2011年AFCアジアカップ(カタール)優勝から1週間。帰国して日本代表の映像を何度か見返してみたが、実際の現場で思った以上に、MVPを獲得した本田圭佑(CSKAモスクワ)の存在感の大きさを実感させられる日々だ。

今回の本田は念願のトップ下で大会に挑んだ。彼が日本代表のレギュラーをつかんだのは昨年3月のバーレーン戦(豊田)なので、公式大会をトップ下で戦ったのは今回が初めてということになる。「俺がもっと足が速かったらトップを目指していたかもしれへんし、トップでありたいと思ったかもしれんけど、やっぱりスピードが足りひん。トップ下が自分のポジションやと思いましたね」と本人はしみじみ語っていた。

彼は大会を通じて、要所要所でリズムを作り、得点機を演出していた。本田が「今の代表はヤットさん(遠藤保仁=G大阪)のチーム」と言う通り遠藤が、攻撃の起点となるパスを出していたものの、本田はその一列前でタメを作り、勝負のラストパスを出していた。シリア戦の長谷部誠(ヴォルフスブルク)の先制点につながる前線への突破と香川真司(ドルトムント)へのマイナスのパス、カタール戦での香川の1・2点目につながる鋭いスルーパス、そして韓国戦の前田遼一(磐田)の先制点の起点になる長友佑都(インテル)への見事なタテパスと、ざっと見ても4点をお膳立てしている。

特に印象的なのが韓国戦の前半だ。韓国が疲れていたとはいえ、香川と本田のパス交換からの飛び出しは確実に相手を崩していた。そして長友の飛び出すタイミングを測りながらしっかりとタメを作り、近年の日本代表のベストゴールといってもいい得点を生み出したのだ。「日本のアタックは中村俊輔(横浜)らベテランがいなくなってからすごく速くなったし、バリエーションも増えた。本田の働きが大きいね」とバーレーン人記者にも絶賛されるほど、本田は光っていた。

ただ、決勝・オーストラリア戦はミスパスが目立った。自陣にガッチリとブロックを作って守る相手を崩しきれず、体力的な問題もあって動きにキレがなかった。自ら強引に突破しようとしてもオーストラリアレベルの個の力の前には思うようにいかない。本人がMVP受賞後に「プレーのことは聞かんでください」と悔しそうに言ったのも、自分の出来に満足していなかったからだろう。

大会中にも本田は「個の力がまだまだ足りない。もっと上げないと」と言い続けていた。ロシアでは2列目よりもボランチとして起用される機会が多いこともあって、トップ下の自分自身に確固たる自信が持てない部分もあるのかもしれない。傍から見ると、ボランチでもよくやっているし、彼自身のプレーの幅を広げることにつながっていると感じられるのだが、本人は「器用貧乏」にはなりたくないという強い意思を持っているようだ。

「俺はディフェンスも昔からできたし、パスも出せた。目立つために、あえていろんなことをやってきただけの話。今回だって優勝するために自分のやりたいことを消した部分がある。器用な自分だと成長するスピードが日本人のまま。日本人だとダメなんですよ。俺は日本代表の攻撃を仕切ることが夢でもなんでもないから」と語気を強めたのだ。

本人はシリア戦のPK1本のみというゴール数に不満を抱いている。それは見る者にとっても確かに物足りない数字だ。しかしながら、MVPを獲り、名実ともに日本の看板選手になったのは事実である。

CSKAに移籍した頃から、本田はかつて「ビッグマウス」といわれた豪快な喋りを封印し、メディアにほとんど話さなくなっていた。2010年ワールドカップ南アフリカ大会でも「話さない方が集中できる」と数回しかメディア対応に応じなかった。だが、今回のアジアカップでは試合と試合の間に1〜2回は必ず長く話をする日を設け、自分の考えを説明してきた。そういう態度の変貌も「自分が日本を背負っている」という意識の表れではないだろうか。

実際、この1年間で、彼を取り巻く環境は恐ろしいほど大きく変化した。中村俊輔とFKを巡って意見を戦わせていたのがわずか1年数ヶ月前とは信じられない劇的な飛躍である。彼自身はこの先も一気に成長したいと強く願っているし、野心を抱き続けている。理想が高いからこそ、アジアカップの自分自身に納得できないのだ。

「何のためにサッカーやってるのかって考えた時に、やっぱりうまくなりたい。強いやつらに勝ちたいし、世界中に認められたい。日本代表の本田圭佑はまだまだレベルが低いし、アジアを獲ったところで何もやり遂げたわけじゃないから。この大会ではワンツーからタテに抜け出すとか、フェイントを入れながらシュートを打つとか、リスクを背負ったプレーが少なかったし」とどこまでも自分に厳しい本田。そうやって苦言を呈することが今後の成長への糧になるのだろう。この半年はロシアでのプレー続行が決まり、本人も複雑ではあるだろうが、次なるステップアップの場を得て、代表をさらに強くするためにも、この半年間でやれることは全てやってほしいものだ。

photo

元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。