な宣伝とクオリティの高さ。日本型コンテンツの武器はタブーの少なさと参加する敷居の低さが生み出す「多様性」。
  • 大手のゲーム産業は「ハリウッド化」している。
  • ソーシャルゲームは日本型コンテンツの正統な後継者なのか?
  • 「ソーシャルゲーム的なもの」が「日本のコンテンツ産業的なもの」でもあるなら、批判するんじゃなくて、それを良い方向に持っていくことを考えるべき。



 久々のゲーム記事だぜ。でも、まずはゲームについて語る準備として、漫画、アニメ、ラノベなどの日本のコンテンツ産業全般の話から始める必要がある。日本はコンテンツ大国と言われていて、コンテンツ産業の規模もアメリカに次ぐ世界2位だ。日本の作品は国際的に認知されてきていると言われる。ただ、それはアメリカのハリウッド型の広まり方とはまったく別なんだよね。

 日本のコンテンツ産業の武器は「多様性」にあり、ハリウッド型産業の武器はクオリティの高さと宣伝力だ。どういうことか、説明していきます。


コンテンツ産業論―混淆と伝播の日本型モデル

コンテンツ産業論―混淆と伝播の日本型モデル

 今回のエントリーは、出口弘、田中秀幸、小山友介編集、「コンテンツ産業論-混淆と伝播の日本型モデル」を参考にしてる。各論者が寄稿したもので中には変なのもあるんだけど、良い論点が多く、日本のコンテンツ産業に関する本はけっこう読んだけどこれが一番おすすめかな。



ハリウッド型コンテンツ産業

 コンテンツ産業はその名のとおり「内容」が一番重要なんだけど、それが消費者に届くまでのプラットフォームを無視して語ることはできない。内容はそれが流通するプラットフォームや産業構造、収益モデルに影響を受けるからだ。

 ハリウッドはもともとアメリカ国内の映画産業で、テレビの登場によって一時期は衰退したんだけど、70年代くらいから莫大な予算をかけて高い品質の作品を作るハイ・コンセプト・ムービーとして華々しく蘇った。そこから、ハリウッドの仕組みが、映画の「制作」ではなく映画の「流通機構」になっていった。合併と買収を重ね、メジャーな数社だけで映画の「資金調達」や「配給」や「興行」や「宣伝」などの全てを牛耳るようになった。つまりプラットフォームを支配したのがハリウッドだ。

 ハリウッドからすれば、宣伝と流通さえしっかりやれば、あとは一流の才能が勝手に集まってうまくやってくれるだろうみたいな感じだ。映画の制作の仕方は「プロジェクト方式」で、各分野の有能な人材を募集して作品をつくる。日本のようにどこの会社が何を作るみたいのとは違って、作品の企画ごとに人を集めるのだ。

 アイデアと意欲を持った集団の中から一握りを採用するし、制作に関わることができるのは映画学校の卒業生とかエリートに多い。日本の場合はクリエイティブな産業は学校から離れていることが多いけど、ハリウッドは学歴を重視するし、プロフェッショナル主義だ。

 映画をつくるのに莫大な制作費と宣伝費がかかるので、国内市場だけだとリクープ(投資を回収)できない。だから、あらかじめ海外進出を狙い、内容は文化的なタブーに配慮した無国籍的なものになる。企画が通るまでにたくさんのゲートキーパー(審査)を通過しなければならず、ストーリーや表現であまり過激なものや奇抜なものはできないし、失敗できないから保守的になってシリーズものが多い。興行の確実性のためにスーパースターを生み出し、彼らは宣伝のために積極的に採用される。

 もともと収益をあげる目的のプロジェクトとして作られているから、違法視聴でもいいから自分の作品がみんなに見られて欲しいなあ、という考えはもってのほかで、著作権にはめちゃくちゃ厳しい。ハハッ。

