質疑応答を含めた報告についての補足
2011年1月22日、「NPO現代の理論・社会フォーラム」の先住民族研究会で、一橋大学大学院特任講師(現日本学術振興会外国人特別研究員)のマーク・ウィンチェスター氏に「今日の〈アイヌ〉なる状況」というテーマで報告していただきました。事前に、研究会に参加する人たちは一般的に思想研究になじみがなく、主たる関心はアイヌ政策・権利・文化にあるので、その人たちにわかかりやすく話してくれと私からお願いしておきました。報告の冒頭で、ウィンチェスター氏はドゥルーズの逸話を引きながら、専門家でない一般市民なら私の話は理解できるはずだ、もし理解できないとすれば、それはひょっとするとアイヌ研究者の間に「バカの壁」があるからかもしれないとやんわりと釘を刺されました。報告のあとの質疑応答で質問がいくつも出て、ウィンチェスター氏は丁寧に答えてくれましたが、それでもどこか消化不良のまま終わりました。私たちはアイヌ研究者ではありませんが、どうやら「バカの壁」は存在したようです。私も含めて参加者が、思想研究の用語に不慣れということ以上に、ウィンチェスター氏の拠って立つおおもとのところを理解していないがためだったと思い、報告の全文を『FORUM
OPINION』に掲載するにあたって、私とウィンチェスター氏との間でメールでの質疑応答を試みました。氏の報告全文と合わせてお読み下さい。なお、「マーク君」、「寺地さん」という呼び名を使っていますが、日常的に呼び合っている名称を使ったまでのことで、権力関係を示唆するものでありません。マーク君が使っている「寺地さん」は「ゴイチ君」と読み替えてください。
(寺地五一 「先住民族研究会」企画)
(1)近現代アイヌ思想史とは
寺地:人間が生きている限り、そこに思想があり、時間とともに系譜が生まれる。アイヌとても同じはずだ。この当たり前の事実に世界で初めて目を向けたのがマーク君でないかと思います。先住民族研究会での報告についてのやりとりの前に、近現代アイヌ思想史とは何か、マーク君がそこにかかわった動機は何か、また、マーク君が大きなインスピレーションを受けた佐々木昌雄という人物について、話してください。
ウィンチェスター: 私が初めてというのは大げさでしょう。ほんの数本しか自分の論文が出版されていないし、「アイヌ思想史」ついても考えはじめたばかりです。また、これまでアイヌの個人史、あるいは人物伝などを書いてきた人たちは、実は「アイヌ思想史」と言えるものの系譜をすでに敷いてきたと言えるかもしれません。「アイヌ思想史」を考える上では、「個人」という次元は欠かせないからです。しかし、これまでのアイヌ研究のみならず、アイヌを取り上げてきた多くの研究分野では、自分たちの名を記して文章を発表してきたアイヌは、民族誌的な情報の供給源、〈アイヌ〉全般を代表するかのような扱い、あるいは、せいぜい時代背景を読み解くための手がかりなどという扱いをなぜか受けざるをえなかった。
今回させて頂いた報告の中で私が取り上げたポール・チャート=スミスのとてもいい言葉があります。アメリカン・インディアンとその他のアメリカ人は、「locked in an endless embrace of love and hate and narcissism」(永遠に愛と憎しみと自己愛の抱擁に取り縛られている)と言います。アイヌの著述家のこれまでの扱いでは、同じような関係性がシャモとアイヌとの間にも奨励せざるをえなかったでしょう(ちなみに、私が「シャモ」という言葉を使うときに、それは単に「非アイヌ日本人」という意味ではなく、まさにこのような特殊な関係性を保とうとする態度のようなものです)。単的に言えば、物事を思考しうる人間としての扱い方ではないですね。だが、その一方では、そう扱われるアイヌもそこで彼らに求められるままのものを自分たちに見出してしまい、それしか発信できなくなることがよくあると思います。だから、お互いのための自己愛の抱擁になるわけです。
私が構想している「アイヌ思想史」で個人の人物が重要なのは、おそらく中国社会科学院文学研究所研究員の日本思想史家である孫歌氏から学んだことが大きいと思います。私が博士論文を書いているときに彼女は一橋に客員教授として来ていました。彼女によれば、当たり前のことですが、思想というものは個人から離れては発生しない。しかし、同時に、思想は個人に限定されることはない。だから、思想史の狙いは、思想の発生体である個人と、その個人が置かれた歴史的状況との間の緊張関係の中から、これまでは見えてこなかった要素または遺産を、現在の時点に新しい史的葛藤として繰り上げることです。思想が個人から離れては発生しないが、けっして個人に限定されないというこのとてもダイナミックな事象が思想史の命だと言えるかと思います。
