普通の人は円城寺と聞いても「?」となると思いますが、橋本の中では「円城寺」と言えば戦国武将(笑)。すぐにピンときました。
戦国時代が大好きで歴史マニアの一面も持っている橋本としては黙って居れず、履歴書で名前を見てすぐに「九州出身?もしかして戦国武将の子孫?」とたまらず質問をしてしまいました。
本人は「え?」と言ってから(何でいきなりその質問?この人何考えてるの?と思っていたでしょうが・・・)しっかりと「そうです。辿っていくと円城寺信胤の子孫にあたります」と答えてくれました。
その瞬間、橋本のテンションはグイっと最高潮に達し、そこから少し円城寺信胤から龍造寺家・四天王の話に入り戦国時代の話で盛り上がりました。
面談では勿論就活のことをメインに話しましたが、やはり最後は円城寺信胤の話になり、「もっと知名度が上がると信長の野望(ゲームメーカー光栄のゲームソフト)でも円城寺を登場武将として使ってもらえる機会が増えるんですけどねぇ・・・」とその学生は最後に言っていました。
ということで、就活・就職とは関係ないですが、今日は“円城寺信胤”という、主君のため「義」に生きた戦国武将の紹介をして終わります。
橋本が好きな男振りの戦国武将です。
■円城寺 信胤
(えんじょうじ のぶたね・生年不詳 〜 天正12年3月24日)
:龍造寺氏の家臣。千葉氏の子孫に当たるといわれる。千葉氏の支流が園城寺と関係があり、それをもじって円城寺氏と称したと言われている。
武勇に優れ、各地を転戦して武功を挙げた。信胤を龍造寺四天王の一人に挙げられることもある。1584年、島津氏との戦い(沖田畷の戦い)で主君・龍造寺隆信の身代わりとなって戦死したという義の武将。
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