「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書をどうみるか
―その限界と前進面―
津田 仙好 (グループ“シサムをめざして”[首都圏])
1 はじめに
本稿は、8月22日に開かれたNPO現代の理論・社会フォーラムの第二回先住民族研究会において、グループ“シサムをめざして”(首都圏)の加藤登氏が作成した資料と津田レジュメに基づいて報告した内容を記すものです。
2008年6月に採択された「アイヌ民族を先住民族とすることを求める国会決議」を受けて、内閣官房長官のもとに「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が設置されました。同懇談会のメンバーは以下の8名。座長・佐藤幸治(京都大学名誉教授)、座長代理・安藤仁介(財団法人・世界人権問題研究センター所長)、加藤忠(社団法人・北海道アイヌ協会理事長)、佐々木利和(人間文化研究機構/国立民族学博物館教授)、高橋はるみ(北海道知事)、常本照樹(北海道大学大学院法学研究科教授/アイヌ・先住民研究センター長)、遠山敦子(財団法人・新国立劇場運営財団理事長)、山内昌之(東京大学教授)。
懇談会は1年間活動し、2009年7月末に報告書を発表しました(首相官邸のホームページから入手可能)。報告書は歴史、現状、政策提言から構成されていますが、本稿はまず報告書の限界点を述べ、次いで前進面を述べた後、最後にどう向かうべきかの態度を表明します。
2.植民地化なき歴史認識と先住権の欠落
◆歴史認識を問う◆
北方の近代史に関する報告書の記述は、「内国民化」「内国化」「北海道開拓」「近代化」という言葉に集約されています。アイヌモシリ(人間の住む静かな大地、北海道)を侵略、植民地化したという認識ではありません。まことに残念です。反省、謝罪も示していません。(後に述べますが、反省につながる内容なら示されていないわけではありません)
多くの箇所で認識、書き方が甘く、アイヌ民族の苦難と闘いの歴史、アイヌ民族による謝罪の要求(これを実現する道筋については様々な考え方があるにしろ)について、本当に受け止めて考えているのか、と思ってしまいます。例を挙げますが、文の述語に注意して下さい。
「これまでアイヌの歴史や文化については、日本国民共通の知識とはなってこなかった」。「なってこなかった」ではなく「してこなかった」と言うべきではないでしょうか。「生業や宗教の差異から生じる文化的相違が一方の目からは野卑陋習(悪い習慣)とみなされ、その享受者は野蛮な存在であり、その文化は価値の低いものとみなされた」。「みなされ」たと言うより、私たちが「みなしてきた」のです。
報告書の文章はことごとくこんな調子です。こういう点については、私は怒りを覚えます。悪い意味での客観主義的な記述になっていて、和人としての反省の意を込めた主体的な記述になっていません。あるアイヌ民族は、「これは和人の目から見た歴史であり、アイヌの目から見た歴史ではない」と鋭く指摘しています。
もう1つだけ例を挙げます。北海道旧土人保護法に関する記述は、“アイヌ民族の救済のために和人が「善意」を尽くしたけれども、うまくいかなかった”という筋書に一面化されています。農耕を押し付けたこと、様々な差別規定、共有財産問題などが書かれていません。
ともあれ、報告書の歴史認識を最も簡略化してまとめるとすれば、次の通りです。アイヌの人々は近世において場所請負制による過酷な労働を強いられ、近代においては同化政策による文化への深刻な打撃を受けた、ということです。しかしこの内容なら、アイヌ文化振興法制定過程における1996年の「有識者懇談会報告書」でとっくに書かれていました。10年間は一体何だったのかと思ってしまいます。
歴史認識の問題は、今後の政策、立法の根拠となる根本的な問題ですから、とても重大な問題です。後ろの方で報告書は「政府に強い責任がある」と述べていますが、それならもっと主体的責任を明確化した歴史記述になるはずです。
◆先住権を回避◆
今後への提起の部分では、先住権について全く言及されていません。報告書は、アイヌを先住民族だと再確認し、「先住民族の権利に関する国連宣言」の意義も述べておきながら、国連宣言で謳われている自己決定権(自決権、自治権)、補償・賠償、土地・資源への権利、越境権などについて検討していません。核心点の回避ではないですか。
これとは対照的に、報告書は力を込めて「民族共生の象徴となる空間の整備」を提言しています。「これらの施設及び空間は、本報告書のコンセプト全体を体現する扇の要となるもの」という重要な位置まで与えられています。中身にもよりますが、霞ヶ関官僚の発想ではないか、結局ハコモノではないかという疑問を抱きます。