これはまた、フランスの哲学者のジャック・デリダがよく「遺産相続」と言っていたことに似ているかもしれません。与えられた遺産をそのまま継ぐのではなく、それを「濾過し、選別し、差異化し、再構造化」していく、ということです。彼は、私たちが存在していることそれ自体「相続」であるとよく言っていました。そして、それが単に与えられた遺産を継承することではないというところから、私たちには現在に対する「責任」が生じると言います。こうなると、思想史は単なる思想家の系図作りというような仕事ではありませんね。
つまり、私が考える「アイヌ思想史」にしても、「現在」という次元はとても重要な位置を占めることになります。現在のアイヌの状況について私はとても悲観的です。そのことについては、『現代思想』の論文(「新アイヌ政策の夜明け」)にたくさん書きました。ある意味で、先ほど言いましたアイヌ研究における関係性、その「愛と憎しみと自己愛の抱擁」が、そのまま政策においても内面化されてしまっているからです。アイヌであることが別に誇れることでもないし、恥ずべきことでもないのにもかかわらず、1997年のアイヌ文化振興法制定以降、「アイヌ民族の誇りが尊重される社会の実現」が政策の大前提になっています。これなら、アイヌを尊重することに通じて自己画定をするシャモと、まるでアイヌを尊重することに通じて自己画定をするシャモのために「民族に誇りを持とう!」と言って自己画定をするアイヌが育成されていく以外に道はないのです。「民族に誇りを持とう!」という心情はそう叫ばざるをえないような状況に人が置かれてきたことはわかりますが、これもけっして人間的な関係ではないですね。
私が「アイヌ思想史」の可能性に託している想いというのは、近現代のアイヌの著述家や知識人が自ら置かれた状況との緊張関係において思想したものの中では、アイヌであることが、人である程度の重要性があるに過ぎないのだと言ってきた系譜を、現在のこの状況に生きがえらせることができるのではないか、そういった想いなのです(ここで一点付け加えると、私が「アイヌの著述家」や「知識人」と言うときに、『現代の理論』の方々にはお馴染みのはずのアントニオ・グラムシの言う「有機的知識人」に近いのですが、それは近代日本の国家との関係からも国の文化産業の安定的な制度からもしばしば恩恵を受けることのなかった人々が大半で、最終的には書かれたものを生産してきた人にこの言葉の意味を限定はしたくないのです)。
私が佐々木昌雄という人物から大きなインスピレーションを受けてきたことも、この点に関わります。彼は、たった8年間ぐらいしか執筆活動が続かなかった美唄出身のアイヌの詩人で批評家ですが、つねにアイヌであることが、人である程度の重要性があるに過ぎないような社会を希求していた一人です。私が彼の文章に出会ったのは、イギリスのシェフィールド大学での学部のときでした。学士論文の指導教官だったリチャード・シドル氏が、『アヌタリアイヌ われら人間』という1970年代の、佐々木が初代の編集責任者を務めた同人新聞のコピーを渡してくれたときでした。この『アヌタリアイヌ』の創刊号に登場した佐々木の言う「状況としての『アイヌ』」という言葉に衝撃を覚えました。「人種としての『アイヌ』でもなく、民族としての『アイヌ』でもなく、ただ、状況としての『アイヌ』―人々がわたしたちを『アイヌ』と呼ぶ、その『アイヌ』という意味が、わたしたちの生き方を拘束しているものとなっている状況―である」それが、現在の〈アイヌ〉の問題である、と佐々木は言っていました。あれからはできるだけ佐々木の文章を集めて、知り合いの教授からもいろいろと頂きましたが、彼の全体像に私は近づこうとしてきました。また、2008年に彼の知り合いであった草風館の編集人の内川千裕氏が癌で亡くなられる直前に、佐々木の著作集が同出版社から刊行されました(『幻視する〈アイヌ〉』)。この佐々木の遺産をいかに相続することができるのかは、現在執筆中の私の論文のテーマです。
ただし、アイヌであることが、人である程度の重要性があるに過ぎない世界への希求は、佐々木昌雄に限ってあるものではないのです。有名な知里真志保や鳩沢佐美夫にも当然そのような世界を考えるような契機がありますし、アヌタリアイヌ刊行会の人たちの文章にもありますし、今でも「状況としての『アイヌ』」に置かれている人たちの発言や著作にもたくさんあります。ただ、アイヌであることが人である程度の重要性があるに過ぎない世界では、尊重するのも、尊重されるのもないですよね。なんか、あえて言えば、ボブ・マーレーの『ウォー』という曲に出てくる歌詞と一緒です。「肌の色が違うということが、目の色が違うことよりも、大きな意味を持たなくなるまで、俺は言う、戦争」。「アイヌ思想史」はこうした闘いです。さらに言ってしまえば、これは、「アイヌ思想史」が取り掛かる課題は、けっして〈アイヌ〉や〈日本〉に限定されているわけではないということがわかるところでしょう。
(2)「先住民族」概念の持つ普遍主義の問題
