以下、その報告書(甲185号証の 2)の目次部分です。(甲185号証の 1 は、その英文の原文です。原文は、国連のウェブサイトで閲覧できます。←リンク先をクリック、そして、ワードのロゴをクリックして下さい。)
甲185号証の2 目次部分
(本記事で紹介するのは、下記赤字部分)
序文
1) 日本の国際的義務違反
>> 宗教の自由 (ICCPR(市民的及び政治的権利に関する国際規約)第18条)
>> 個人が自由及び安全保障を享受する権利 (第9条) 及び移動の自由 (第12条)
>> 拷問その他の虐待の対象とならない権利 (第7条)
>> 結婚し家庭を築く権利(第23条)
>> 有効な救済を享受する権利 (第2条)及び 差別を受けない権利(第26条)
2) 拉致・監禁及び 強制的脱会カウンセリング(ICCPR 第7、9、12、18 及び 23条違反)
>> 親の当然の心配から拉致決定まで
>> 拉致監禁の実行
>> 強制的脱会カウンセリング
>> 拉致監禁の結果
>> 12年5ヶ月にわたり監禁された後藤徹氏の場合
3) 被害者保護に対する警察の失敗 (ICCPR第2、18及び26条違反)
>> 警察が対応を渋った事例
>> 警察が被害者への語り掛けを怠った事例
>> 警察の介入が拉致被害者の解放に役立った事例
>> 警察が加害者側に味方した事例
>> 統一教会員が警察を信頼できなくなった事例
4) 刑事免責の継続 (ICCPR第2、18及び26条違反)
>> 加害容疑者に対し刑事訴訟が為された事例が皆無
>> 民事訴訟
勧告事項
以下、甲185号証の2 第三章:
(読みやすくするため、段落間に行をあけたり、文中、色を加えたり、枠をつけたり等の作業を行いましたが、文章自体は、裁判所に提出された原文のままです。)
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3) 被害者保護に対する警察の失敗
(ICCPR第2、18及び26条違反)
私は後藤徹氏を12年5ヶ月も監禁した犯人たちを調査しようとも厳罰に処しようともしなかった警察など信頼できなかったので通報もしませんでした。 (2011年に監禁からの脱出に成功した拉致被害者;彼女の希望により匿名にしてあるが、HRWF にはその実名が知らされている。)
拉致監禁について見られるのは、日本の警察及び司法当局が 「家族間の問題」 と見なし、それに巻き込まれるのを拒否しているということである。 (統一教会の孝成教会の青年指導者の供述、2013年3月9日).
寺田こずえは1997年に両親によって大阪市内のアパートに監禁されていた時、父親のメモ帳から紙を1枚気付かれずに取り出すことができたので、それに 「私は不法監禁されていますので、助けてください!」 と走り書きして、玄関のドアの隙間から外に投げ落とした(注34) 。
寺田こずえと同様、日本における数多くの拉致被害者は警察が救出に来てくれるだろうと期待した。多くの人々は彼らが拉致されたのではないかと疑われるようになったらすぐに信仰仲間が警察に届けてくれるだろうと思っていた。
その両親が本人の統一教会入信に批判的であることが分かっている教会員が帰省する時には、彼らは万が一拉致された場合に仲間に知らせる段取りを前もって決めておくことが多い。例えば、メンバーが外部世界と連絡を取ることができる限り定期的に連絡を取ったり暗号を使ったりといったことを打ち合わせておく。HRWF に知らされている限りでは、多くの場合、拉致被害者は約束の日付を過ぎても仲間に連絡に来ない場合には警察に捜索願を出すように委託した手紙を教会に残して行っている。
HRWF が把握している限りでは、1966年に最初の拉致が起きて以来、多くの事例において警察に然るべく通報が為されたにも関わらず、警察は失踪者の居場所を突き止める為の適切な手段を講じず、通報された拉致被害者が自らの意思に反して監禁されているのか否かを確認しようとすらしなかった。拉致被害者が監禁されている間に警察と会って話す機会があったのに警察が救出しに来なかった事例(以下参照)もあった。
