ファンタジーRPGでの道

1.序〜私の拘泥

 そもそもの始まりは、あれだった。
 熱血専用に参加したとき。
GM:この世界は、中世ファンタジー世界です。
 この言葉。これを聞いた瞬間に、私の頭の中をいろいろな言葉が渦巻いたのだった。
 中世。カール大帝。百年戦争。イングランド長弓隊。ロスロリアン。はなれ山。モリア……。
 これらから連想された世界と、GMの提示した世界とがかけ離れていたのは、どうしてなのだろう。
 次に起こったのは、あれだった。
 Tale of Runebringers(注1)に参加したとき。
GM:この世界は、中世ファンタジー世界です。
 この言葉。これを聞いた瞬間に、私の頭の中をいろいろな言葉が渦巻いたのだった。
 中世。カール大帝。百年戦争。イングランド長弓隊。ロスロリアン。はなれ山。モリア……。
 これらから連想された世界と、GMの提示した世界とがかけ離れていたのは、どうしてなのだろう。

 どうも、中世という言葉は、勘違いされているようである。これが我が北大RPG研究会内だけの現象だったらとても嬉しい(いや、嬉しくはないが)のだが、どうも違うらしい。

 ちなみに、広辞苑では中世を「西洋史ではゲルマン移動から百年戦争まで」と定義している。
 私の感覚では、みんなが中世と聞いて思い浮かべるのはルネッサンスからフランス革命ぐらいの時代のようだ。

 反論があると思うので、まず断っておくことにしよう。
 まず、「わかりゃいいじゃん」という反論。
 一言、「私は分からん」というのは駄目なんだろう。私の以上のような感覚は、確かに今となっては少数派かもしれない。だが、誤りは誤りであるという事実に変わりはない。
 それに、「少数派」というのはファンタジーRPGをやってる人で、のことだろう。広辞苑にそう書いてあるということは、少なくとも世間的な定義は中世=ゲルマン移動〜百年戦争、ということのはずだ。
 ゲーム中での定義と世間的定義がかけ離れているというのは、よろしくない事態である。それは初心者への窓口を狭めることにでもなるだろうし、誤解のもとでもある。
 中世の歴史学的な定義は、実のところ非常に複雑で、マルクス史観ではどうかとか言い出すとキリがないのでここでは省くことにしようと思う。少なくとも、歴史書ではゲルマン移動あたりが「中世の始まり」で、ルネッサンスぐらいに終わるという記述になってることが多いというのが私の実感である。広辞苑の定義とあいまって、中世=百年戦争以前、というのが世間的認識であると考えることにする。
 「中世ファンタジーの小説として書かれているものの世界観にそういうものが多い」という反論。
 それは勘違いである。こういう反論のときに思い浮かべられる小説で、「中世」と言い切ってるのは意外に少ない。例えば「魔術師オーフェンはぐれ旅」の作者は、同作品の世界観のモデルを「18世紀イギリス」と言っている(注2)。
 むしろ、読者のほうが「魔法がある」=「ファンタジー」=「中世」という思いこみに支配されているのではないだろうか。
 「ファンタジーなんだから史実と同じである必要はない」そのとおりだ。なら、「中世」という言葉を使うべきではない。わざわざ「中世」という歴史用語を用いるのは、歴史上の「中世」という世界を土台としていることを示して、世界観の理解を容易にするのが目的なのだろう。なら、間違ってる認識を示すことは世界観の理解の妨げにしかならないはずだ。
 「こだわり過ぎだよ。気にするな」「私はそうは考えない」こういう意見をまともに取り合う気はない。これらはつまるところ、議論をこれ以上する気はないということであり、説得に失敗した人間の言い訳にしか聞こえない。

 では、中世とはどういう世界なんだろうか?これがこの稿の内容の直接的契機である。(この稿そのものの契機は?言うまでもないだろう?)
 というわけで、今回は「道」「旅」をキーワードに中世という世界観を提示してみようと思う。これを読んでくれた人が、「中世ファンタジー」を「近世ファンタジー」と言うようになってくれれば幸いである。
 それから、付け加えておくが、以下ヨーロッパについて扱うことにする。多くのファンタジーはヨーロッパの中世を範としており、わたしの歴史的知識がヨーロッパに偏っているからだ。