寺地: 先住民族研究会の報告に移ります。「先住民族」という概念が普遍主義的であるという指摘は分かります。例えば、「先住民族の権利に関する国連宣言」は普遍主義的な先住民族概念が存在しなければ、成立しないものです。あるいは普遍主義的な「先住民族」概念を構築するための1つのスキームだと言ってもいいと思います。権利や人権を考える際には、なにがしかの普遍主義が必要です。
しかし、その普遍主義のもとでは、本来比較できないはずの(非共約的な)、一回きりの、かつ多様な個人や集団の経験が比較可能な不動の差異として固定化してしまう、これはアイヌ民族を「遅れた、滅びゆく民族」と規定した植民地主義と同じことではないかとマーク君は言っています。また、「先住民族」はカントのいう統制的理念だとも言っておられます。統制的理念とは、実現はしないが目標とすべき理想という意味です。実現可能な理想という意味の構成的理念と対になっているものです。
@ 「先住民族」概念の持つ普遍主義の問題とは、普遍主義的な概念、統制的理念としての概念を当てはめることによって、個別の経験、状況に目をふさぐ、つまり非共約的な経験を共約的なものに固定してしまうことだと解釈していいのでしょうか。
A そうだとすると、アイヌ民族に関して具体的にどんな問題が生じている、あるいは生じる可能性があるのでしょうか(これは(3)ともつながっている問題ですね)。
B 普遍主義的な「先住民族」概念を拠り所に「先住民族」と位置づけられる集団の復権を実現することと普遍主義的な「先住民族」概念がもたらすマイナス効果の収支バランスをどう考えていますか。普遍主義的な「先住民族」概念が過去に失ったものを取り戻すことを可能にするとすれば、普遍主義的な「先住民族」概念にも評価できる部分があると考えることはできないでしょうか。
C いまの日本ではアイヌ民族を普遍主義的先住民族概念あるいは統制的理念としての先住民族概念に当てはめて考えるということが日常的にも、政策立案の場でもほとんどないように思います。そのために、アイヌ民族の権利付与が進まないと考える人もいます。その点についてはどうお考えですか。
ウィンチェスター: 限りなく難しい質問です。「先住民族」概念に関しては、いわば政治と定言命法(カントの言う「あなたの意志の確立が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」)との関係の問題、普遍主義と普遍主義ではない普遍性をいかに考えることができるかなど、いろいろな複雑な問題が絡み合っています。少なくとも、この問題と思想的に接する場合にはそうだと思います。これについては、私以上にたくさんの大学の教授たちが必死に取り組んでいます。と言う前には何よりもまず、国連先住民族作業部会の審議会では、かなり具体的な課題と結びつけたかたちで、これらの問題は1982年から26年間も議論されてきました。審議会での議論の密度を保証させたのも、これらの問題の難しさだと言えるところもあるかと思います。
報告のときにも私が言いました。「先住民族」概念に基づいた政治は今後、どのように展開されるのかについては、私にはわかりません。ただし、私が懸念しているものがいくつかあります。そして、私のこの懸念は、たとえば、「先住民族の権利に関する国連宣言」第四六条における国家主権の保持の問題、あるいは具体的な権利がこれから各国においてどのように確立していくのかという問題以前の、先住民族の政治のあり方そのものに関わっているのです。
おっしゃる通り、現在の国連を基盤とした国際人権レジームでは、なにがしがの普遍主義が必要です。国連宣言は、その他の国連総会決議と同じく、加盟各国が履行責務を負う公理的(axiomatic)なガイドラインに相当します。この「公理的」というのはつまり、権利は(寺地さんがAで言う)「取り戻す」、「求められる」のではなく、いわば最初から公準としてあるのです。その公理からの諸帰結は後から追求されるのです。そして、本来、先住民族の政治も、主権国家に対して公理に合っていない現状について反省と対策の再考を迫るということを目的としてきたはずです。
この考え方それ自体を、私は非常に重要だと思っています。とても好きです。しかし、状況が矛盾しているのです。公理的であるはずのものは、国連という特殊な組織の中で決められています。公理は、こうした特殊な組織によって定めることはないです。公理ですから。ただ、考え方それ自体は間違っていません。公理的であるということは、言ってみれば、権利を否定することが問題にならないのと負けず劣らず、権利があることの現実を不確定な未来に確立することでも主張することでもない。権利は現にあるはずです。それは、一種の普遍的な次元をもっている論理でもあります。つまり、個別の事例にそくして、状況ごとにそくして、私たちは、権利を否定することの不可能性をどこにでも規定することができるのです。ただし、このときに私が言っている「権利」と現在一般的に考えられている権利との違いは大きいでしょう。上から決められた普遍主義的な規定に基づいているのではなく、それぞれの現場や状況にそくして、追求される政治的な手続きのようなものとしての「権利」というのを考えることはできないのでしょうか。あらかじめの特殊的なアイデンティティ、または(残念ながら)今の人権のように「人間」(しばしば〈アイヌ〉がそこから排除されてきた「人間」ですね)という上から規定される普遍主義的な形象に属するものではないものとしての「権利」は考えられないのでしょうか。これは私にとっての課題としてあります。でないと、@で正しく解釈して下さっている問題はこれからもずっと続くと思います。
