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北野田医生協総代会、「韓日交流マダン」、たつみ正夫さんの「漢ぶり」

 今日は朝から南海高野線で北野田へ。「北野田医療生活協同組合」の2008年度第38回通常総代会に出席し、日本共産党を代表してごあいさつ。衆議院大阪16区岸上しずきさんや17区の坂本じょうじさんもごいっしょしました。「後期高齢者医療制度」の廃止・撤回はどこでも医療関係者の切実な願いです。来る総選挙で審判を下し、必ず廃止させましょうと訴えました。

 会場を飛び出して大阪市内へとんぼ返り。新今宮駅で妻と待ち合わせて大阪城公園へ。今日は「在日外国人に地方参政権を」との要求を掲げて、大阪城公園「太陽の広場」で、在日本大韓民国民団大阪地方本部(民団)主催の「韓日親善交流マダン(広場)」が開催されました。先日のご招待にこたえて妻と揃って出かけました。到着すると記念式典の最中で、わが党からは石井いく子衆議院議員・党副委員長か登壇し、党を代表して連帯のごあいさつ。

 石井副委員長は日本共産党が在日外国人に地方参政権を保障することは当然のことであると考えていること。「参政権」という場合に、選挙権だけでなく被選挙権(選挙に立候補して議員になる権利)も当然保障すべきであるというのがわが党の立場であると訴え大きな共感の拍手をいただきました。

 「韓日親善交流マダン」には自民・公明・民主の各党からも代表が出席してあいさつ。どの党も少なくとも「選挙権」については、反対する党はありませんでした(言葉の上では)。ならば、選挙権だけであってもただちに参政権を保障すべきです。国会に法案が何度も出されていながら、いまだにピクリとも動かないのは与党の怠慢であり、これ以上引き伸ばすなら、「妨害」と言われてもしかたがないでしょう。

 ちなみに、「交流マダン」には橋下大阪府知事や平松大阪市長も参加。橋下知事はタレントなみの大人気で、携帯メールで写真を撮ろうとする人の人垣が出来ておりました。しかし知事のあいさつは、「難しい議論は東京でやってもらって、大阪では日本も韓国も在日も、中国もアジアも仲良くやりましょう」というもの…「在日外国人に地方参政権を」をかかげた集会に来て地方の首長が行うあいさつとしては、残念ながら合格点は差し上げられません。

 式典の後は、焼肉やキムチをご馳走になって、会場を見て回りました。会場テントではチジミやトッポッギから、たこ焼き、お好み焼き、焼きソバと「大阪の味」も勢ぞろい…私は「アプロ社」のテントで売っていた「日本・中国・韓国=共同編集、未来をひらく歴史」(高文研)と、在日本大韓民国民団中央民族教育委員会が企画した「歴史教科書、在日コリアンの歴史」(明石書店)の2冊の本を買いました。

 ひととおり見て回った後、キム・ハンイク団長やパク・ヨンチョル副団長にごあいさつ申し上げて会場を出て、大阪城公園駅で妻と別れて西淀川区民センターへ。西淀川区でくつぬぎタケ子さんの後をうけ7期28年間大阪市会議員をつとめられたあと、この間定数1の大阪府会議員選挙にチャレンジしてこられた、たつみ正夫さんの「ご苦労さん会」に出席させていただきました。

 元日本共産党西淀川地区委員長をつとめてこられた岩下経興府書記長や、大阪5区の衆議院候補でもあった山下よしき参議院議員、次の総選挙での衆議院大阪5区の予定候補姫野きよしさんらの後、私も一言たつみさんに感謝の言葉を申し上げました。たつみ正夫さんは、1954年早稲田大学文学部哲学科に入学。学生時代は早稲田大学応援団の主将や団長をつとめられた異色の経歴の持ち主です。

 1958年早稲田大学大学院政治学研究科にすすむと、「早稲田精神高揚会」を創設し初代会長に。やがて、有名な陽明学者安岡正篤(やすおか まさひろ)氏の一番弟子となって「陽明学」を学びます。安岡氏は自民党政治家たちの間では「精神的指導者」とか「陰の御意見番」、「首相指南役」などと呼ばれ、崇拝されてきた人です。そのたつみさんが大阪の西淀川区に帰ってきて、地域の人たちの貧困と格差を目の当たりにして生き方を転換。日本共産党に入党し、くつぬぎタケ子さんの秘書となるのです。

 実はたつみさんの早稲田の2年後輩に自民党の森喜朗元首相がいます。森氏は高校時代にラグビー部のキャプテンとして活躍。「早大ラグビー部監督のスポーツ推薦を受けて早稲田大学第二商学部(夜間学部)に入学。早稲田大学ラグビー部に入部するも、わずか4ヶ月にして胃カタルにより退部した」というのが、インターネット百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」の説明です。

 森氏と衆議院当選同期の東中光雄元衆議院議員によると、森さんはたつみさんをよく覚えておられ「そうですか、辰巳さんは御党の議員さんですか」となんとももったいないと言わんばかりに言い、「辰巳さんはほんとうに人望を集めた人でした」「国会へ出てこないんですか」と述べたそうです。どうやら、たつみ正夫と森喜朗では「漢(おとこ)ぶり」に格段の差があったようで、「国民の暮らしの応援団長」たつみ正夫さんの長年のご奮闘に、心から感謝の言葉を申し上げました。

 

 
 
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