2.交易

 都市・商業はローマ帝国末期から崩壊の道を歩み、10世紀頃には最低レベルに落ち込んだ。その後14世紀までゆっくりと復活していったようだ。14世紀半ばに百年戦争が始まるので、中世を通じて崩壊〜復活という流れを持っていたということになる。
 10世紀に復活に転じたのは、三圃制や鋤鍬の改良、肥料の採用などの「農業革命」があったためで、これによって人口が増加し、余剰人口が荘園から都市に流れた(都市に夢を託したのと、都市に1年留まれば自由が得られるという事情のせいで)。都市の生活事情は非常に悪く、悪疫の温床で、平均寿命は非常に短かった。
 商業、特に遠隔地商業の復活は、ノルマン人の影響が大きい。ノルマン移動以後、北海と地中海をつなぐ道が開かれた。ハンザ同盟が力を持ち始めるのは13世紀だが、数世紀遅れたのは大西洋を航海するだけの技術を持っていなかったためで、それ以前は主にロシアを通る交易路が用いられた。
 遠隔地交易は主に船を用いられた。船だと一度に運べる量が大きい為で、人間が背負って(あるいは動物に背負わせて)運ぶよりも結局のところ得だった。
 ロシアでも陸路は用いられなかった。ロシアは全体的に平坦なので、河川を遡ったり下ったりしてノヴゴロドからコンスタンティノープル(イスタンブール)まで行くことが出来た。船底を平坦なものにして、川から川へは担いで移動したらしい。

 逆にいえば、陸路はほとんど用いられなかったということでもある。ヨーロッパは全体的に平坦な為、河川を遡るのにそれほどの労力は必要ない。陸路のほうが危険な上に、運べる量が少ない為採算は取れない。陸路は用いられないから、さらに危険になる。道路状況は悪くなる。この連鎖で、陸路はほぼ使われなかったと見ていいだろう。
 但し、完全にゼロではなかった。特に中世初期には、国王は税を集める為に各地を回らなければならなかった。歴史地図を見ると大抵の国の首都が複数書いてあるのは、騎士たちを引き連れて国土を食いつぶしつづけるという行動を国王たちが行っていたことによる。
 すなわち、国王の一行が各地を回る程度の陸路はあったはずである。これは推論ではあるが、大人数が移動できたのだからそれなりに整備してあっただろうという考え方も出来るが、一方で、大人数だから多少整備されてなくても大丈夫だっただろうという考え方も出来るだろう。
 また、10世紀以降陸路の重要性が増す。聖地巡礼熱がその重要な原動力で、1000年が迫った当時、キリスト教徒は世界が滅びつつあるという認識を抱いていた。異民族の度重なる襲撃などの外患も原因だろうが、三圃制の広がりなど、歴史的な変動期にあったからだろう。で、聖地巡礼が流行した。
 聖地巡礼の影響は甚大である。イェルサレムへの巡礼はヴェネツィアの隆盛をもたらした(注3)。また、巡礼者の落としていく金はイベリアのレコンキスタの経済的な動力となった(注4)。

3.山賊・海賊

 またノルマン人の話である。海賊=ノルマン人は分かるけど山賊=ノルマン人なの?と思う向きもあるかもしれないが、中世では山賊といえばノルマン人だった。彼らは海の民族という認識があると思うが、ヨーロッパ全域に広がって各地に根付いた。各地の王侯も傭兵として彼らを雇ったので、引く手あまただったようだ。
 歴史地図は誤解を生むように書いてあって、全てのノルマン国家が海からノルマン人が襲撃して立てたように書いてある。実際にはシチリアのノルマン国家の起源は不明で、少なくとも南イタリアを統一したロベール・ギスカールは巡礼者出身である。巡礼というかたちで大量の傭兵を呼び、この地を制圧したようだ。