さらに、これとは似ているような問題は、たとえば、国内の先住民族研究においても見て取ることができます。2009年に出版された『「先住民」とはだれか』(世界思想社)という文化人類学の共同研究の本があります。その「序論」はまさに「普遍性と差異をめぐるポリティクス」と題されています。その中で、「先住民」は「集団としての『特別の差異』の権利」を求めているものとして扱われています。だが、現在の世界状況の中で、「テロリズムへの不安、原理主義への批判などにより、差異を認めることよりも、市民としての義務の共有、リベラルな価値の共有が強調されるようになってきており、普遍性の志向へとベクトルが揺れている」といってよく、「先住民の集団としての『特別な差異』の権利も、否定的に扱われる可能性がある」としています。
この主張には一理あります。それは、アイヌ政策の現状を見ればわかります。そこには、まさに自由主義的な価値が強調されています。一方では、「アイヌの人々は様々な生活の道を選択しているという状況がある」から、「一律に施策の対象とすることは避けるべきである」という個人の自由を尊重するきわめてリベラルな考え方の人がいます。しかし、他方では、実体的な「民族」としての権利を訴える人もいます。この2つの異なる主張によって、アイヌ文化振興法が成立した、と私は考えています。あの法律の振興の対象が「民族の文化」とされましたが、「民族の文化」を振興するのは「個人のアイヌ」ですから、その任務を引き受けて、当然にあるとされる自分たちの「民族の誇り」を公表する個々人の自己責任を果たしたい者だけとなりました。つまり、アイヌ文化振興法は、社会のあらゆる面から国家が後退している新自由主義的な今の日本の現状において、あらかじめ規定されたかのような「民族」概念(先住民族をも含むでしょう)がもたらすマイナス効果の可能性を実に明らかなかたちで見せてくれています(A/B)。時代にとても合っている政策です。そして、自由主義はこのように、新自由主義の現実と実にうまく共鳴しているところがあります。現在のアイヌ政策は、いたずらに自由主義と平等主義との間に振り回されています。しかし、それは上からの、不確定な未来に確立すると思われている「自由」と「平等」なのです。
ところで、アイヌ文化振興法はまた、『「先住民」とはだれか』の主張における「差異の承認」と「リベラルな普遍性」との対立が偽言であることをも見せてくれます。「差異の承認」は、つねに「普遍性への志向」だからです。正確には、普遍主義なのです。共約性において初めて了解可能となる他者の差異を認めようとするからです。しかし、実のところ、その「他者」たちはつねに彼らを認めようとする者と同じ社会の直接的に現存する部分をなしている人々であるにもかかわらず、彼らの(共約性において見出せる)差異を承認する行為は、彼らを社会から外在化させてしまう効果をもたらすのです。先ほど言いました「アイヌ民族の誇りが尊重される社会の実現」では、「誇り」が尊重される客体的な「アイヌ民族」と、その「誇り」を尊重できる特権的な地位に自分たちが占めていると想像している者(=シャモ)との間の溝が生じているように、です。
「統制的理念とは、実現はしないが目標とすべき理想という意味で」、「実現可能な理想という意味の構成的理念と対になっているもの」と寺地さんが言いましたが、これは実現可能というよりも、アイヌはすでにこの社会に生きていますよ。すでに共に生きているにもかかわらず、あえて「共生」を求めるのが認める側の特権的地位を保全するためだとよく言われるのもこの点でしょう。こちらの理想は、この現実をきちんと見据えることです。アイヌが日本における近代やそれに対抗する動向に対して、ときに異議申し立てながら貢献してきたことの歴史、まさに複雑な植民地主義の歴史は、ここで承認されるどころか、逆に無視されてしまうような気がします。特定のアイヌの差異を認めるというよりは、自分たちのものだと勝手に思い込んでいる歴史や社会や思想や伝統の確立などにとって「状況としての『アイヌ』」がいかに必要だったのか、その状況を強いられた者がいかにその歴史や社会や思想や伝統の中に貢献したのかを思い知った方が、ずっと進歩的な気がします。その遺産への責任ですね。
