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メッセージ

大嶋果織さん

NCC教育部総主事 大嶋果織



「共生社会をめざして」


 NCC教育部では、今年の「平和のきずな献金」の学習資料として、写真パネルセット『アイヌ・モシリからのメッセージ』をアイヌ民族情報センターのご協力で作成しました。A4サイズの写真13枚と解説文で構成されているパネルセットは、北海道の牧草地の写真と共にこんな語りかけで始まっています。

 「ここは北海道。ひろいでしょう。北海道が「北海道」と名づけられたのは、今から141年前の1869年。そのずっと以前から、この土地に住んでいた人々がいます。アイヌ民族の人々です」。

 パネルセットは、アイヌ民族の人々が豊かな自然を大切にしながら暮らしてきたこと、北海道の地名の多くはアイヌ語からきていること、また、最初は「シサム=となりに住む人」と呼ばれていた日本人が次第に「シャモ=侵略者」と呼ばれるようになった経緯など、写真を用いて具体的に説明し、次のように締めくくっています。

 「日本の学校ではアイヌ民族のことをほとんど教えません。みなさんにはアイヌ民族のことをもっともっと知っていただきたいと思っています。いっしょに「シサム(となり人)」を目指しましょう」。

 NCC教育部では、この写真パネルセットを全国の教会や幼稚園、学校などに貸し出して、夏のキャンプや秋のキリスト教教育週間に学びの時をもっていただきました。

 ある教会学校からはつぎのようなお便りが届きました。「パネルをありがとうございました。子どもたちにとって、目に見える写真はとても興味がわくようで、お話するのにとても役に立ちました」。この教会学校ではムックリの実物に触れ、その演奏CDにも耳を傾けながら学びの時を持たれたようです。

 さらに、別の方からはつぎのような感想をいただきました。「開拓記念塔がアイヌ民族にはつらい歴史を思い出させる塔だという指摘にはっとしました。教会学校で子どもたちに話すために、今回いろいろ勉強したのですが、大人の自分が知らないことばかりだということに気付きました」。

 こうしたお便りを読んで、わたしは、教会や教会学校、キリスト教幼稚園・保育所・学校は、異なる立場から見ると歴史はどう見えるのかを考えることができる場、また、強者によって踏みにじられてきた文化がどれほど豊かなものかに気付く場として大きな可能性を持っているのだということに改めて気付かされ、励まされました。

 アイヌ民族の歴史や文化を学ぶことは、侵略者である日本人にはつらい作業ですが(それはアイヌ民族の方々の苦しみに比べようもないものですが)、その作業を抜きにして「共生」など考えようもありません。その作業を担ってくださっているアイヌ民族情報センターの働きにつながりながら、これからも全国の教会や教会学校、キリスト教学校等に平和をつくりだす働きについて発信をしていきたいと思っています。平和と共生社会の実現に向けて、共に歩んでいきましょう。

(写真パネルセットやプロジェクタ用データについては、NCC教育部のホームページhttp://nccj-edu.orgをご覧ください)


ノヤ39号巻頭言(2010年11月10日発行)

 






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