「百済のほほ笑みを浮かべた日本の国宝に胸が詰まる」

韓国の小中高教員300人と行く「日本の中の韓民族史探訪」
韓国の金銅弥勒半跏思惟像とうり二つ
船山古墳の金銅飾履なども百済・武寧王陵の遺物と類似

 9月29日に始まった今回の探訪は、唐・新羅連合軍によって滅ぼされた百済の復興のため、日本と手を組んだ百済の遺民が山城を築き官庁を建てた、福岡の太宰府からスタートした。熊本県の船山古墳から出土した5世紀ごろの金銅飾履や金銅冠、銅鏡、金製耳飾といった副葬品は、百済の武寧王陵から出土した遺物と似ており、あちこちでため息が漏れた。応神天皇を祭る宇佐神宮では、青銅で作られた新羅時代の釣り鐘と対面した。日本に渡った6点の新羅鐘の一つだという。

 壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)後に和解ムードをつくり出すため朝鮮通信使が歩んだ航路に沿って、下関から船で大阪港へ向かうというルートは、今年が日清戦争120周年に当たることから特別な感慨をもたらした。朝鮮通信使の宿所だったという下関の赤間神宮や、日清双方が朝鮮の運命をめぐって交渉した春風楼を見学したときは、探訪団も静まり返った。ソン・スンチョル江原大学教授は「歴史問題のため韓日首脳は顔も合わせない状況だが、それでも両国は、未来を共に生きる共生の関係を構築しなければならないということを、朝鮮通信使の歴史が教えてくれる」と語った。

 扶余とそっくりな飛鳥の野原には、秋が訪れていた。百済の遺民が渡り、日本古代文明の芽を育てた飛鳥には、三国時代の横穴式石室墳を見ているかのような石舞台古墳や、百済の王興寺をモデルにした飛鳥寺など、百済遺民の痕跡があちこちに残っていた。城寿小学校(京畿道城南市)のイ・ギョンヒ教諭は「韓国の歴史の痕跡、ルーツを訪ねる旅がこれほど感動的だとは思わなかった。韓国に戻り次第、ここで集めた資料を基に歴史の授業のための指導案を作る予定だ」と語った。

大阪・京都・奈良= 金潤徳(キム・ユンドク)記者
前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • ▲「百済のほほ笑み」を浮かべた広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(左)。日本の国宝第1号(原文ママ)に指定されたこの仏像は、韓国の国宝第83号に指定された金銅弥勒半跏思惟像(右)と双子のように似ている。
  • 「百済のほほ笑みを浮かべた日本の国宝に胸が詰まる」

right

関連ニュース