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2014-10-20-月 『鈴木書店の成長と衰退』を読んで取次のことを考える(上)

小泉孝一著『鈴木書店の成長と衰退』(論創社)を読了。


鈴木書店の成長と衰退 (出版人に聞く)

鈴木書店の成長と衰退 (出版人に聞く)


小田光雄さんが聞き手となってインタビュー形式で構成された「出版人に聞く」シリーズの第15弾。小泉孝一さんは、取次・鈴木書店が創業されて間もないころ入社をされ、1996年取締役仕入部長退任するまで関わっていたので、創業者の故・鈴木真一氏の人となりを知り、「成長と衰退」を自ら経験されていることが読んでよくわかりました。

鈴木書店は、栗田書店(現在の栗田出版販売)、戦後、GHQによって解体させられた国策会社・日本出版配給などを経て、故・鈴木真一氏が1948年に創業し、2001年に自己破産により経営破綻をしています。

鈴木書店といえば、岩波書店や筑摩書房をはじめとした人文系の版元に強いことが有名でした。当時の大型書店は、だいたい複数の取次と取引をしていて、人文書の棚は鈴木書店が担当しているところが多かったものです。書店からみれば、日販やトーハンといった大取次に比べて小回りが利くため入荷日数も早く、担当者が専門知識を持っていたので重宝していたはずです。また、中小取次が集まる神田村にあったので、書店向けの店売で人文書の売行き良好書を現金で取引もしていました。

個人的なことでいえば、鈴木書店とは版元営業としていたころに本社に何度も行きました。人文系の版元ではありませんでしたし、直接の担当ではなかったのですが、2階の取調室のような(?)仕入部に新刊見本を出しに行っていました。たしか仕入にはお二人いて、そのうちお一人は書店向けの手書きによる情報紙「日刊まるすニュース」を出していたことで有名だった井狩春男さんでした。『返品のない月曜日』(ちくま文庫)など著作もあり、その後、本のソムリエとして活躍していました。

勤めていた版元は書泉グループ(グランデ、ブックマート、ブックタワー)との取引がとても多かったのですが、週3回ある集品では、午前中に持っていてもらうと午後の早い時間にに納品されるので、毎回のようにお願いしていたものです。

そんな思い出もあり、日販に就職して一時期取次に在籍したこともあるので手に取った本なのですが、とても興味深く貴重な話を読めました。取次には版元から商品を仕入れて書店に納品する物流に加えて、その反対に代金を書店から回収し、版元に支払う金融機能があります。版元の資金融通(戦後直後には紙の確保も)するところなどは、なかなか活字に残りにくいところです。

鈴木書店が大学生協を開拓して取引することによって思わぬ影響を出版業界に与えていたこともわかります。出版物の再販売価格維持制度(定価販売)が法的に確立したのは1953年の独禁法改正によってですが、なぜこの時期になったのか知りませんでした。どうやら、生協が割引をして出版物を販売するために、学校周辺の書店による働き掛けがきっかけになったようなのです。

経営の屋台骨である岩波書店の既刊本が売れなくなったことによって新刊の売上比率が高まり、結果として返品率の上昇を招いて、鈴木書店が衰退していく経緯も述べられていますが、これは現在でも当てはまることでしょう。

現在は書籍返品率は40%ほどといわれます。書籍一点ごとに集計をするとよくわかるのですが、書店からの注文と返品が行ったり来たりしてうちに徐々に在庫が減っていくものなのですが、こと新刊委託期間の返品率をにかぎれば、これよりはるかに高いはずです。取次が総量規制などをやっても新刊点数が減らないかぎりは根本的に返品率を改善することはできないと以前から考えていますが、返品率の低かった鈴木書店すら、すでに1980年代ごろを境に生じていたことがわかりました。

読者から見れば、版元や書店のことは知っていても出版流通の要、取次のことはなかなかわかりにくいものですが、この本を読めばその一端を理解することができるでしょう。鈴木書店が経営破綻してからすでに13年ほど経ちますが、これは過去のことではなく、現在にも通じる教訓が詰まっているように感じられてなりません。

この本を読み終わったら、ここ数年明らかになってきた中堅取次の苦境が頭を離れなくなりました。次回は、経営再建のスキームが明らかになった大阪屋のことを書いてみます。

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