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寄稿 「アイヌ政策有識者懇談会報告書」をどうみるか? (3)                                 かけはし2009.11.9号

「先住民族」として誇りを持ち生活できる共生社会を

グループ`シサムをめざしてa(首都圏) 加藤 登 


 七月「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」は政府に「報告書」を提出した。この「報告書」をどのように評価し、次の運動を組み立てていくのかということが重要である。そのためにグループ`シサムをめざしてa首都圏の加藤登さんに寄稿していただいた。目次の見出しは編集部が付けたものです。

もくじ
(1)アイヌの人々の歴史
 1、今に至る歴史的経緯
 2、現状と最近の動き
 3、今後の政策のあり方(以上前号号)
(2)歴史と文化についての認識
(3)国連宣言と「報告書」(今号)
(4)今後の課題と闘いの方向

(4)今後の課題と闘いの方向

 「定義をめぐって」(P23)書かれている。
 日本政府は長らく「定義がない」ということを理由にアイヌ民族を先住民族として認めてこなかったことを考えれば、この文章が入った意味は大きい。もちろんこの定義に関しても議論が必要なのはいうまでもないが、「定義」について、言及しているこの意味は軽視できない。
 この報告書は憲法との関連について次のように言及している。
 この有識者懇談会では、アイヌ民族に関してまったく知らない憲法学者がおり、先住権を認めるにあたって憲法的制約を持ち出すのではないかという懸念があった。
 報告書は次のように述べている。
 「憲法がアイヌの人々に対する特別な政策にとって制約として働く場合でも、合理的な理由が存在する限りアイヌ政策は認められるといえる。さらに今後重要なことは、アイヌ政策の根拠を憲法の関連規定に求め、かつ、これを積極的に展開させる可能性を探ることである」。
 このように憲法解釈を示していることは、ひとまず、肯定的に受け止めることができる。ただし、アイヌ民族の民族議席に関しては、次のように述べ、問題を先送りしている。
 「アイヌ民族のための特別議席の付与については、国会議員を全国民の代表とする憲法の規定等に抵触すると考えられることから、実施のためには憲法の改正が必要となろう。特別議席以外の政治的参画の可能性については、諸外国の事例も踏まえ、その有効性と合憲性を慎重に検討することが必要な中長期的課題であり、……」

 一九九七年の文化振興法の限界にも触れている。
 文化振興法でいう「文化」が狭い意味で使われこの法律が運用されてきたことを、アイヌ民族は問題にしていた。これに関しては、報告書は次のように言っている。
 「近代化政策の結果として打撃を被った先住民族としてのアイヌの人々の文化の復興の対象は、言語、音楽、舞踊、工芸等に加えて、土地利用の形態等をも含む民族固有の生活様式の総体と考えるべきである。その上でアイヌの人々がアイヌとしてのアイデンティティを誇りを持って選択し、アイヌ文化の実践・継承を行うことが可能となるような環境整備を図っていくことや、経済活動との連携等により自律的な生活の回復に結びつけていくような取組を促進していくことが必要である」。

 首都圏のアイヌ民族は、ウタリ福祉対策が北海道のアイヌ民族を対象としたものでしかないことを問題とし、アイヌ民族を先住民族として認めること、国が主体となった全国政策の必要性を訴えてきた。
 この点に関して、項目を設けて述べている。
 3章(1)@イ 先住民族であることから導き出される政策の展開
 3章(1)Bウ 国が主体となった政策の全国的実施