 余談だが、こう考えてくると、中世ファンタジーでやって楽しそうな立場は、ノルマン人ということになるだろう。生まれ故郷を離れ、各地をさすらい、身ひとつで生計を立て、成功すれば一国の王となるのだから(ロベール・ギスカールは両シチリアの統一者。教皇側について皇帝と対立。甥が王冠を得て両シチリア王国を建国する)。

 だが、もちろんロベールの例は最も華々しく成功した例であって、それだけを見てはならない。失敗し身を崩した例も多いだろう。そのような場合、巡礼熱を利用し、山中などに潜伏して金銭をまきあげる山賊に身を落とした。

 海賊はむしろ、地中海を舞台とするキリスト教徒とイスラム教徒との争いの現れという意味合いを持っていた。
 また、キリスト教徒同士の争いの現れでもあった。都市国家などに雇われた(あるいは都市国家そのものの)船隊が海賊船として他の都市の船を襲った。
 なお、奴隷を使役してガレー船を、というのも偏見である。そのようなことをしたのは主にイスラム国家で、キリスト教徒側はちゃんと雇った兵を使っていた。その方が戦闘時に有利だからだ。奴隷は船漕ぎにしか使えない上に、敵が解放すれば喜んで裏切るだろう。
 だが、結論から言えば海上交易のほうが有利だった。特に、中世後期にヴェネツィアで海上保険が生まれ、失敗して破産するという恐れも各段に下がってからは、海上交易の有利さはさらに増すことになっていく。

4.総括

 以上のようなことをまとめると、おおむね中世における交通事情は以下のようになる。

・総括的に言って海上交易が陸上交易に卓越。ただし、船は高価。
・陸上交易はゼロではない。が、山賊が出没し、非常に危険。
・主な旅行者は巡礼者とノルマン人傭兵。大人数で移動することが多い。
・海賊はおもに国家に雇われている、あるいは国家の軍そのもの。

 いわゆる「中世ファンタジー」と呼ばれる世界観とは違うことは明らかだ。
 少なくとも、隣の町に行くのに宣言するだけで行けるような世界ではない。
 というわけで、私は「中世ファンタジー」を「近世ファンタジー」と言いかえることを主張する。

 書いてるうちに、「この世界観おもしれえな。やってみたい」とか思いはじめたのだが、それはまあ別の話である(注5)。
 ちなみに、ファンタジーRPGの源流である「指輪物語」は、ノルマン人以前の中世をモデルにしていると思われる。一読をお薦めする。

(注1)我が北大RPG研究会のオリジナルルール。
(注2)月刊ドラゴンマガジンの、1996年頃のインタビュー記事。何月号かは手元にないので確認できない。
(注3)地中海岸の諸都市からイェルサレムまで海路、というのが多かったが、ヴェネツィアはパック旅行を発明し、甚大な集客力を発揮した。
(注4)イベリア半島西北部にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステラは作られた聖地である。810年アストゥリアス王国のアルフォンソ2世のもとで、この地域へのキリスト教徒の入植を進めたテオドミロ司教が聖ヤコブの遺骨を発見したというのが始まりで、中世の三大聖地(残りはローマとイェルサレム)のひとつとなった。イェルサレムへの巡礼と違って安全であったために好まれた。「サンティアゴ・デ・コンポステラ」(星の平原の聖ヤコブ)という名前も、人々を誘ったかもしれない。
(注5)この世界でノルマン人をやってみたい。誰か作ってもらえないだろうか?

参考文献:世界の歴史10「西ヨーロッパ世界の形成」 佐藤彰一/池上俊一著 中央公論社
     「中世シチリア王国」 高山博著 講談社現代新書
     新書西洋史3「封建制社会」 兼岩正夫著 講談社現代新書
     「西ゴート王国の遺産 近代スペイン成立への歴史」 鈴木康久著 中公新書
     「指輪物語」 J.R.R.トールキン著 瀬田貞二・田中明子訳 評論社文庫
     「世界史年表・地図」 吉川弘文社