島めぐり

五島列島<3>100年続く活版印刷を継ぐ長女26歳

  • 文・写真 宇佐美里圭
  • 2014年10月21日

 九州本土から西へ約50キロ離れた小値賀島。人口3千人ほどの小さな島に、100年以上前から続く活版印刷所「晋弘舎(しんこうしゃ)」がある。

 工場は、港町の細い路地の中にたたずむ築100年を超す古民家。玄関をくぐり中に入ると、黒いどっしりとした印刷機が中央に鎮座し、使い込んだ木製の棚にずらりと活字が並んでいる。文字一つひとつが存在感を放っている。木の床には真っ黒なインクの染み。部屋全体から、時間の重なりだけが醸し出せる“厚み”が漂う。

 活版印刷は、15世紀半ばにドイツのグーテンベルクが発明した印刷技術。日本には江戸時代末期に長崎の奉行所で導入され、500年以上にわたって人類の歴史を記録してきた。1960年代に入ると写植やDTPなどの新技術がとって代わり、現代ではほとんどがデジタル製版になった。活版印刷は印刷物の1%にも満たないと言われ、名刺や少部数のカードなどに限られている。

 しかし、小値賀島では活版印刷がまだ現役で活躍している。フェリーの切符、チラシ、慶事や弔事の挨拶状など、島の暮らしに必要な印刷物を晋弘舎が一手に引き受けている。活版ならではの温かみのある文字にはファンも多く、関東や東北、沖縄などから名刺の注文も舞い込む。

 この活版印刷を未来へつなげて行こうと、3年ほど前から晋弘舎で働いているのが、4代目の横山桃子さん(26)。

 父、弘藏さんは印刷所の3代目で、桃子さんは工場が遊び場だった。幼い頃から活版印刷は身近な存在だったが、あくまでも「父の仕事」。大学生になるまで特別なものと感じたことは一切なかったという。

 グラフィックデザインを学ぼうと岡山県立大学のデザイン学部に入った。3年生のとき、印刷工場の見学に行くと、そこに活版印刷機があった。

「『昔はこれを使っていた』と聞いて、『えっ? うちは今でも普通に使ってるんですけど』って(笑)。先生にすごいと言われ、活版印刷の存在が急に大きくなりました」

 その後、夏休みで帰省し、改めて実家の活版印刷所を見ると、なんだかとても魅力的に見えた。しばらく離れていた分、余計に惹かれるものがあったのだろう。父、弘藏さんは自分の代で工場をたたむつもりでいたが、桃子さんの中では「残していきたい」という思いが膨らみ始めた。

 そして、その気持ちはいつしか抑えられなくなっていた。桃子さんは、「活版印刷」と「小値賀」をテーマに卒業制作の作品を作ることにした。小値賀の町を定点から撮り、そのときに感じた気持ちを短歌によむ。こうして、写真と活版印刷による短歌を組み合わせてタペストリーを作ったのだ。

「そのとき、初めて自分で印刷しました。職人のおばちゃんや父に基礎を少しずつ教えてもらって。作業の流れは、文選、組版、印刷、解版ですが、一番難しいのは組版。そこが腕のみせどころです。文選には慣れが必要で、一文字探すのに1時間くらいかかるときもありました」

 実際にやってみると、桃子さんはさらにのめりこんだ。それまでは東京でデザインの仕事をしたいと思っていたが、小値賀に戻って活版印刷を継げないだろうか……。大学の恩師に相談すると、「デザインはどこでもできる。自分が好きな場所に住み、好きなことを仕事にするのがいいのかもしれないね」と背中を押してくれた。

 しかし、親に相談すると猛反対される。「帰ってくるのはいいけど、今じゃなくてもいい。もっと広い世界を見てからにしなさい」。ただ、桃子さんの気持ちはもう小値賀にあった。大学の先生に相談すると、「じゃあ、企画書を作ってみたら」とアドバイスを受けた。小値賀でどうやったら活版印刷で食べて行けるのか。事業計画をまとめて、親にプレゼンをすることになったのだ。

「たとえば、名刺の注文を月にこれくらい受けたら収益はこれくらいとか、物産のデザインをしたらいいんじゃないかとか、そんな話をしました。見込みはあるんじゃないですか、と。そのときの感触は悪くなかったんです」

 しかし、卒業間近の3月になり、父から突然、電話があった。やっぱり、一度東京へ行った方がいいんじゃないか、と。

「もう、えぇ~って感じですよ。就職活動もしてないし、家も引き払う手配もしていたし……。でも、一度は東京へ行ってみたいという気持ちはあったので、1年だけという約束で東京へ行くことにしました」

 急転直下の東京暮らし。仕事の当てはなかった。鎌倉に親戚がいたので、とりあえず居候させてもらって就職先を探した。2カ月後、たまたま親戚のつてで、企業の広報誌を作る編集プロダクションで仕事が見つかった。

 都内にある5人ほどの小さな会社。桃子さんは契約スタッフという形で働き始めた。仕事は雑用から企画の手伝い、企業のイベントの準備など何でもやった。

 その後、所沢で一人暮らしを始め、家と会社を往復する毎日。休みの日には、活版印刷のイベントに足を運んだ。学ぶことの多い日々でも、まわりに知り合いが少なく、寂しさが募った。

「早く小値賀に帰りたい……」。そんな思いを強くしていた頃、東日本大震災が起こった。3カ月後、桃子さんは「帰るなら今だ」と腹を決め、ようやく故郷、小値賀へ戻った。(次回は11月4日に掲載する予定です)

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PROFILE

宇佐美里圭(うさみ・りか)

1979年、東京都生まれ。編集者、ライター。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルー・クスコにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。ワールドミュージック誌、スペイン語通訳、女性誌を経て、『週刊朝日』編集部。料理研究家・行正り香さんの書籍を多数手がける。ラテン音楽、山、ワインが好き。


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