権利回復運動が
もたらした成果

 首都圏のアイヌ民族が、十年にわたって叫びつつけてきた主張は、今このようにして受け止められた。アイヌ民族の権利回復への運動の成果である。この懇談会は、アイヌ民族の声に耳を傾けるべく、北海道視察を二回行い、首都圏に住んでいるアイヌ民族の声にも耳を傾けている。
 十月十三日、十四日、十五日の北海道視察では、樺太アイヌ協会の田沢守会長が、サハリン(樺太)からの強制移住の歴史を説明。政府の謝罪と補償や、先住民族の権利に関する国連宣言に基づき、サハリンへの自由渡航が可能になるよう訴えた。十五日には、平取町で懇談を行い、アイヌ民族の文化や歴史教育に取り組む千歳市の小学校を視察した。十五日、千歳入りし、校内に作ったチセなどを使い、全学年挙げて先進的な教育に取り組んでいる末広小を視察した(北海道新聞)。
 十一月二十三日には東京駅八重洲口の文化交流センターを訪れ、首都圏に住んでいるアイヌ民族の意見を聞いた。(1)国会や地方議会でアイヌ民族の議席を確保する(2)アイヌ語教育の充実(3)生活・文化 活動と生活基盤整備への支援や、道内に限られているアイヌ民族の福祉対策を全国規模に広げること――などを求める声が出た。(朝日新聞)
 六月八日〜十日、釧路市阿寒湖温泉を訪れた。釧路市阿寒湖同温泉と釧路管内白糠町を視察する。八日は阿寒湖温泉のホテル「鶴雅」で大西雅之社長らが、誤ったアイヌ紋様などを客室の装飾に使わないため、観光業者とアイヌ民族で設立した「阿寒アイヌ民族集団的知的所有権研究会」の取り組みを説明。佐藤座長は「アイヌ文化と観光が見事に融合している」と評価した。
 報告書では次のように書かれている。
 「北海道内の一部の地域で、アイヌの人々と地域の人々が協力してアイヌ文化を重要な観光資源として位置づけ、地域振興や観光振興に向けた取組が行われるなどアイヌ文化の伝承のための活動と経済活動が調和した好事例も見られる」(P28)。これは、阿寒湖温泉視察の成果である。アイヌ民族政策の全国的展開の必要性については、東京駅八重洲口の文化交流センターにおけるアイヌ民族の訴えに耳を傾けたものに他ならない。有識者懇談会発足当時、「懇談会では委員の中であまり議論は行われない、官僚主導で、委員は最後にハンコを押すだけ」という意見が、アイヌ民族連帯運動の中にはあった。しかし、報告書を読む限り、有識者懇談会はアイヌ民族の訴えを受け止め、議論をつみかさね、その訴えに一定の理解を示しているものといえよう。アイヌ民族の話を聞いて、アイヌ民族への理解が進んだという遠山敦子もいるし、佐藤幸治の書斎がアイヌ民族関連の本でいっぱいになったという話も聞く。

 報告書には、教育について以下のように述べている。
 「アイヌの歴史、文化等について、十分かつ適切な理解や指導を可能とするよう教育内容の充実を図っていくことが重要である。具体的には、大学等において、児童・生徒の発達段階に応じた適切な理解や指導者の適切な指導を可能とするような方策を総合的に研究し、研究成果を教育の現場に活用していくことや、次回の学習指導要領改訂に向けた課題として検討していくことも必要である」。
 しっかり、学習指導要領改訂を提言している。このことも、この報告を活用、評価できる点である。

越境交流・自由
居住の承認を

 アイヌ民族は、国境に分断された民族である。
 これに関連してアイヌ民族は次のように提言していた。

 「チカラニサッタ〜我らつくる明日〜」の有識者懇談会への提言。
http://www.douhoku.org/ainu/yukon_teigen.pdf
 《国境を越える権利》アイヌ民族の越境権を求めます。
 「宣言」第36条にあるように、アイヌ民族の越境権を求めます。
 現在、国境で区切られている北方諸地域のなかで、アイヌ民族が先住民族として居住していた島々に対しては、「宣言」にある越境交流権を認め、将来、その地域での自由居住を実現できるようにすることを求めます。

 「世界先住民族ネットワーク・AINU」からの提言。
http://www.win-ainu.com/teigen.pdf
 領土権・とくにクリール諸島(旧千島)について
 政府はアイヌ民族をクリール諸島(旧千島)の主権者であると認め、ロシア政府との領土返還交渉の席にアイヌ民族を参加させるべきです。アイヌ民族が、この地域の主権者であって、日本政府もロシア政府も二次的な立場である事を認識するべきです。また現在行われているいわゆる「北方領土返還運動」は、アイヌ民族がこれらの地域の先住者であることを無視した間違った運動であることを、日本政府が認めることも求めます。
 「報告書」でも、日ロ両国にアイヌ民族がいることに言及せざるを得なかった。
 「一八七五年の樺太千島交換条約の締結後、樺太に住んでいた樺太アイヌ及び占守島など北千島に住んでいた千島アイヌの人々は、北海道本島や色丹島に移住を余儀なくされた。そして、農業の奨励を主とする保護政策が行われたが、急激な生活の変化や疫病の流行などで多くの人が亡くなった。
 その後、樺太アイヌの人々は、日露戦争後のポーツマス条約で北緯五十度以南の樺太がロシアから日本に割譲された結果、多くが樺太に戻ったが、第二次世界大戦後は北海道を始め日本国内各地に再び移住することを余儀なくされた。また、色丹島に移住していた千島アイヌの人々も、第二次世界大戦後は同様に移住することを余儀なくされ、今日では千島アイヌの文化伝承者は皆無となってしまった」(P14)。
 きわめて不十分な内容であるが、このように言及せざる得なかったのは、アイヌ民族の運動の成果であることもおさえておきたい。