報告書は、アイヌ民族による土地・資源の利活用、生活向上施策などを提言しています。しかし、“先住権の具体化としてそれらを実施しましょう”と位置づけるのと、“文化のため格差是正のため実施しましょう”と位置づけるのとでは、意味がかなり違ってきます。報告書がどちらで位置づけているのか、引用します。
「今日的な土地・資源の利活用によりアイヌ文化の総合的な伝承活動等を可能にするよう配慮していくことが、先住民族としてのアイヌ文化の振興や伝承にとってきわめて重要となる」。「これらの格差の存在により、アイヌの人々がアイヌとしてのアイデンティティを誇りを持って選択することが妨げられ、アイヌ文化の振興や伝承の確保が困難となっている状況も否定できない」(生活向上施策の導入理由として)。
明らかに文化や格差是正のためという位置づけです。報告書は、アイヌ=先住民族認定を基に今後の政策が考えられるべきだとしながら、具体策でそのことを不徹底にしています。「権利」から逃げ回っているのではないでしょうか。
なお、1984年にウタリ協会(現アイヌ協会)が発表した「アイヌ新法案」にある「自立化基金」は、農林漁業支援なども含めた総合的な生活支援策でした。しかし報告書は、文化振興や観光業などに領域を限定してしまっています。
先住権の柱を立てなければ、経済的施策も霞ヶ関官僚や地方行政、政治家からの「お恵み」として歪曲されたり、縮小されたりということになりかねません。ましてや、自治権をはじめ政治的権利の認定とは「かなりの距離があるなぁ」というのが報告書を読んでの実感です。
96年の報告書では「ウタリ対策」とされていた言葉が、今回の報告書では「アイヌ政策」と言うようになり、少し良くなったとはいえ、「アイヌ民族政策」とは記していません。対等な異民族を対象とする政策提言になっていないのです。
内閣官房長官の諮問機関であるから当然のことかも知れないけれども、全体的印象として、体制内の懇談会−報告書だとつくづく感じます。日本には階層・階級・性別・民族・文化など様々な点で差異のある多様な住人がいるのに、均質的な国民としてひと括りにして「他者」への抑圧性に気づかない国民主義の壁とか、残存せる単一民族イデオロギーの壁とかを感じます。報告書を問うことは、じつは国の在り方を問うことであり、たいへん重大なことだと思います。
3 今後につながる
先住民族再確認と国連宣言
◆重要な仕掛けを内包◆
今回の「有識者懇談会」の政治過程は、96年「有識者懇談会」の当時から比べれば、アイヌ民族、運動体による関与・議論が明らかに拡大したと思います。そこには決して無視できない意味があるのではないでしょうか。そもそも、たった一人だけでかなり問題があるとはいえ、アイヌ民族の加藤忠さんが懇談会委員として参加してきました。
今回の報告書には、今後の闘いの進め方によってはとんでもない「起爆剤」となるテコが仕掛けられていると見ることができます。それは、報告書が、アイヌ=先住民族を(先住民族の定義の解説付きで)再確認せざるを得なかったこと、国連宣言の意義を書かざるを得なかったことです。96年報告書との決定的な違いです。これらにはアイヌ民族、国際的な先住民族の闘いの成果としての側面があります。
報告書はこう述べます。「先住民族とは、一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として存在し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である」。この記述には少し議論が必要かも知れませんが、日本政府は“先住民族の定義が国際的に定まっていない”という趣旨で逃げていたのですから、ともかく意味のあることです。
報告書は「(前略)アイヌの人々は、その意に関わらず支配を受け、…(中略)これらのことから、アイヌの人々は日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であると考えることができる」と確認しています。
さらに報告書はこう述べます。「先住民族としての文化の振興を目指す政策の策定に当たっては、国連宣言の関連条項を参照しなければならない」「国連宣言は、先住民族と国家にとって貴重な成果であり、法的拘束力はないものの、先住民族に係る政策のあり方の一般的な国際指針としての意義は大きく、十分に尊重されなければならない」(「文化の振興を目指す政策の策定に当たっては」に限らない問題だとは思いますが)。