HRWF が懸念しているのは、多くの事例において警察が差別という理由から統一教会員の発見と救出の為に適切な措置を取らなかったという主張があることである。統一教会は日本社会において一般的にネガティブなイメージを持たれており、その結果、警察は多くの事例において親が子供を統一教会から「救出」するという目的にも、また、拉致や監禁や未承諾の脱会カウンセリングといった手段から被害者を救出するのにも協力的ではなかった (注35) 。
<以下の囲み部分は、報告書内のコラム>
日本において統一教会員に対する差別に繋がっている統一教会のネガティブなイメージの理由:
1) 日本社会では歴史的理由から敵意を掻き立てる国である韓国で発祥した新宗教運動であること;
2) 統一教会が基督教系であることを主張し、プロテスタント教会からは危険な異端と受け取られてきたこと;
3) 統一教会には、婚約者の選択や、韓国または米国で開催される祝福式典の中で文師夫妻が信徒の新たな「真の父母」となると明言するなど、子供の結婚に親が同意する権利の侵害と見られかねない敢行があり、それが親との衝突を招く可能性があること;
4) いわゆる一連の「霊感商法」や「青春を返せ」裁判がマスコミによって大々的に報道されたこと; (いわゆる「霊感商法」とは、統一教会員が市民にいわゆる印鑑や数珠その他の宗教的品物を、先祖の因縁からの解放の為にと訴えて販売した事件であり、時々統一教会批判者によって批判の対象にされてきた。)
5) 統一教会が新会員を獲得する際に相手に洗脳術を施してきたとされてきたこと;
6) 彼らの経済復帰活動;
7) 外国の新宗教に対する社会的敵意が蔓延した風土。
(注34) 日本統一教会からHRWFに提供された寺田こずえの供述書
(注35) リチャードソン著「ディプログラミング(Deprogramming)」、pp. 322、323 及び 326-328参照。
>> 警察が出動を渋った事例
HRWFが知るところでは、2009年8月以降16件の事例において、失踪者と同じ寄宿舎に住む同僚或いは婚約者を始めとする統一教会員によって、拉致が疑われる被害者の捜索願が警察に出され、対応を促していた。
これらやそれ以前の事例では、統一教会員が失踪者の捜索願を届け出ても警察から対応できないと返答されたが、その理由として警察は失踪者の親族か雇用者が届け出ない限り介入する権限がないと主張した。
こういうやり方は日本の国家公安委員会規則第13条 「行方不明者発見活動に関する規則」 に違反する。この規則には、警察は、親、配偶者、本人と内縁関係にある者、その他の親戚及び雇用者、本人と共同生活をする他の人々、当該行方不明者と社会生活において密接な関係を有する者といった広範囲の人々からの失踪者の捜索願を受け付けることができると明記されている。
多くの事例において警察は「家族の問題」には介入できないと述べてきたが、ところが法律には、家族が関連している場合においても棄教目的の拉致監禁が申し立てられた時に失踪者を捜索し拉致監禁がされているのか調査することを妨げる条文は何処にも存在しない(注36 。
34歳の N.I. は2012年1月3日に失踪した。彼女が実家に帰省した後1週間にわたり連絡が取れないことに東京都足立区にある彼女と同じ教会の友人が気付き、教会責任者が2012年1月10日に水戸市内の警察署に行き、彼女が家族によって拉致監禁されている疑いがあるので彼女の居場所の捜査を開始するよう警察に求めた。彼女は失踪する前に、実家に帰省中に他の教会員との連絡が無くなったら、監禁されている可能性があるので警察に届け出て自分を探して救出して欲しいとの意思表示を書いて残していた。ところが警察官は足立教会員が提示したこの意思表示書の受取を拒否した。