 イメージとしては、ウィナーテイクオールで、宣伝と流通によって成功が保障された場所を、各分野の一流の才能達がしのぎを削って奪い合うみたいな感じだ。作品に携われるのはごく一部のエリートで、革新性はあまりないにしても、クオリティは保障されている


 クールジャパンを打ち出した日本だけじゃなく、先進国は軒並みコンテンツの産業政策に着目している。もう工業はどこもぱっとないし、成功すれば新しい知的経済の転換になるからだ。そして、そういう政策ではどこも、プロフェッショナル主義の、大規模な映画産業やエンタメ産業を意図しがちだ。

 ハリウッドを参考にした韓流がそこそこ成功して、日本もその影響を受けてクールジャパン戦略の一環として和製コンテンツを世界に打ち出そうとしてる。経産省のサイトを見る限り、やろうとしているのはおおまかに言って(1)ローカライズ支援、(2)プロモーション支援、(3)海賊版対策の強化だ。たしかに、政策としてはこういうことしかやりようがないんだけど、ある作品を選抜してプロモートする、みたいな政策は日本のコンテンツ文化をまったく無視したやり方なんだよね。


日本型コンテンツ産業

 日本のコンテンツは漫画やアニメが主流と言っていいと思う。めちゃくちゃ金かかる映画に比べて、漫画やアニメはお金がかからない貧乏な国の産業なんだよね。そして、日本型の産業は一つ一つの作品あたりでは大した経済規模がないが、たくさん集まることで一定の大きさのマーケットになってる。一部の大ヒットした作品がよく注目されるけど、あくまでもその本質は「色んな作品があること」だ。

 日本にはハリウッドのような絶対的なプラットフォームが存在しない。作品の制作や提供に必要な経営資源が統合されていないから、新規参入もしやすいし、小規模な事業が成り立ちやすい。もちろん映画などに比べて作品をつくるコストが低いという理由もある。

 日本では、漫画、アニメ、ゲーム、ライトノベルなどが水平に並んでいて優劣がないから、漫画を元ネタにしたアニメや、ゲームを元ネタにしたライトノベル、アニメを元ネタにしたゲームなど、違うジャンルの間のコラボ形態が多様で、頻繁に行われる。これも、絶対的なプラットフォームが存在せず、中小規模の会社同士でやり取りがしやすいからだ。立場が対等なメディアミックスは、お互いに作品が売れやすくなったり認知されやすくなるので、双方にメリットがある主流な方法と言える。

 「漫画とアニメとゲームと小説どれが一番上?」みたいな議論はほとんどされないし、日本の場合そういう質問は馬鹿らしいと思うよね。でもハリウッドは映画産業が頂点にある。映画の原作になる小説やコミックなどのストーリーも単なる外注要素の一つで、権威と影響力を持つ機関が優秀な元ネタの中から一つを選んだにすぎない。


 日本は一つ一つの制作費が低いコンテンツの集まりで市場を形成しているので、各作品のペイできるラインが低い。つまり、大勢に売れなくても一部に気に入ってもらえればそれなりにやっていける。だから、国内のニッチな層に向けて、あるいは自分がただこういうものを作りたいという理由で作品を出すことができるクリエイターが大勢いた。このようにして、多様性のある作品群が担保されてきた。

 日本は宗教的なタブーを意識しない国で、さらに作品を作る時に国外市場を意識する必要もなかったので、作品を作るのにかかる制限が少ない。

 もともと日本のコンテンツは「悪所」から出てきたと言われていて、庶民が書いたエロい作品とか男色を扱ったものが江戸時代から盛んだった。今のコンテンツもその流れにある。例えば子供向け作品で世界的に人気になった「ドラえもん」なんかにも、しずかちゃんの入浴シーンがある。こういうのは国際的な視点で見ると、「な、なぜわざわざ~~」って感じで作品の価値を貶める描写らしい。子どもの裸がタブーの国も多いしね。