◆国の責任を認定◆
今回の報告書は、文化振興法の時の報告書とは違い、先住民族認定を根拠として今後の政策を進めると言っています。96年の報告書では責任の所在が全然書かれていなかったのに、今回09年は、国に強い責任があると記述しています。これらも前進面です。
具体的には次のような書き方になっています。「今後のアイヌ政策は、アイヌの人々が先住民族であるという認識に基づいて展開していくことが必要である」「今後のアイヌ政策は、国の政策として近代化を進めた結果、アイヌの文化に深刻な打撃を与えたという歴史的経緯を踏まえ、国には先住民族であるアイヌの文化の復興に配慮すべき強い責任があるということから導き出されるべきである」(侵略的近代化だったのですが)。
なお、上記「アイヌの文化の復興に配慮すべき強い責任がある」についてですが、報告書は「ここでいう文化とは言語、音楽、舞踊、工芸等に加えて、土地利用の形態などを含む民族固有の総体という意味で捉えるべきであって……」と述べ、“狭義の文化”として文化を扱った96年報告書−文化振興法よりも枠が拡張しています。これにはプラスの意味がありましょう。
ところで、先住民族というカテゴリーの認識自体が、そもそも近代国民国家、帝国主義列強による侵略、植民地化の歴史を問う視角と不可分なものです。アイヌを先住民族だと再確認し、国の「強い責任」を認定したことで、反省や謝罪、先住権認定への道につなげることのできる可能性が残されたと言えます。今回の報告書の歴史記述は、少なくとも量的には96年報告書よりも大幅に増大しています。「あれだけいろいろと書いておいて、内容的にはよく考えれば、これって侵略、植民地化のことではないですか!」と議論を仕掛けることができます。
列挙するならば、報告書曰く、近世場所請負制によって「アイヌの人々の労働は過酷なものとなっていく」「アイヌは完全に和人の支配下に入り、労働力を搾取される存在となっていく」。明治以降の同化政策によって「民族独自の文化が決定的な打撃を受けることにつながった」。近代的土地所有制度の導入は「アイヌの人々が生活の糧を得る場を追われることにつながっていった」。伝統的生業の制限によって「自然とのつながりが分断され、生活様式を含む広い意味での文化が深刻な打撃を受けるとともに、アイヌの人々の暮らしは貧窮していった」。
報告書は、これだけ認めておいて、なぜ侵略、植民地化と言わないのですか。
また、報告書はいわゆる人骨問題、北方の国境画定にともなう移住の問題を書いています。不十分、不徹底な内容ではあるものの、これらの項目を設けざるを得なかったこと自体は、様々な運動的取り組みの成果であると見ることもできます。96年報告書ではこれらのことは登場していませんでした。
報告書から引用します。日露の国境画定の「過程は、アイヌの人々の意に関わらず行われ、北海道はもとより千島や樺太に住む人々の生活に直接影響するものであった」。日露の国境再編でアイヌ民族は「移住を余儀なくされ」「多くの人が亡くなった」等々。研究活動におけるアイヌの人骨は「アイヌの人々の意に関わらず収集されたものも含まれていると見られている」。
◆政策提起の前進面◆
96年報告書では、自決権、土地・資源の返還、補償などが明示的に否定されていました。引用してみましょう。「分離・独立等政治的地位の決定に関わる自決権や、北海道の土地、資源等の返還、補償等にかかわる自決権という問題を、我が国におけるアイヌの人々に係る新たな施策の基礎におくことはできない」「ウタリ対策の新たな展開は、過去の補償又は賠償という観点から行うのではなく……」。はっきり書かれています。
ところが今回の報告書では、“先住民族だとはいっても日本の実情に即して……”といった脈絡が残されてはいるものの、現憲法内での国会特別議席を否定していること以外、96年の時のような明示的な否定は書かれていません。むしろ積極的に施策を考えていこうとする姿勢も、一部の記述からは感じられます。
憲法との関連について報告書は、アイヌ民族に対する特別の政策は合憲だと論じた上で、「さらに今後重要なことは、アイヌ政策の根拠を憲法の関連規定に求め、かつ、これを積極的に展開させる可能性を探ることである」と言っています。また、「特別議席以外の政治参画の可能性については、諸外国の事例も踏まえ、その有効性と合憲性を慎重に検討することが必要な中長期的課題」としています。
次のような記述には注目できます。「個々のアイヌの人々のアイデンティティを保障するためには、その拠り所となる民族の存在が不可欠であるから、先住民族としてのアイヌという集団を対象とする政策の必要性・合理性も認められなければならない」。これで報告書が民族的集団権を認めたと解釈することは難しいですが、憲法13条「個人の尊重」から出発して、微妙な言い方をしています。