同教会員は N.I. が摂食障害を患っているためストレス下に置かれると健康に重大な危険を招く恐れがあると指摘したが、しかし警察官は 「その問題が親子間の問題なら、たとえ暴力が幾らか含まれるとしても、警察は介入できない」 と考えられるとして調査を開始することができないと語ったと報告されている。その警察官はまた、失踪者の捜索願を出せるのは直接の親族だけであり、友人や信徒仲間ではできないと述べた。その教会員は 「私達は警察を当てにするのを諦めました。何故なら、過去に経験した同様の拉致監禁事件において警察の誠実性を信じた結果、あまりにも恐ろしい目に遭ってきたからです」 と結んでいる。N.I.は両親に4ヶ月にわたり監禁された後、4月末に監禁からの脱出に成功し、統一教会員として留まった。
別の事例では、31歳の K.M. は2010年8月12日に実家の両親を訪れた。彼が属していた孝成教会の仲間たちは帰る約束の8月15日に彼が帰ってこないので心配し始めていた。彼らは電話や電子メールでも彼と連絡が取れず、彼の両親も電話に出なかった。9月14日に教会責任者が東京都内の世田谷警察署に行って彼の捜索を要請したが、警察官は失踪者の捜索願は失踪者本人の近親者あるいは本人の不在によって損害を被っている所属会社の経営者しか出せないと指摘しながら、そういう対応はできないと拒否した。教会責任者は K.I. が両親によって拉致されている疑いがあると言ったが、すると警察官は、警察は親子関係には介入できないと答えた。2011年1月25日、K.M.が監禁状態から脱出してきた後、彼と教会責任者が世田谷警察署を再び訪れ、今後同様の事態が発生したら警察はどう扱うのかを尋ねてみたところ、警察官は 「もしもあなたが親に自分を理解してもらいたいのなら、どんなに時間がかかっても説明すべきであろう。もしもあなたが親を訴訟したいのなら、民事訴訟として為されるべきだ」 と答えたという。
(注36 日本の文化風土で両親は子供を自分の所有物のように見なしやすい。米本和広氏によれば、児童虐待防止法の必要性は1995年頃まで議論されなかった。子供の権利と家庭内暴力という概念は最近輸入されたもので、一般的な人権概念と同じく、まだ必ずしも社会に受け入れられていない。そのため警察は、成人した子供の拉致を「家族の問題」と見なしやすい
>> 警察が被害者への語り掛けを怠った事例
統一教会員が拉致されたとして警察に届け出された他の事例では、警察は事件を調査することを約束している。警察が失踪者の親に連絡を取ってみたところ、本人は失踪しておらず何の問題もないのでもう心配する必要はないと説明した事例もあった。また、警察が拉致されたと申し立てられた被害者の意思を確認したのか否か、或いはその親族とだけ話したのかを明確にすることを拒否した事例もあった。一般的に警察はこの段階で調査を中断してきた。
HRWF に知らされた最近の事例では、失踪者(女性)の婚約者が岩国市の警察署に手紙を送り、彼が前回警察署を訪れて出した要請に応じて婚約者の捜索を開始したのか否か、もし捜索を開始したのなら捜索のどの段階に至っており、如何なる進展があったのか、もし開始していないならその理由についての詳しい説明を1週間以内に書面で知らせてくれるよう求めた。もしも警察がこの情報を彼に与えることができないのなら、警察はその法的根拠を彼に詳細に知らせなければならない。ところが10日ほど後になって警察官が彼に電話をかけてきたものの、彼の質問には答えず、その若い女性は無事であり強制的に監禁されていないとだけ語り、警察が彼女に直接語り掛けて確認したのか否か、或いは単に他の親族にのみ尋ねただけなのかについては説明を拒否し、また、彼女の居場所を突き止めたのか否か、何処に行けば彼女に会えるのかについても返答を拒否した。
