いつか朝日が昇るまで

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「ハラスメント」をどこまで拡大するのかという話

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あさイチ」で40代に対するセクハラの特集をしてそこでのイノッチの発言が素晴らしかったと聞いてNHKアーカイブスで購入して見てみました。

「あさイチ」で有働アナを守るイノッチの勇気ある発言が男前すぎる!各所で朝から共感の嵐

 

そこで話に出ていたことなんですが中谷アナが有働さんを弄る行為についてイノッチが有働さんに聞いたところ,「彼は同期なので気にならない」という発言をしていたんですね。それに対してある共演者が「その関係性だけで通じるものを許容してはダメ」というような趣旨の発言をしていたんですね。これって結構重要な問題をはらんでいると私は思うわけです。

 

それでちょっとググってみたら大阪医科大学のハラスメントの定義というのが出てきたんですね。そこのハラスメントに関する定義を引用します。

 

 ハラスメント(Harassment)とはいろいろな場面での『嫌がらせ、いじめ』を言います。その種類は様々ですが、他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えることを指します。以下に一般的なハラスメントの定義をご紹介します。


セクシュアル・ハラスメントとは?  セクシュアル・ハラスメントとは、本人が意図する、しないにかかわらず、相手が不快に思い、相手が自身の尊厳を傷つけられたと感じるような性的発言・行動を指します。


アカデミック・ハラスメントとは?  研究教育の場における権力を利用した嫌がらせです。嫌がらせを意図した場合はもちろん、上位にある者が意図せずに行った発言・行動も含まれます。

http://www.osaka-med.ac.jp/deps/jinji/harassment/definition.htm

 

最初の定義をそのまま用いれば相手が「不快」に感じれば「ハラスメント」となるわけですが,アカデミック・ハラスメントのように権力という「関係性」がその前提にあるものもあります。そのために以下のようにハラスメントを定義する人もいるわけです。

 

 

しかし先ほどの「あさイチ」の有働さんの事例は同期という権力関係はそこに関係していない状況であり,言わば不快に感じるのは有働さん本人ではなくそれを見ていた視聴者という構図になっているわけです。そこまで「ハラスメント」の概念を拡大するするのはどうかと思うわけです。

 

また「あさイチ」で取り上げられていた事例は相談する側と相談される側という関係の中で相談される側が弱い立場であったわけで,どのような関係の中で発言がなされたかという問題を無視して考えることはできません。

 

そうした関係性を無視して「不快」というだけで「ハラスメント」が定義されていくことに,例えば渡邊先生はツイッター上で疑問を呈しています。

 

相手が不快に感じた時点で謝罪すれば良いとは思うのですが,自分の発言が「ハラスメント」と捉えられる危険性があると,コミュニケーションそのものが取りづらくなってしまうというのもあるかと思います。それは以下の記事を読んで特に感じたわけです(ただし以下の記事には「ハラスメント」という言葉は出てきません)。

 

妊娠とは、素晴らしい奇跡であり、お祝いすべきことです。女性の体は妊娠を通して、肉体的にも感情的にも、大きく変化します。妊娠期間中や、子供が生まれてからも、ママには思いやりを持った言葉や接し方をするべきです。妊娠したからといって、女性の体型について触れてはいけません。 

 妊娠したからといって体型のことは言わないで | Jessica N. Turner

 

 

これに関しては私の妻も自分の体形を気にするタイプの人間なのでとても理解できます。自分の身体が変化していくことのストレスはかなりあることでしょう。これは出産後もそうで,以前の体形になかなか戻らないというのもストレスになるわけです。しかし,次の言葉は私も普通に使っていました。もしこれが「ハラスメント」と捉えられるとするコミュニケーションを取るということがとても難しくなるなと思ったのです。

 

出産予定はいつですか? (近しい友人や家族でなければ、知る必要はありません。)

 妊娠したからといって体型のことは言わないで | Jessica N. Turner

 

 

職場の人などに私は普通に使ってしまったことがあります。確かにそれで不快に感じる人がいるのでしょうか,「不快」=「ハラスメント」としてしまうと,他の「ハラスメント」との区別ができなくなり,深刻な「ハラスメント」まで結局受け手の問題だろと言われてしまうのではないでしょうか。この記事ではこれを「ハラスメント」とはしていませんが,「不快」=「ハラスメント」としてどんどん「ハラスメント」という言葉そのものが軽くなっている事例が実際にあります。それは「家事ハラ」や「パタニティ・ハラスメント」という言葉です。

 

 

家事は継続していけばうまくなる~「家事ハラ」記事について - いつか朝日が昇るまで

 

こうしたものまでも「ハラスメント」を拡大してしまうと,従来救われなければならない「ハラスメント」で悩んでいる人たちまで軽視されてしまいますし,何でも「不快」=「ハラスメント」となってしまうとコミュニケーションそのものがどんどん難しくなっていくのではないでしょうか。みなさんはどう考えますか?

 

 

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