報告書には、アイヌ民族が要求してきたことが、100%ではないものの反映されています。大きなものとしては、これまで北海道に限定されてきたアイヌ民族に関する施策の全国展開、新たな政策を進めるための立法措置を、報告書は政府に対して求めています(引用略)。アイヌ民族が具体的にどのような立法を求めるのかは今後の大きな論点です。
諸政策を進める上で、報告書は国民の理解が必要だと何回か言っています。基本的にその通りだと考えます。次のような記述は評価できると思います。すなわち報告書は“近代化で日本国民は恩恵を受けてきたが、その陰でアイヌ民族は打撃を受け、格差と差別が残った”という趣旨を書いた上で、「今の世代には(中略)アイヌに関する歴史的経緯を一人ひとりの問題として認識し、(中略)次の世代が夢や誇りをもって生きられる社会にしていこうと心がけることが求められる」としています。日本人の歴史的な自己反省を促す内容だと思います。
その他にも重要な論点がたくさんあります。例えば、報告書は「支援策の適用に当たってアイヌの人々を個々に認定する手続き等が必要となる場合には、透明性及び客観性のある手法等を慎重に検討すべきである」と書いています。税金を投入するので国民に説得的である必要がありましょう。また、「アイヌの人々にもアイヌの総意をまとめる体制づくりが求められることになろう」と書かれています。アイヌ民族は全国組織の結成を模索しています。
4 求められるアイヌ民族との連帯
◆批判しつつも拡張解釈して活用◆
報告書は歴史認識に問題があり「先住権」も提言していません。いわば日本の“メインストリーム内の議論”“体制内の議論”だと言えましょう。けれども私たちは、そこへ批判的に即して分け入り、論争・交渉・参加・実践を進める中から、事態を少しでも前進・改良していくべきでしょう。
そのような取り組み・闘いの仕方は、今の体制をつくってきた私たち和人の責任の問題であると同時に、原理原則的な変革の粒を日本国の内に構造的にビルトインすることで、全体的な体制のあり方の変革につながるものだと考えます。逆に、“純正な原理原則”をそのまま外在的に・体制外的にぶつけて転覆を狙うようなやり方では、議論から取り残され、現実の推移に関与できないまま誰かに事態を決められてしまったということになりかねないし、和人としての責任を十分果たすものとも思えません。
ですから、今回の有識者懇談会報告書の限界を厳しく批判するとともに、前進面・意義を見逃さず大きく活用するという態度を基本的にはとりたいと思います。発達した市民社会のもつ肯定的な要素・価値としっかりと結びつきながら、マイノリティーの人権をしっかりと保障しえない限界を突き、保守派、右派を追い詰めていくべきだと思います。
当面は、今秋設置されるアイヌ民族政策をめぐった審議機関のことが、人選−アイヌ民族参加をはじめとして、焦点となるかと思われます。官僚主導ペースといかに闘えるかです。その意味で「政権交代総選挙」の帰趨が注目点の1つとなります。
8月12日の『毎日新聞』は次のように伝えています。「政府は12日、『アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会』(座長、佐藤幸治・京都大名誉教授)の報告書を受け、国の総合的なアイヌ政策の企画・立案・推進を行う『アイヌ総合政策室』を内閣官房に設置した。報告書に盛り込まれた政策を具体的に検討するほか、秋にも発足予定の審議機関の開設準備を行う。秋山和美・アイヌ政策推進室長(12日付けで廃止)が室長に就き、スタッフは14人。国土交通省や文部科学省など関係省庁との連携・調整を行い、アイヌ政策の推進に当たる」。
アイヌ民族の個人・団体の中には、今回の報告書について問題点と評価点の両面で論じておられる人々がいます。私たちはアイヌ民族の声に耳を傾けるべきです。さらに、報告書拒否を表明しておられる人々もいます。アイヌ民族は日本に強制的に入れられたのですから、体制外的な拒否の権利があります。私はこういった声を孤立させず、アイヌ民族同士の議論や政府への様々な要求・主張をサポートして、連帯を強化していかなければならないと思います。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
8月22日の研究会では、アイヌ民族、寺地五一氏(草の根先住民サポーター)から以下の発言と報告があった。(編集部)