拉致されているとされた被害者の親族が全てが無事で何の異常もないと請け合った後に関与を止めてしまった幾つかの事例では、当の申し立てられた被害者はそれまでに信仰を放棄しており、もはや本人の意思に反して監禁された状態ではなくなっていた。ところが他の事例では拉致被害者がまだ監禁されていて、救出されることを望んでいた。
統一教会員の K.T. (注37)(女性)は2008年に他の教会員と結婚するはずだった直前に拉致された。彼女が「失踪」した翌日、同じ教会の友人が警察署に行き、拉致された恐れがあることを高位の警察官に訴えた。ところがその警察官は、彼女の親から事前に、「娘が帰ってきた時に家族で話し合って娘を宗教団体から離教させる為に説得するので、警察はもしも隣家から怪しい叫び声や音がするとの通報があっても心配しないで欲しい」 との申し入れがあったと答えたという。 それで、弁護士を含めた他の何人かの人々が彼女の代わりにその警察に連絡を取って、彼女の居場所を確かめ、もしも彼女が自らの意思に反して監禁されているのなら救出する手段を講ずるよう求めた。
1週間後その警察官は K.T. の友人に対し、自分で申し立てられた監禁施設に何度か行ってみたが、彼女は監禁されておらず、家族は唯単に家族会議をしていただけだったと述べたが、拉致被害者自身に語り掛けたのかどうかについて明確にするのを拒んだ。K.T. が解放された後に統一教会に語ったところでは、監禁中に1度だけ2人の警察官がやってきたのを見たが、そのうちアパートの近くまで来たのは1人だけで、彼女はその人に助けを求め叫び、その人は確かに彼女の方を向きその叫びを聞いたはずなのに、しかし2人ともそのままその場を去っていったと報告されている。
2011年に統一教会員の M.K.(注38) (女性)は両親によって数週間にわたり棄教目的で拉致監禁された。彼女が「失踪」した直後、彼女の仲間の統一教会員が警察に拉致の疑いがあるとして届け出た。翌日、担当の警察官が来て、自分と同僚の警官とでその家に行ってみたところ、M.K. さんと別室で親しく話し合うことができたが、彼女は何の苦情も抱いておらず、警察が助ける必要はないことを確認したと告げた。数週間後にM.K.さんが監禁から脱出した後に統一教会に語ったところでは、彼女は両親による監禁中に警察官と話したことはないが、唯、父親が2人の警察官と話しているのを耳にしただけだったという。父親が娘の宗教団体に傾倒していることについて家族で話し合いをしていると彼らに告げると、その警官たちは去っていったという。
統一教会員で UPF日本事務次長の魚谷俊輔氏が2013年4月16日にHRWFに語ったところでは、警察は通常、失踪者の意思を確認することを避けるという。彼は、「もしも彼らが失踪者に語り掛けた時にその人が『私は監禁されていますから、助けて下さい』と言えば、彼らは救出行動を取らなければならなくなるので、そうしようとしない・・・・実際に警察は統一教会員が信仰を捨てるまで時間を稼いでいるだけである。通常、監禁被害者にとって3ヶ月以上持ち堪えるのは難しい。被害者が信仰を放棄し両親の要求に屈してしまうと、その後はその本人が拉致や監禁ではなく、単に家族の話し合いだったと言うようになり、そうなると警察は自分たちの正しさを主張できるようになる」 と付け加えた。
(注37) 守秘義務の理由から、この事例においてはHRWFはイニシャルのみならず、事例記述中の誰にでもすぐに分かる情報をにおける変えている。本事例の情報は日本統一教会からHRWFに提供されたものである。
(注38) 守秘の理由から、この事例においてはHRWFはイニシャルのみならず、事例記述中の誰にでもすぐに分かる情報をにおける変えている。本事例の情報は日本統一教会からHRWFに提供されたものである。
>> 警察の介入が拉致被害者の解放に役立った事例
警察が充分に専門的方法で活動し、失踪者の居場所を的確に確認し、被害者と連絡を取り、本人が望む場合には救出する為にあらゆる手段を講じたというような事例は HRWF には未だ1件も知らされていない。