(3)実体論の問題
寺地: マーク君は「私にとって問題は、先住民族とはだれか、誰が認められるか、ではなく、先住民族とはいかに機能しているのか、先住民族という状況に置かれるというのはいったいどのようなことか、などです」と述べて、アイヌとは誰かという実体論的な考え方は問題があり、それでは小林よしのりなどの修正主義に対抗できないと言っておられます。そして、佐々木昌雄の「アイヌを状況としてあつかうべし」という主張を援用されている。
@ 誰がアイヌであるかという実体論的な議論に与しないで、アイヌが置かれてきた個別的な、非共約的な状況と向き合うべきだと主張されていると理解していいでしょうか。
A その場合、アイヌが置かれてきた状況とは、またマーク君の報告のタイトルでもある「今日の<アイヌ>なる状況」とは具体的にどのような状況でしょうか。((4)@とも関わると思います。) この点に関しては、おそらく佐々木昌雄の主張が深く関係してくると思われますので、一般の人にはまだなじみが薄い佐々木昌雄という人物についても簡単に説明してください。
B アイヌを実体論的に見ることはアイヌを他者としてしか見ないことにつながり、同時代人として同じ歴史を共有しているという見方を排除してしまうとも述べておられますが、この点をもう少し敷衍してください。
C 実態論を離れて、どのように小林よしのり等の修正主義に対抗すればいいのでしょうか。
ウィンチェスター: そうですね。@に関しては、もう少し非共約性ということについて述べる必要があると思います。非共約なのは、アイヌが、たとえば、普遍主義の中にあらゆるものと比較可能なものとなった前に、特殊な個別的な状況があり、それを取り戻さなければならないのだ、と私が言っているわけではありません。たとえば、寺地さんがまったくわからない外国語話者に日本語で話しかけると、そこには非共約性がありますよね。それは、実は、私たちが普段に言葉を発しているときに、いつも同じです。言葉は、それを受けとめる誰かがいなければ、言葉は発せられなかったに等しい。けど、聞き手はそれがわからないという可能性はつねにあります。だから、言葉を発した語り手は、言葉をわからないかもしれない聞き手と同じく、自分の言葉、あるいは自分自身から徹底的に疎外されなければならないわけです。報告の中で私が詩人のランボーから引用をしました。彼の言う「私はひとつの他者である」という言葉はまさにこのような非共約性を表していると思います。あるいは、コーネル大学の日本思想史家の酒井直樹氏は、この態度を「異言語的な聞き手への語りかけの構え」と呼んでいます。簡単に言ってしまえば、勝手に決めつけるのではなく、自分も相手も(シャモもアイヌも)何一つ実体的な存在でもなく、つねに自分自身に対しても「ひとつの他者」である、ということへの配慮みたいなものです。その事実を認めましょうよ、ということです。
質問のAについては、そうです。本当にそうです。さすがに詩人の才能だと思いますが、佐々木昌雄は、実に正確な言葉でこの状況を表しています。「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」という言葉です。現在、私が執筆している論文でこの言葉は、先ほど言っています「アイヌであることが人である程度の重要性があるに過ぎない」世界への入り口のような位置を占めています。これは未来に確立すべき理想ではありませんよ。今すでにアイヌであることが人である程度の重要性があるに過ぎないのですから。ただ、そうでないようになることを望んでいる様々な力が働いています。現在の政策もそのひとつでしょう。あるいは近代の力もそうです。私が思うに、近代こそが、超歴史的な存在としての〈アイヌ〉が「未だ」ならざる者として実体化させ、自分たちが特権的地位を占めていると想像する〈シャモ〉なる存在のあり方を可能にした包摂による排除の機制を生んだ。だが、同時に、近代は私が佐々木昌雄や「アイヌ思想史」に見られる、ある種の購罪的な思想をも可能にしたと思っています。
質問のBについては、さっきの2番の答えで触れていると思いますので、省略させて頂きます。Cについては、『インパクション』の論文(「『シャモ』への固執」)で書いていますが、小林よしのりのアイヌ論の存在は非常に残念なことだと思います。戦後アイヌ史研究にとって残念なのです。これだけ「同化」対「抵抗」、あるいは「客体的なアイヌ史」対「主体的なアイヌ史」という二項対立に依拠してきたあまり、複雑な植民地主義の歴史を記述する作業が小林よしのりみたいな人に任せられてしまったわけです。しかも、彼がそれを暴露しているかのように。小林が言っていることの中で、けっして間違っているわけではないような主張もあります。しかし、彼は、最終的には、良き〈シャモ〉として〈アイヌ〉を再び対等な日本国民として受け入れようとしています。リベラルな愛他倫理者の側面をもっています。そして、基本的には、彼は文化ファシストでもあると私は思っています(これはレッテルではなく、理論上においてそう思っているのです)。対抗の仕方は、彼が正しく指摘している戦後アイヌ史研究、あるいはより一般的なアイヌ史の理解における矛盾点を彼自身に照らし返すことです。『インパクション』の論文でそう試みてみました。これを修正したものは、もうじき英語のJapan Focusというネットジャーナルに出ます。
