長男
長男の死亡の台詞は学習院のが、信頼に退けられた件について、貴族らをバカにしてから、「これらの道理、汝等が心にあり」と言って斬られるので、シンプルで一番カコイイと思う。
己の正しさを主張してるわけだけど、後に続く人たちに遺す言葉でもあるわけだよね。
『未成年』の主張のような社会へのメッセージですよ。武士全員、清盛以下含めた遺言だと思うと、度量があるなって。
それにしても長男、信頼とほんっと合わないんだろうな。
なんだかんだ清盛以下がむかつくんじゃなくて、信頼などがむかつくのの八つ当たりだったんじゃないの。雷落としたの。
そうすると難波は、どの読み方をしても、とりあえず八つ当たり決定なのが悲しいな。
持ってない・忘れた・読んだことない人用にシーン載せます。
同二十一日の午の刻に、何番三郎に仰て六条河原にて切られける時、悪源太、申けるは、「清盛をはじめて、伊勢平氏程の、ものにも覚えぬ奴原こそなかれ。保元の合戦時、源平両家の者共、あまた誅せられしに、夜陰にこそ切られしか。弓矢取身は、敵に恥をあたへじと、互いに思ふこそ本意なれ。さすがに義平ほどの者を、白昼にきる不当人やある。運のきはめなれば、今生にてこそ合戦にうちまけて情けなき目にあひけれ。恥辱をばかくとも、死ては大魔縁となるか、しからずは雷と成って、清盛をはじめ汝に至るまで、一々に蹴殺参ずるぞ。保元には、為朝が高松殿を夜討にせんと申し儀を用られずして、軍にまけぬ。今度の合戦には、清盛が熊野へ参しを、義平、「追懸て、湯浅、鹿瀬の辺をばやりすぐさじ。浄衣・立烏帽子着たらん馬鹿らめを、手捕にせん」と申しを、事の外なる儀勢なりとて、用られず。去保元にも今度も、勇士のはかりことを捨てられ、京家の者共・筆とりが儀にしたがはんに、いかでかよかるべき。命のおしさに、長物語せるにあらず。これらの道理、汝等が心にあり。とうとうきれ」とて、頸をのべてぞ切られける。
(一応わし訳、
一月二十一日。昼頃に難波に命じて、六条河原で斬ることとなった。
悪源太は、
「清盛をはじめに伊勢平氏ほど物事を知らないやつもいないな。保元の合戦の時、源平両家の者たちが討たれたが、夜になってから斬っただろう。弓矢を取る者は、敵に恥を与えてはならぬと、互いに思うものであろう。それなのに、義平ほどの者を白昼に斬るなど、人道に反している。運が尽きてしまったゆえに、今生では合戦に負けて、こんな惨めな目にあってしまった。屈辱を味わったぶん、死して大魔縁となるか、そうでなくては、雷となって、清盛をはじめ、お前に至るまで一々に蹴殺してやるぞ。保元の合戦では、為朝が高松殿を夜討ちにしようと進言したが用いられず、合戦に負けてしまった。今度の合戦では、清盛が熊野に出かけた際に、義平は「追いかけて、湯浅、鹿瀬に達する前に、浄衣・立烏帽子を着た馬鹿めらを捕まえてみせよう」と進言したが、勢いだけの強がりと見られ、用いられることはなかった。保元でも、今度の合戦でも、勇士の意見は捨てられて、公家や役人が物事を決めていく。それは正しいことなのだろうか? 命の惜しさに、長く語っているわけではない。これらの道理はお前らの心にある。さあ、早く斬るがよい」と言って、首を伸ばして斬られた。)
原文載せるのはカコイイから!
訳はオラわからないけど、一応。
そんなこんなで、『平治物語』をまだ読んでるよ!
今日は休みなんで、ゆっくりしたい。
己の正しさを主張してるわけだけど、後に続く人たちに遺す言葉でもあるわけだよね。
『未成年』の主張のような社会へのメッセージですよ。武士全員、清盛以下含めた遺言だと思うと、度量があるなって。
それにしても長男、信頼とほんっと合わないんだろうな。
なんだかんだ清盛以下がむかつくんじゃなくて、信頼などがむかつくのの八つ当たりだったんじゃないの。雷落としたの。
そうすると難波は、どの読み方をしても、とりあえず八つ当たり決定なのが悲しいな。
持ってない・忘れた・読んだことない人用にシーン載せます。
同二十一日の午の刻に、何番三郎に仰て六条河原にて切られける時、悪源太、申けるは、「清盛をはじめて、伊勢平氏程の、ものにも覚えぬ奴原こそなかれ。保元の合戦時、源平両家の者共、あまた誅せられしに、夜陰にこそ切られしか。弓矢取身は、敵に恥をあたへじと、互いに思ふこそ本意なれ。さすがに義平ほどの者を、白昼にきる不当人やある。運のきはめなれば、今生にてこそ合戦にうちまけて情けなき目にあひけれ。恥辱をばかくとも、死ては大魔縁となるか、しからずは雷と成って、清盛をはじめ汝に至るまで、一々に蹴殺参ずるぞ。保元には、為朝が高松殿を夜討にせんと申し儀を用られずして、軍にまけぬ。今度の合戦には、清盛が熊野へ参しを、義平、「追懸て、湯浅、鹿瀬の辺をばやりすぐさじ。浄衣・立烏帽子着たらん馬鹿らめを、手捕にせん」と申しを、事の外なる儀勢なりとて、用られず。去保元にも今度も、勇士のはかりことを捨てられ、京家の者共・筆とりが儀にしたがはんに、いかでかよかるべき。命のおしさに、長物語せるにあらず。これらの道理、汝等が心にあり。とうとうきれ」とて、頸をのべてぞ切られける。
(一応わし訳、
一月二十一日。昼頃に難波に命じて、六条河原で斬ることとなった。
悪源太は、
「清盛をはじめに伊勢平氏ほど物事を知らないやつもいないな。保元の合戦の時、源平両家の者たちが討たれたが、夜になってから斬っただろう。弓矢を取る者は、敵に恥を与えてはならぬと、互いに思うものであろう。それなのに、義平ほどの者を白昼に斬るなど、人道に反している。運が尽きてしまったゆえに、今生では合戦に負けて、こんな惨めな目にあってしまった。屈辱を味わったぶん、死して大魔縁となるか、そうでなくては、雷となって、清盛をはじめ、お前に至るまで一々に蹴殺してやるぞ。保元の合戦では、為朝が高松殿を夜討ちにしようと進言したが用いられず、合戦に負けてしまった。今度の合戦では、清盛が熊野に出かけた際に、義平は「追いかけて、湯浅、鹿瀬に達する前に、浄衣・立烏帽子を着た馬鹿めらを捕まえてみせよう」と進言したが、勢いだけの強がりと見られ、用いられることはなかった。保元でも、今度の合戦でも、勇士の意見は捨てられて、公家や役人が物事を決めていく。それは正しいことなのだろうか? 命の惜しさに、長く語っているわけではない。これらの道理はお前らの心にある。さあ、早く斬るがよい」と言って、首を伸ばして斬られた。)
原文載せるのはカコイイから!
訳はオラわからないけど、一応。
そんなこんなで、『平治物語』をまだ読んでるよ!
今日は休みなんで、ゆっくりしたい。
2014.10.19(Sun)11:42