しかしながら、警察が拉致の疑いが申し立てられた後に措置を講じるとの圧力をかけることで拉致被害者の解放に決定的な役割を果たした事例は幾つかあった。
元木恵美子は韓国の統一教会員と結婚し、韓国で生活していた。HRWF に提出された彼女の供述書によると、彼らは2000年11月に夫を彼女の家族に紹介する目的で初めて夫婦で日本を訪れた。彼女は夫と一緒に実家に到着した日の夜、彼8女は布で口を塞がれて起こされた。最初は強盗かと思ったが、自分の鼻と口を塞いでいる布を取り除こうとすると、塞いでいるのは自分の妹だった。彼女は家族にプロテスタントの教会に連れていかれ、そこに2週間監禁され、プロテスタントの牧師とその妻、元統一教会信者による未承諾の脱会カウンセリングを受けさせられた。その間に彼女の夫と日本統一教会のメンバーたちは彼女の拉致を警察に届け出て彼女を捜索するように繰り返し求めたが、警察は行動を取ることを拒否した。夫は在日本韓国大使館に問い合わせ、その大使館の介入のお陰で警察が捜索を開始し、彼女を発見し救出した。
30歳の M.K. (女性)は、2005年、2006年及び2010年に各々異なる状況で両親その他によって合計で8ヶ月間にわたり監禁された。彼女が3度目に拉致された時、孝成教会の責任者が川崎市宮前警察署の警察官に最初の2度の拉致監禁及び強制棄教について記述した彼女の手記を手渡した。加えて彼女の婚約者と弁護士が川崎市宮前警察署に彼女を捜索するよう要請した。その結果、警察は彼女の両親に電話し、2010年10月6日に警察署に出頭するように求めた。当日、彼女が両親と共に警察署に出頭し、彼女はその警察署において解放された。警察が両親に娘を連れてくるように求めたのか、彼らが自発的に彼女を連れてきたのかは知られていない。
魚谷俊輔UPF日本事務次長は「幸運にも彼女の場合は関与していた脱会カウンセラーが強い性格ではなかった」と考え、彼の経験では他の脱会カウンセラーだったら親が書面による公式の召喚状を受け取っていない以上は警察に出頭するのに反対していたはずだと付け加えた。もしも M.K. の両親が警察署に自主的に出頭することを拒否していたなら、警察がより決定的な手段を取っていたか疑わしいとしている。彼は2013年4月6日にHRWFに自らの見解を述べる中で、「そういう場合は被害者は決して解放されなかっただろう」と語った。
29歳の A.T. (女性)は、自らの意思に反して家族によって2012年7月28日から9月4日までの1ヶ月と7日間にわたり監禁された。8月7日に統一教会員たちが高岡警察署に行き、彼女が家族によって拉致された恐れがあるとの懸念を表明した。その結果、警察官が彼女の父親に電話したところ、娘は失踪したのではなく無事であるとの返答だった。その後警察は父親に何度か電話し、A.T.と直接通話させるよう求めた。8月7日に教会員たちが法務省人権擁護部高岡支局にもアプローチした結果、同支局員が繰り返し彼女の父親に電話し、彼女の健康状態と居場所について尋ねた。9月4日、統一教会員たちが警察に届け出てからほぼ一ヶ月後に彼女の家族が彼女を解放した。警察と人権擁護部から頻繁に電話がかかってきたことが彼女の親族に圧力をかけ、彼女を解放する決定に貢献したものと考えられている。
R.H.(女性)の場合には警察が彼女を救出する為に迅速な行動を取った(注39) 。ところが、その作戦に加わった一警察官の行動を見ると、信教・信仰の自由及び新宗教運動の拉致事例において具体的に取るべき措置について警察の訓練が早急に必要とされていることが示されている。