(4)近代化の問題
寺地: 「先住民族」という概念はそもそも近代の産物である。近代化された移住者が到来して初めて、元からいる人たちが先住民族であると規定される。あるいは、前近代的な存在があるからこそ、移住者が自らを近代的と認識できる。そういう構造があると言っておられます。「近代の時間」が先住民族という存在と密接に関わっているともおっしゃっています。
@ 近代がどのような問題を引き起こしたかについては報告のなかではそれほど展開されていませんが、『現代思想』2010年2月号の「新アイヌ政策の夜明け」という論考では、先住民族として認定されても、アイヌ民族は土人→旧土人→旧・旧土人になっただけで、近現代日本はアイヌ(「アイヌなる者」)を「より良い人権を必要としている『未だ』なる者と規定され続けていると指摘されています。また、「いたずらに過去を背負っている人々、つまり遅れている人々」と考えられているとも述べておられます。これが近代がもたらした問題と考えていいでしょうか。
A 北海道では厳然たる差別が、道外でも一定の差別が存在することを考えると、アイヌ民族の人権が十分に保証されていない、つまり「より良い人権」を必要としている状況が続いていることは事実だと思います。また、「遅れている人々」というイメージは少なくとも公的な言説からは払拭されていますし、日常的にもそうした誤解はなくなっていると思われます。これらの点についてどうお考えですか。
ウィンチェスター: @のご理解は正しいですが、「前近代的な存在があるからこそ、移住者が自らを近代的と認識できる」とは逆です。近代以前を呼び起こすのは、まぎれもなく近代なのです。近代は、これまであったあらゆるものをそこへ到るまでの前歴に過ぎないとする力です。前近代は、近代でないとあり得ないのです。その時点でなら、「前近代的な存在があるからこそ、移住者が自らを近代的と認識できた」と言えば、正確ですが。だから、たとえば、佐々木昌雄は「アイヌ文化」をもはやただの「形骸」だけだと言います。それは別に「本当のアイヌ文化」がいつか存在していたという意味ではなく、「本当のアイヌ文化」、「純粋なアイヌ文化」などというものが想像できるのは、失われた「アイヌ文化」があると想像できるその瞬間です。この意味での「形骸」です。近代以前の「アイヌ文化」が問題となるのは近代以降にほかならない。近代以前の「アイヌ文化」が問題とならなかった時代もあったかもしれない。つまり、体現している文化がそれだけでありえた時代。しかし、それでさえも、想定できるのは近代以降の今なのです。近代から逃れることはできません。これは近代の断絶の力だと私は言います。この近代がもたらした問題を、今は近現代のアイヌ政策を打ち出した国家機関と国家が近代において果たした役割、あるいは〈アイヌ〉なる者を「遅れている人々」としてきたその力と資本との関係(〈アイヌ〉は低賃金労働層に入る確率が高くなったことなど)、さらに、その構造的な不平等にもかかわらず、成員間の平等をつねに揚げてきた国民主義との関係について、いろいろ考えています。
質問のAについては、また権利の問題に戻ることになると思いますが、これでは、すこし挑発的に言ってみましょう。「人権が十分に保証されていない」というのは、人権という領域においてアイヌは「遅れている人々」だと言っていると同じですよね?したがって、誤解はなくなっていないのではありませんか。
(5)普遍的なカテゴリーであるかのように振る舞う「先住民族」とは異なる普遍性への糸口
寺地: 近代以降のアイヌの著述家の仕事に「自らが置かれている状況に、根源的な形で介入しようとしている思想」が見出されると述べておられます。「先住民族」とは異なる普遍性への糸口とは、このことでしょうか。つまり、すべての人間はみずから置かれている状況と向き合わなければならない。その状況とは近代がもたらした状況である。つまり、アイヌが置かれている状況は違った形で私たちにもある。近代が作り出した私たちの状況に立ち向かう契機をアイヌの思想家に見出すことが出来る。これと似たようなことを、インパクション174の「『シャモ』への固執--小林よしのりとアイヌを巡る現代排外主義」の最後で以下のように述べられています。
ここで小林よしのりとともに、現在のアイヌ言論界人や政策立案者に呼びかけてみたい。……
自らの現実と素直に向かい合い、その現実を耐え凌ぐ孤独を学び直す必要があるのではないだろうか。