夢と誇りを持っ
て生きる社会を

 報告書の最後はこう結んでいる。
 アイヌの人々の尊厳と生活の向上に身を捧げた違星北斗は、「アイヌと云ふ新しくよい概念を 内地の人に与へたく思ふ」と詠んで、一九二九年に二十七歳の若さでこの世を去った。今、われわれは、アイヌの人々と正面から向き合い、アイヌの人々が「先住民族」として誇りを持って積極的に生きることのできる豊かな共生の社会を現実のものとしようとする新たな局面に立っている。この真摯な試みは、諸々の困難を抱える日本にあって、国民一人ひとりがお互いを思いやる気持を持ち、アイヌを含めた次の世代が夢と誇りを持って生きることのできる社会を形成することに寄与するに違いない。

 まったくそのとおり。このことを、肝に銘じて、有識者懇談会の報告書を受け取った鳩山政権がこれをどう扱うかを監視していきたい。この報告書が出されたのは、麻生政権のときであった。政府は八月十二日段階で、この報告書を受け、国の総合的なアイヌ政策の企画・立案・推進を行う「アイヌ総合政策室」を内閣官房に設置した。報告書に盛り込まれた政策を具体的に検討するほか、秋にも発足予定の審議機関の開設準備を行う。秋山和美・アイヌ政策推進室長(12日付で廃止)が室長に就き、スタッフは十四人。国土交通省や文部科学省など関係省庁との連携・調整を行い、アイヌ政策の推進に当たる。以上がマスコミ報道で明らかになっている。(了)



コラム 怒りの源泉

 十月二十九日夜、日比谷野外音楽堂で派遣法の抜本改正を求める集会が開かれた。鳩山新政権で政策参与に選ばれた湯浅誠さんのスピーチは、いつもより小さく私には聞こえた。だが今回の流れこそ積年の運動の果実であり、一段階として迷わずに祝福されるべき快挙である。
 さて先日。ある労働組合の定期大会があった。今年は「結成○○周年」。ホテルの広間を使い、大会後の記念行事とともに盛大に行われた。大会には毎年、労組本部の役員と会社経営陣が出席する。VIP級の来賓扱いであり、組合員は全員起立、拍手で迎えることを強制される。支部長ら執行委員は一糸乱れず深々と頭を下げ、彼らを特等席に誘導する。
 来賓の話の内容は、毎回決まっている。苦しい時代だから労使が一体となり、難局を乗り越えろというのだ。だが今年は補足があった。「組合費が高いとの批判もあるが我慢してくれ」。そして総選挙で全面支持した民主党政府へのコメントである。前者の件には驚いたが、上部団体がやっとこの問題に触れたのは、おそらく傘下各支部からの不満が無視できなくなったためだろう。
 中小企業を守るためには、労使が団結して生産性を向上させることが不可欠であり、組合は協力を惜しまない。これが根本思想である。会社がどんなに利益を上げていても、「儲かっていない」とのひと言で、組合はあっさりと理解を示す。「倒産」は双方にとって最大の恐怖であり、その恫喝によって、資本と労働貴族たちは、内部留保を極限まで膨らませてきたのである。「会議」と称する会合に毎回温泉旅館を使う必要はない。一般組合員の所得を数倍する本部人件費=専従費など、言語道断である。
 資本家は、脅しの手練手管には事欠かない。「社外に堕ちたくなければ、サービス残業も、配置転換も、賃下げも、一時金カットも耐え忍べ」というわけである。企業の業績向上によって本工の地位が上がる時代ではなく、自分たちが非正規に比べ守られていると思い込み、じわじわと進む生活の地盤沈下に、感覚が麻痺しているだけのことである。
 首都圏青年ユニオンの河添誠さんは、「所属している既製組合と闘っている人は、高給取りで守られている」と見て、新労組の結成を選択した。講談師・神田香織さんもこの日、「貧困の最大の敵は、人々の無関心だ」と語った。
 活動家はそれぞれの道で、弱者のため、困っている人々のために、粉骨砕身して生きている。そこに共通する原動力。それは、見過ごすことのできない理不尽への怒り。すなわち人々を踏みつけ、極限まで搾り取って私腹を肥やす資本家への憤り。その階層と結託する諸勢力への憎しみなのではないだろうか。少なくとも、私はそうありたい。 (隆)


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