ピピピピピがブログを書きますよ。

運動もせず、ヘタレ顔でキーボードに手を置くピピピピピがブログを書く。野人の如き豪快さが欲しいね。

世迷い言を並べ立てる自称占い師はさぞかし楽しいのだろう

綺麗事を撒き散らすのには快感が伴う

だから、ろくでもない生活を送る利己主義者な癖して、占い家業に精を出せる。
「アドバイスをしてあげる事で、より良い人生に導いてあげよう」などと、これっぽちも思っちゃいない。
根本にあるのは、金や楽だ。気楽にお札を奪いたい。そうした発想を元に動いている占い師はいくらでも存在する。9割方そうだろう。
彼らは、「元々人と接するのが好きだし、何より自分なんかのアドバイスを喜んでくれるってのが嬉しくてハマっちゃったんです」と、謙遜を交えた事をいう。
所詮付け焼き刃、本からエッセンスを抜き出して唾と共に客に吐きかける程度の事しかしていない後ろめたさがある為、そうやって畏まるのだ。
ある程度お喋りの好きな人は、悩み事を聞いたり、思いつきの忠告をしてあげる度に快感回路が活発に動く。
博打に耽溺しているのに等しい。
そんな依存症を患った先生崩れのような人間が、なぜ他者の生き方を指南して上げられるのだろうか。

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ちなみに、僕は占いが好きだ

東京の有名な先生のところに足を運んだ事もある。3万円ぐらいは占いに費やして来ただろう。
だからこそ、地に足のついてない自称占い師に反発心を持ってしまうのだ。
自分の生活もままならない坊ちゃんが、必死に生きている人たちにあーだこーだと言い放つ。
もう見た目も、喋りも、何から何までごまかしに見えて仕方ない。
守護神とか口にしちゃう中学生レベルの発想で、どうして人から金を掠め取れるのだろうか。
ある意味、神秘的な輝きを感じてしまうぐらいだ。
占い師は、人から馬鹿にされやすいし、胡散臭いと思われがちだ。
それは、怠惰な生活から離れられない負け犬が占い師を名乗るせいである。
人々の持つ〝他者依存性〟という弱点を突き刺す真似は辞めるべきだ。

 

 

日記

仕事や勉強の他、やりたい事に溢れている為、記事が雑になっている。
思いつきを感情的に書き連ねて、見直しなしでそのままポストするスタイルで当分やっていくつもりだ。
だから、反感を買うような文章も出来上がってしまう場合もある。
それでも別な分野と両立する為にも、気にせず投げ込んで行こうと思う。

基本的に僕は、他人を心の底からディスる事はない。
たとえ記事で重箱の隅をつつくような批判をしていたとしても、それは言葉遊びに過ぎないと思って欲しい。
どうせ人は綺麗も汚いもなしに燃やされて終わるのだ。
だから、誰がなんと言おうと自分の意思で好きに生きれば良い。
そう考えたら、誰も人の生き方に本気で口出しなど出来ないはずだ。

玄関の鍵を閉め忘れたかどうかを気にしない生き方をしたい。