 また、著作権が比較的緩く、企業も寛容だったりするところが多いので、同人文化やパロディ文化が盛んだ。消費者も制作に関わりやすいことで、作品を買う層も生み出す層も厚くなる。これも他国のプロフェッショナル主義の制作状況とは違う点だ。日本人は自分から何かを発信したいと考える人が圧倒的に多いらしい。例えば、2007年時点の調査だが、世界で最も多いのは日本語で書かれたブログだったそうだ。


 上で紹介した「コンテンツ産業論」で挙げられている日本型コンテンツ産業の特徴をまとめると


比較的低コストで作品を作れるので、ペイラインが低い。

国籍や文化の区別なく、物語のモチーフとなるものは自由に取り入れることができる。

エロチックな表現や暴力表現まで含めて、内容のタブーが限りなく少ない。

漫画、アニメ、ゲーム、ライトノベルなどのコンテンツごとに、作品のメディアミックスの種類が多様。

消費者層が年齢や社会階層に関係なく広がっている。

完成度の低いものでも発表する場がある。

著作権が緩く、同人文化やパロディ文化が盛ん。


 おおまかに書きだすとこんな感じになる。日本の武器は、中小規模のヒットでも産業が成り立つコンテンツ群の厚みだ。同人文化も含めて、そういったコンテンツに慣れ親しみ、積極的に関わろうとする人達の潤沢な国内市場がそれを成り立たせてきた


 小説や漫画と違ってそれなりに制作費が必要なアニメは、アニメの関連商品や玩具を売ることでリクープしてきた。ロボットアニメなんかは、提携した企業の玩具を売るために、たくさんのキャラを出したし、萌えアニメなんかも、一部のマニアックな層がDVDやグッズを買ってくれるからこそ成り立ってきた。 

 日本のコンテンツ産業はもともと、一部の層に気に入ってもらえればそれでリクープできるという土壌があった。大勢に受ける作品をつくらなければいけないわけではなく、それを見た人達の中から「一部」でも気に入ってくれる層がいれば、それで成り立つのだ。日本のオタクカルチャーが広まっていった背景にはインターネットで作品を無料で見れるようになったことがおそらく大きく関わっている。海外にも気に入ってくれる「一部」がいたわけで、ハリウッドみたいにクオリティの高さと大規模な宣伝で市場を獲得してきたわけじゃない。


 日本のコンテンツ群がすごいのは、世界中にコンテンツが広がっているんだけど、国によって人気のある漫画やアニメがけっこう違うことだ。だから、その多様性を産む土壌そのものが武器になっていると考えられる。一つ一つの作品とか会社ではハリウッドには到底及ばないんだけど、「日本のコンテンツ」という多様性のあるまとまりとして見ればそれなりに影響力はある。


ゲーム産業のハリウッド化

 前置きが長かったけど、ここからゲームの話に入る。「コンテンツ産業論」の中で小山友介さんが、現在のゲーム会社はハリウッド化している、と言う。

 コンテンツ産業の一つの潮流として、「コンテンツの無料化」がある。それは以前の記事で詳しく書いた(参考:コンテンツのデジタル化の先にAKBやソーシャルゲームがあるクリス・アンダーソンの『FREE(フリー)』が必読である理由が、要は、無料のコンテンツがネット上に溢れてて、これからのコンテンツ産業はそういうものと競争しないといけないし、コンテンツを無料で公開することを前提にビジネスモデルを組んだほうがいいよという話だ。

 ただ、ゲームは違法コピーされにくい。音声データ、画像データ、動画データは簡単に複製できるけど、ゲームは、特に最近のものになるほど違法にコピーしにくい。また、家庭用ゲームなんかはデジタルではなく物理的な財だから、収益モデルとしてはかなりしっかりしてるんだよね。


 ただ、ゲーム産業は「ハリウッド化」している。かつての日本のゲームは「多様性のある日本型コンテンツ群」の一部だった。今でもエロゲー、ノベルゲーはその一部と言っていいと思う。