R.H.は2000年7月に家族によって監禁された。日本統一教会から HRWF に提供された彼女の拉致監禁に関する説明書によると、彼女は監禁場所の窓からメモを何度か外に落とし、誰かそれを見つけた人に統一教会に連絡を取ってくれるよう頼んだ。そうして彼女が監禁されている場所が統一教会側に伝わった後、教会員は警察に彼女の救出に出動するよう求めた。その結果、4人の警察官が彼女が監禁されていたアパートに来て、彼女の父親にドアを開けて彼女と話させるように求めた。2人の警察官が彼女に面会した際に彼女は彼らに自分を救出してくれるよう求めた。ところがその警察官たちは、自分たちはそういう親子間の問題には介入できず、南京錠を外すべきかどうかを現場で決定する権限は自分たちにはないと答えたという。さらに警察官の一人は 「もし私があなたの父親の立場なら、私も同じことをするだろう。何故あなたたちはお互いに口を利かないのか」 と付け加えた。ところが暫く後で別の2人の警察官と話し合っていた父親が彼女に警察官たちが警察署に行くので一緒に行く準備するように言った。翌朝早く、警察署で数時間を過ごした後、警察官は彼女を近くの鉄道駅まで連れて行くと、そこには統一教会員たちが待っており、そこで解放された。
(注39) 統一教会側の報告では、2000年4月以後の統一教会員拉致事件においては警察の行動に一時的な改善が見られ、幾人かの被害者が強制監禁から解放された事例が導かれているという。2000年4月20日、国会議員の桧田仁氏は、当時の田中節夫・警察庁長官、林則清・警察庁刑事局長、古田佑紀・法務省刑事局長らが政府参考人として招致された委員会で、拉致・監禁事件への対応について具体的な質問をした。桧田議員は幾つかの事例において警察の対応が消極的であるとして、警察が前もって或る父親の拉致計画を実行前に知らされ「認めていた」という証拠を挙げた。
>> 警察が加害者側に味方した事例
拉致被害者が警察と話すことができたが、警察が拉致する親戚側に味方したために被害者の監禁が長引いた事例もある。
例えば統一教会員のM.K.(女性)が2010年8月に実家の両親を訪れた時、両親は彼女の意思に反して彼女を力づくで別の場所に連れて行こうとしたので、彼女は助けを求め叫んだという。隣人がその叫び声を聞いて警察に通報した。警察官が彼らの家にやって来て親族と話し合った後、彼女は警察官に話し掛けることができた。彼女は彼に助けを求めたが、ところが 「警察官は家族の話し合いだからと言って、私の懇願を無視した」 という。その後、彼女の親族は彼女を強制的に別の町の共同住宅に連れて行き、そこで彼女を2ヶ月間監禁した。
1997年に拉致された A.S. は匿名で HRWF に次のように語った:
「逃げ出した後、警察に電話をして、結婚に反対する家族から監禁されていた、と話しました。警官は私の父と話した後で、なんと私を叱責・非難するではありませんか。挙句の果てに警察は私を両親に引き渡したのです。おかげで再度脱出できるまで、私は再び監禁されたのです。」
別の事例では、被害者を拉致している親族または 「脱会カウンセラー」 が強制監禁の事前に関連の警察署に知らせておき、暗黙の了解 を得て実行したと訴えている。
例えば2000年に国会議員の桧田仁氏は石川美津子の拉致に関しても警察の共同責任を厳しく批判し、次のように述べた:
拉致監禁に警察が関与し、また了解しているという証拠をきょう皆様方に御提示したいと思います。平成10年5月16日に拉致監禁をした犯罪者は、計面書をつくっております。しかも自筆のものを持っております。そこで、このいろいろな計画書、何月何日どうする、こうすると書いてあるし、また本人が騒いだ場合どうするとかということが皆詳細に書いてある。しかも、この書類を、これは昭島警察でございますけれども、平成10年5月16日に行うやり方を、5月14日に、この石川某という者が昭島警察へ事前連絡して了承をもらうような書類をつくっているのです。しかも実際に行っているのです。