つまり、アイヌの人たちの思索は、状況との対峙という、私たちに等しく課題となっていることに立ち向かわせる契機となる、それが普遍性への糸口である―そう考えていいのでしょうか。
ウィンチェスター: そうです。私たちは皆、「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」たちです。「アイヌ問題はアイヌだけではなく、私たちの問題だ」と軽くはよく言われますが、そのなぜかについて皆さんは本当に考えたことはありますでしょうか、と私はいつも思います。たとえば、佐々木昌雄が小説家の三好文夫の『シャクシャインが哭く』(1972年)という小説を評した文章があります。この小説は、1669年のシャクシャインの戦いを現代のアイヌの状況と重ねて書かれているものです。三好は、「アイヌの側に立って」小説を書こうとしたようです。これに対して佐々木は、〈アイヌ〉と〈シャモ〉として在る者の「辛さ」(これは存在論的な辛さと言ってもいいかもしれませんが)は「本来同質」にもかかわらず、三好はそれを困難にさせてしまっているジレンマに陥っている、と言います。本来は、皆が「私はひとつの他者である」にもかかわらず、三好はそれを思い知るのを難しくしてしまっているのです。なぜなら、三好は、自分の「辛さは『アイヌ』よりも楽である」と思い込んでしまっているからです。しかし、本当に大変なのは、もはや自分たちが自分たちであるためほど、つねに情け深く慈善的である必要のある他者を作り出しつづけなければならないほどに存在の根拠がない〈シャモ〉の方ではないのでしょうか。大変な作業ですよ。北海道開拓で始まった歴史的出来事の継起は、すべてを引き裂きました。すごい損失です。引き裂かなければならなかったのは、「状況としての『アイヌ』」を強いられた者ばかりではなく、〈シャモ〉たち自身でもあったのです。〈アイヌ〉なる者が「遅れて」いて、「同化」すべき存在、「包摂」すべき存在だということなどが本当にそうだとするためには、世界そのものを〈シャモ〉は作り直さなければならなかったのです。狂いに近いです。この歴史のある世界から逸れていくように、「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」たちという視座は、逆に、非常に特異な普遍性を指していると思います。
しかし、ここでつねに留意しなければならないのは、「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」というのは、そもそもの形容句なしには想像し得ない視座だ、ということです。〈シャモ〉、〈アイヌ〉などという近代において私たちに付与されてきた形容句の世界の外に出ようとしているような視座ではありません。先ほども言いましたように、近代以降の世界では、残念かもしれませんが、かつてのものはかつてのものとしてしか「取り戻す」ことはできません。しかし、同じ近代の恩恵と言っていいのかわかりませんが、近代の形容句は同時に、この自分と〈アイヌ〉または〈シャモ〉とが互いに一致せず、自分自身とも一致することのけっしてできないような状況を実証している「私」というのを認知可能なものにしてくれています。〈アイヌ〉または〈シャモ〉も、「私」もたえず自分自身から欠如していることを表すことのできるとても不思議な、残余みたいな「私」を認知可能にしてくれたのです。そして、この「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」たちの世界は、何一つ不確定な未来に確立するものではなく、近代、そして現代世界の今・ここでつねにすでにあるのです。これこそ、「アイヌであることが、人である程度の重要性があるに過ぎない」世界です。それを明らかにするのが「アイヌ思想史」の役目ではないかと私は思っています。
(6)アイヌ民族の復権
寺地: 先住民族研究会での報告からははみ出ることになりますが、国家によるアイヌ民族の復権についてどうお考えですか。「新アイヌ政策の夜明け」で以下のように述べておられます。
行政機関などによる統治的な保護や援助、または他者からの支援と尊重を徒に必要としてる、抑圧された少数者としての「アイヌ」というイメージは、即刻に破棄されなければならない。
植民地主義的不正義に対する「おとしまえ」としての国家による権利回復は必要ないとお考えでしょうか。
ウィンチェスター: 私が植民地主義的不正義とは何か、その「おとしまえ」とはどのようなものかについては、今、答えた気がします(笑)。また、「権利」と「復権」と「回復」についても述べてきました。現在の日本の社会を作りつづけている過去のいわゆる負の遺産に対応できるような更正政策は必要だと言えるかもしれません。しかし、一方で、自分がアイヌであることが現在の社会においてもなおさら特異なのだ、とこの社会の中に位置づけられている場合、それに基づいて差別のあり方が作り直されている場合には、国家政策だけでは問題は解決されないでしょう。少なくとも、国家だけではなく、資本にも、国民主義にも、「人間」というものそのものに対する私たちの思考にも関わっている問題ですから。