 かつて書いた記事(ソーシャルゲーム批判で、和ゲーはパッケージ、洋ゲーはシミュレーションと分類したことがある。洋ゲーは現実に則したものになりやすいというか、比較的シミュレーション的な内容のものが多い。一方で、日本のゲームが時代を築いた華々しい間は、ゲームが漫画やアニメと同じように多様性のある日本型コンテンツの一部だった時期だったとも言える。漫画やアニメともメディアミックスが盛んだったし、色んな挑戦が可能で、多くの革新的な仕組みを生み出した。そのために日本のゲームは世界中で認められ、他国のゲーム産業にも大いに参考にされるくらいだった。


 だが、ゲームのハリウッド化は、ハードのスペック向上によって否応なくもたらされる。もうスーパーファミコンの予算でスーパーファミコンの規模のソフトをつくり、それを市場に流通させるみたいなことはできない。ハードの性能が上がった分だけ美麗なグラフィックや大規模なシステムや作り込みが求められ、開発コストが上がり、制作に関わるために必要な技能のハードルが高くなった。

 もともとはゲームも漫画やアニメと同じように国内の市場に向けてつくられていたけど、制作費が上がっていくにつれて国内だけでペイするのが難しくなり、海外で人気も出てきたことから、海外市場を意識するようになった。というより、制作費がかかるので、海外で売れないとリクープできない。

 業界全体が大作志向になっていき、合併や買収が進んだ。スクエアとエニックスがスクエニになって、さらにタイトーも買収した。バンダイやナムコもバンナムになった。ちなみに、海外のゲーム会社は日本以上に合併、買収が進んでいて、アメリカのゲーム会社が各国のゲーム会社を買収しまくってる。洋ゲーはもともとハリウッドと同じ発想でゲームを作ろうとしていると言われる。

 会社の数が減り、求められる技術のレベルが上がったので、大手ゲーム会社の採用は狭き門だ。「もし私が今日、任天堂を受けたいと思っても私の大学の学位では採用されなかったでしょう」と宮本茂が言ったのは有名だよね。

 そして、作品の内容も保守化している。これはむしろ、ハリウッドよりもゲーム産業に顕著と言っていいかもしれない。作るのに大金がかかるから失敗できない。かつては多様なゲームを生み出し続けてきた日本のゲーム産業なんだけど、今は発売されるソフトがほとんど過去作のシリーズだ。  任天堂が「完全新作」を出すと発表しただけで大騒ぎになるくらいだからね。



 別に僕は、ハリウッド型がダメで日本型が優れていると主張したいわけじゃない。ハリウッドやディズニーや任天堂やEAを馬鹿にできる人は少ないだろう。クリエイターは保守的な中で革新性を生み出そうとするし、技術的には最先端を行っている。排他的で、一握りの人材しか制作に関わることはできないが、クリエイターの待遇はしっかり保障する。

 日本型の場合は、クリエイター業務の門は広く、多くが職に就けるが、その分、産業としてやろうとすると待遇がブラックになりやすい。ハリウッド型は勝者総取りで、クリエイターの待遇もいいが、日本型の場合はみんながちょっと負けてるくらいなのかもしれない。


フリーゲーム、同人ゲーム

 今は個人でもゲームを作りやすい。ツールが充実しているし、ウェブで公開することも、アプリにしてリリースすることもできる。小説や漫画や音楽と同じように、ゲームも同人で作られるものが多くなっている。産業としての勢いはないけど、むしろ正統なゲーム産業が戻ってきたのかもしれない。もちろん一からプログラミングやデザインを作るのはなかなかできることではなく、既存のゲームエンジンやツールの上につくるので、メタ的なものやパロディが多い印象だ。それが日本らしいと言えば一番日本らしい。そこから良いものが生まれてくる可能性は高いし、実際に生まれつつあると思う。あんまりフリーゲームやってないからわからないけど。


ソーシャルゲームは日本型コンテンツの正統な後継者?