寺田こずえの事例では警察は彼女の強制監禁に気づいていたのにも関わらず、それを終わらせる為に何の措置も講じなかったと訴えられている。とはいえ実際のところは、警察が介入したことで、彼女の婚約者が彼女の居場所についての情報を提供するよう執拗に要請した際に彼女の解放に役立ちはした。
2001年10月30日、寺田こずえは 「脱会カウンセラー」 の高澤守に対し警察に電話して救出してもらうから携帯電話を渡すよう求めた。彼女によると、高澤はどうせ警察が来ても、統一教会のことだと分かったら『じゃあ頑張ってください』と協力してくれる」と答えた。高澤は財布から警察の名刺を5、6枚出し、自分に『警察と付き合いがある』ことを強調した(注40) 。
12月に寺田こずえは監禁されていた分譲アパートの部屋の玄関のドアの隙間から 「SOS」 のメモを落としておいたのを、そのアパートの守衛が見つけて大阪市内の東淀川警察署に届け出た。一人の警察官がそのアパートにやってきて、ドアをノックしながら、「警察です。開けてください」 と言った。彼女が助けを求めて叫んだので、両親が彼女の体を押さえ付け、部屋の後ろの方に引きずっていった。彼女の母親が「脱会カウンセラー」の高澤守に電話した後、母親は警察官に「この子は精神病なんです。統一教会に入って、親に嘘をつくような子になったんです」と語った。母親が1時間後に基督教会の牧師が来るはずだと言ったので、その警官は「脱会カウンセラー」の到着を待って、彼が到着すると彼を連れて警察署に行った。
高澤守は約1時間後に戻ってきて、「警察は私を知っていました。『あまり近所迷惑にならないように気を付けてください』と言って事情を分かってくれました」と言っていたという。こずえはその後も 、彼女の夫が韓国から大阪に到着する時まで 監禁され続けた。彼女の夫は他の統一教会員たちと一緒に大阪市内の数カ所の警察署を巡って東淀川警察署に来て、やっと彼女の居場所を知っている警察官に会うことができた。その日のうちに警察官は彼女の母親に警察署に出頭するよう求め、夕方母親はこずえの夫を監禁場所のアパートに連れて行った。両親はアパートの鍵を娘に手渡し、二人はようやく解放された。
(注40) 寺田こずえの供述書は日本統一教会からHRWFに提供された。
>> 統一教会員が警察を信頼できなくなった事例
拉致が疑われる多くの事例において統一教会員たちが警察に事態を知らせてこなかったのは、その本人が自らの意思に反して閉じ込められているのかを確かめ、もしそうなら信教の自由の権利を守る為に適切な措置を警察が取るなどとは到底信じられなかったからである。こういった事例の幾つかにおいては、警察への信頼の欠如ゆえに、失踪者の捜索は仲間の信徒たち自身で取り組むようになり、場合によっては私立探偵を雇用することもあった。
HRWF が会った人物の中には、拉致された婚約者をありとあらゆる手段を使って自力で取り戻そうとした宇佐美隆がいた。彼は GPS 付きの携帯電話を婚約者の父親の自動車に設置して父親の動きを通して婚約者の居場所を突き止めようとした。彼は約3年かけてついに彼女の居場所を突き止めたが、それまでに彼女は脱会カウンセリングによって説得されてしまい、新宗教運動を離脱していた。
別の事例では、統一教会員の H.K.(女性)は2009年8月に家族によって拉致され、2ヶ月以上にわたり監禁された。彼女の信仰仲間たちは、警察に頼らず、代わりに私立探偵を雇用した。探偵が彼女の居場所を突き止めた後、統一教会のメンバーと弁護士は彼女の救出に成功し、彼女は今も統一教会員に留まっている(注41)。
(注41) HRWF にはこの女性が匿名で自らの体験を綴った供述書が提供された。
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以上、第三章終わり
次回は、第四章の 「刑事免責の継続 (ICCPR第2、18及び26条違反)」 に続きます。
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