変見自在「いやな国」
テーマ:大東亜戦争反日国家と言うと直ぐに思い出されるのは「特亜三国」とか「特亜四国」ですが、あの「オランダ」も結構反日国家です。辛口で定評のある高山正之氏の「変見自在」(週刊新潮12月1日号)より転載します。
高山氏の「変見自在」を読んでいつも感心する事は、歴史を大局的にだけで無く細かなエピソードまで多く知っている事です。読むと知ら無かった日本人の素晴らしかった事を知らされ、特亜やアカヒのような反日的なものに対しては実に皮肉っぽい読んでスカッとする文章を書かれる方です。
この記事の中で、皮肉っぽいと言うか実に辛口な表現と思われる部分を斜字にして置きました。 (画像は全てネットからです)
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いやな国
孫文は清朝を倒す運動を最初、造反と呼んだ。でも日本の新開に「孫文の支那革命」とあるのを見て 「これだ。今後は我らの行動を革命と呼ぼうと言い出した」と産経新聞の上海特派員電にあった。
孫文は日本にカネだけでなく智恵までたかっていた。ただ本人は智者のつもりで「民は屑だから、智者が仕切る専制政治がいい」と公言していた。彼を継いだ蒋介石もこの「民は屑」をしっかり引き継いだ。
彼は日本に喧嘩を売っては負けて逃げるパターンを繰り返したが、逃げるとき、トーチカに兵士を鎖で縛りつけて日本軍の進撃を死にもの狂いで防がせるのもパターンにしていた。兵士を屑、使い捨てと見ているからこその戦法だった。
これは同じ支那人同士だから、彼らの勝手だが、オランダ人はそれを統治するインドネシア人にやった。以下は先の大戦で昭和17年1月、セレベス島に上陸した海軍陸戦隊の報告だが、目標のメナドへの道を6基のトーチカが阻んでいた。制圧して驚いた。中には足枷をつけられた現地人兵士がいた。オランダの支配は過酷の一語に尽きる。水田を潰してタバコなど輸出作物を作らせ、ために多くの餓死者が出た。監獄につなぐと「食べ物が貰える」と喜んだという記録もある。
そこまで虐げた現地民に銃を持たせて自分たちを守らせる。それだけでも呆れるのに、なおトーチカに鎖でつないで戦わせる。それを命じたのが陸軍大佐F・ティウォンだった。彼は陸戦隊と呼応してメナドの飛行場に落下傘降下した部隊に命乞いして捕虜になっている。どこまでも卑劣な男だった。
(海軍大佐堀内豊秋)
因みにこれが日本初の落下傘降下作戦で、指揮官は海軍大佐堀内豊秋。「空の神兵」のモデルになった陸軍部隊のパレンバン降下はその1か月後になる。堀内は3か月間ここにとどまり、現地人兵士を故郷に帰し、オランダが課した塩税を廃止し、逆に塩の作り方も教えた。家ごとに救急箱も与えた。彼が離任するとき、村民が総出で見送った話が残る。
戦後、日本人は再びティウォンの名を聞いた。彼は捕虜収容所を出るとセレベスのBC級戦犯を裁く判事を買って出た。彼は部下を検事役にして日本兵に現地人虐殺などの罪をでっち上げて12人に死刑を宣告した。堀内はそれを開き、部下の潔白を晴らすためメナドに戻っていった。ティウォンは捕虜の辱めを味わわせた日本人を直ちに勾留した。
昭和23年1月、堀内はオランダ人虐待などのほか村民30人に毒を盛って殺害した罪で起訴された。弁護人の井出諦一郎の調べで、堀内が村人に贈った薬箱を「毒薬配布」に仕立てたことが分かった。しかし井出の申し立てはすべて却下され、オランダ人9人の一方的な証言だけで死刑が求刑された。
証拠は何もない。いい加減な証言だけでなぜ立派な軍人を死刑にするのかを井出が問うと、ティウォンは「なぜなら堀内が日本人だからだ」と答え、判決を前に井出を職権でメナドから強制退去させた。同年5月、ティウォンは堀内に死刑判決を下した。かつて海軍軍令部におられた高松宮がこの判決を知って、即位を前にしたオランダ王室のユリアナ王女に堀内の助命を嘆願した。
(ユリアナ女王)
同じインドネシアのスマランでは決起したインドネシア人に捕らえられ、処刑寸前だったオランダ女性800人が日本軍に救出されてもいる。しかしティウォンの祖国だ。王室も性格は似ていた。高松宮の願いは聞き流され、堀内は同年9月25日、メナドで銃殺刑に処された。ユリアナ女王が即位して3週間後のことだった。
そのオランダに船籍をもつ反捕鯨団体シーシェパードについて先日、同国政府は彼らの日本捕鯨船に対する嫌がらせは 「国民の多数が支持している」(産経新聞)という理由で船籍剥奪を見送った。いかにもこの国らしい。
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渡部上智大名誉教授も似た話を「皇室はなぜ尊いのか」(PHP出版 2011年9月12日発行 P107 )に書いています。
> 逆に、オランダは戦後、非常に反日的だった。天皇が訪問されたときも、いろいろな嫌がらせをした。ベルリンで開かれた国際古書学会で、どこかの国の人が「オランダ人は反日だ」というから、「それはそうだろう。インドネシアを失ったのだから」と答えると、「ああ、そうか」とうなずいた。
こういう当たり前のことが、相当の知識人でも案外、頭に入っていない。とくに日本では、「日本が悪かったから」という人が多い。しかし、オランダが反日である根本的な理由は、植民地だったインドネシアを失った恨みである。
逆にいえば、コロンブス以降、世界を席巻した帝国主義先進国の欧米列強に対して、古い伝統を有する国がどうやってアイデンティティーを維持し、発展するかという唯一の手本を、明治天皇以来の日本が示したということである。
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しかし思うに、戦前の日本人は堀内豊秋海軍大佐の写真からも見るからに高潔そうな人が多いですね。それに比べ戦後の日本人は・・・・・
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