 今最も盛り上がっているのがソーシャルゲームだろう。もうすでにソーシャルゲームの収益はコンシューマーを全体を抜いている。これも「[ソーシャルゲーム批判(http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/06/20/204846)]に書いたことなんだけど、日本のソーシャルゲームの収益率ってめちゃくちゃ高いんだよね。DeNAやGREEはあれだけ短期間で大企業になった。日本のソシャゲには、プレイしたことがあればわかると思うけど、「ガチャ」という仕組みがあって、それがめちゃくちゃ儲かる。海外からは「ソーシャルカジノ」って言われてるらしいけどね。

 コレクションアイテムや限定アイテムと言っても、ただのイラストに金を注ぎ込むみたいな感覚は外人にはよくわからないだろう。だが、それは日本のコンテンツ産業が昔から持っていた仕組みだ。大勢に受け入れられる必要があるわけではなく、一部の層の執着によってその作品が成り立つ。

 正確な数字はわからないが、ソーシャルゲームを課金して遊んでいる人は、多くても全体の2割を超えないだろう。クリス・アンダーソンが、デジタルコンテンツはどんどんフリーになっていくから、コンテンツは無料で公開して、気に入ってもらえた層から収益を回収べきだと言っていたが、ソーシャルゲームはまさにそのお手本と言っていい。

 ファンやオタクが作品を買い支える土壌があらかじめ用意されていたから、そこにうまくハマった日本のソーシャルゲームが莫大な収益率を誇る。


 僕はかつてソーシャルゲームを批判した。だが、ソーシャルゲームは日本のコンテンツ産業の流れをある意味で正統に受け継いでいる。これは認めざるを得ない。ソシャゲに課金する人を馬鹿にしてはいけない。ロボットに熱中する人が玩具やプラモデルを買い集め、フィギュアや限定品にオタクたちが高い金を払ってきて、そういう人達と仕組みに日本のコンテンツが支えられてきた。例えば「まどか☆マギカ」みたいな作品も、その土台の上で生まれてきたものだろう。

 児童ポルノ法案に反対するのは、漫画やアニメに愛着がある人に多い。日本のコンテンツは、常識的な感覚では「タブー」とされるものを扱ってきた。ソシャゲが賭博だと批判されるのも、それこそが悪所から生まれた日本の正統なコンテンツの後継なのだという見方もあるだろう。ソシャゲと同じように内部のゲームで収益をあげるAKBなんかにまつわるセクシュアリティの問題を見ても、これこそが日本のコンテンツだと、やはり言わざるをえないのだろう。

 「いやいや、ソーシャルゲームなんてどれも似たようなものばっかじゃん!上に乗っかってるものが違うだけで根本的には多様性なんてないじゃん!ばか!」っていうのはかつて僕が言ったことで、たしかにその通りでもあるんだけど、それは、ソシャゲが収益を最大限にあげれる仕組みを確立してしまったからだろう。あとは確率設定などのちょっとした違いの問題なのだ。どれも似たようなソシャゲのシステムは、むしろ日本のコンテンツ産業が持っていた構造そのものを味方につけているということなのかもしれない


 これは僕が本を書くのを渋った理由の一つでもあるんだけど、ブログをやっていてわかるのは、「批判」みたいなもののパフォーマンスがあまりにも悪いということだ。ネットの世界では誰もが安易に批判できるし、そのぶんだけ批判の価値が下がる。何かを変えていきたいと思うなら、できるだけポジティブなものを積み上げていくしかないというのがブログを続けている僕の結論だ。

 ソーシャルゲームの仕組み自体が、日本のコンテンツ産業がもともと持っていた仕組みなら、それを踏まえた上でうまく使うべきだ。収益を上げやすいシステムがあるなら、苦しいアニメ業界はソーシャルゲームとくっつけるべきだし、教育やマネジメントなどにも応用しやすいと思う。また、今のソシャゲ業界も、どんどん競争が激しくなって、特別に甘い蜜を吸えるわけではなくなってきている。だから、なるべくポジティブな方向に持っていけるように、僕自身もこれからはソーシャルゲームなど積極的に勉強していきたい所存であります。




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