(7)アイヌ近現代史研究の見取り図
寺地: マーク君のアイヌ思想研究が将来どう広がっていくのかという見取り図があれば語ってください。
ウィンチェスター: アイヌの状況や政策がどう展開するかに大きく左右されるでしょう。でも、とりあえず、今のところでは、現状に照らし合わせるような、さっきから言っていますこの贖罪的な思想の系譜を引き出して研究を進みたいと思っています。また、最初に言いましたように、これは、決して〈アイヌ〉や〈日本〉に限定されているような問題ではないのですから、このことについても考えていきたい。先住民族研究では、しばしば比較研究が行われます。しかし、そのほとんどが「先住民族」概念の普遍主義にそくした安易な比較です。そこに、〈アイヌ〉は単に「先住民族」の「日本の場合」となることが多い。というのはまた、最終的には、コロニアルとしか言いようのない比較の戦略になっていると思います。それに対して、そのように各々の「先住民族」たちが比較しうるからこそ、状況ごとにそくして、「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」たちというような視座は、実はいろいろな場所で現れているのではないか、そういう気がします。これについても考えてみたいです。「○○であることが人である程度の重要性があるに過ぎない」世界。経済的をも含めた、およそいっさいの形容句が棄却された世界。救済すべき誰かの存在に依拠する他の誰かがいなければならないといった現代にも及んでいる近代的な機能はもはや不活性化された世界ですね。真に共なるものが生み出される回路の開かれる世界でもあると思います。自分の研究がどう広がっていくのかについては、その世界をいかにさらけ出すことができることから決められるのではないかと思います。とても非現実的な奴だと思われてしまうかもしれません。しかし、私の立場が非現実的に聞こえてしまうのは、それがユートピア的だからではけっしてなく、この立場の可能性を防ぐ力の強さの証でしょうと、私は思いたいです。
マーク君の応答を聞いて 寺地 五一
マーク君が言おうとしているのは、坂口安吾風に言えば、「政治による救済などは上皮だけの愚にもつかない物である」ということか。「政治による救済」はアイヌ民族を普遍主義的な先住民族概念の枠に閉じ込め、本来は非共約的なアイヌ民族の状況を理解・比較・翻訳可能なものとして回収してしまい、彼らを救済(つまり政策)の対象者(つまり「遅れている、未だざる」者)としてしか見ない。一方、近代によって生み出された、フィクションとしての主流者である私たち(アイヌとの関係で言えば「シャモ」)は、自らの中にある空洞(「存在の根拠のなさ」)を補完し、その権力性を維持するために、常に救済すべき、包摂すべき者(救済・包摂によって結局は排除される者)を必要としている。つまり、「政治による救済」は国家にとっては、人権を大切にする近代国家であることを喧伝するために必要であるし、近代国民国家の主流者たる「シャモ」となった国民にとっても、自らの虚無性に幻のエネルギーを注入するために必要なのである。
こうした近代の罠から逃れるには、アイヌを救済の対象者として上から目線で見るのではなく、彼らの強いられた状況、アイヌという名を冠せられることによって生まれる状況に対して、「私という他者」と出会うように、自らの肉を切るような形で対峙せよ(再び坂口安吾風に言うと、社会の規範から「転落」し、まっさかさまに「堕ち」よ)。そのことによって初めて「シャモ」も同じ強いられた状況にあること、つまり〈状況としてのアイヌ〉は〈状況としてのシャモ〉」の認識へと私たちをいざなうものであることに私たちは気づかされる。〈状況としてのアイヌ〉は実は私たちにもあてはまる普遍性、普遍主義ではない普遍性を持つものなのである。それに気づき、〈状況としてのアイヌ〉を自らのもとして引き受けるとき、アイヌもシャモも等しく「○○であることが、人である程度の重要性があるに過ぎない」、中心と周縁のない、優しく抱き抱えて包摂する側と包摂される側のない世界への光明が差し込む。
こうした読解がマーク君から及第点をもらえるのかは自信はないが、「自らの現実と素直に向かい合い、その現実を耐え凌ぐ孤独を学び直せ」というマーク君の挑発は私の心に下ろされた錘となったことは確かだ。
そうした思想的な営みが生み出す、「上から決められた普遍主義的な規定に基づいているのではなく、それぞれの現場や状況にそくして、追求される政治的な手続きのようなものとしての『権利』」とは具体的に何か、それを現実のものとする政治のあり方、つまり「思想の政治学」とでも呼ぶべきものの勝利の道筋について、またいつかマーク君の思いを聞いてみたい。