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2014-10-19

日本人が海外の”オリエンタリズム”に乗っかって、怪しげな武術で尊敬される話(池内恵ブログより)

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ブログは発祥的に「格闘技ブログ」で、だいたい最初の記事は格闘技関係の記事、その後は…なんのテーマだろうな(笑)? あとは手当たり次第の話題、という構成にしている。

その後半部で、あちらの開設以来何度も紹介してきた池内恵中東イスラーム学の風姿花伝ブログだが、トップページ格闘技的にも重要な記事が今回載った。

日本人戦闘員の系譜〜戦後社会に寄る辺なき人たち http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-215.html

……私の若い頃の観察では、レバノンなどの各民兵集団(政府軍にも)にたいてい一人ぐらい、「日本人空手教師」みたいのがいた。日本人というと「ジャッキー・チェン」だったり「カラテ・キッド」だったりといった強固なオリエンタリズム固定観念中東社会にはあります。そのイメージをなぞって演じていると、食っていくことぐらいはできて、ちょっと尊敬されたりもします。どの世界でも「先生」はそれなりに偉いからね。お金権力はなくても、直接の生徒とその親には尊敬される。

ジャキー・チェンとカラテ・キッド老師を足して二で割って、そこに黒沢明風の威厳を付け加えれば、アラブ社会オリエンタリズム日本人像にぴったり重なる。そんな風に演じているうちに、だんだん幻想と現実が混然と一体となっちゃって、時代劇のように話している日本人とか、いたな…

さてさて、自分が実例を見聞したのは一、二例(軍事組織じゃないぞ、普通の日本人パキスタン旅行者武道で人気者、レベルの話)にすぎないが、いかにもさもありなん…な話すぎてどうも。


日本(および中韓)=カラテ、ジュードー、ケンポーのイメージというのは、20世紀初頭のコンデ・コマやスモール・タニが有無を言わせない本物の技術と実績で定着させ、さらにはブルース・リージャッキー・チェン映画というフィールドで作り上げたイメージであって、ともに血反吐をはくような努力と闘争の末の結果だ。

それに乗っかるのもいろいろと申し訳ないが、しかし相手の側が圧倒的にそれを求めてるんだからねぇ。そこを演じてあげるのも「お・も・て・な・し」のひとつでございますよ(そうか?)

いかにもマッチョな軍の世界をはじめとして日本人東洋人として期待されるのが”カラテ”系な何かであることは想像に難くない。読んだ例なら、実例は多数知っている。

 ……一人の兵士が、ひょいと「日本人だというが、だとしたら空手はできるのか」と訊いてきた。少しばかり心得はある、と答えると、俄然兵士達の目の色が変わった。矢継ぎ早の質問攻めにあい、そればかりか、わざわざ兵舎まで「伝令」が走っていく。そのうち軍曹だの将校だのが「ニッポンカラテマン」の顔を見にやってくるという騒ぎとなった。その中に空手経験者が二、三人いたが、実物の日本人を見るのは初めてだ、ぜひ、デモンストレーションして欲しい、できるならコーチしてもらいたい、とまで言う。

 考えてみれば、百五十を教えるソ連諸民族の中でも、マッチョな気質という点にかけてはグルジア人は一、二を争う。格闘技も盛んな土地柄であり、日本空手にはよほどの関心があるのだろう。むろんのこと、私は空手家ではない。アマチュアとしてわずかにたしなんだだけで、屈強なグルジアの軍相手のコーチなどおこがましい。だが、ここは「謙譲の美徳」は忘れることにして、思い切り胸を張ってみることにした。

 

――よろしい。コーチでも何でも引き受けよう。そのかわり、きちんとシグア氏にとりついでもらいたい。

 

「わかった。少し持っていてくれ」

百九十センチはあろうかという大男の将校がそう請け合った。嘘のような話だが、それから十分もしないうちに私達は基地内に入ることを許された。それまでニ時間近くも放置されていたというのに、である。

 

 こうしてシグア元首相との、三時間におよぶインタピューが実現した、その代償として、約束通り私は取材後に体育館に連れて行かれ、「コーチ」どころか、スパーリングまでさせられるはめになったがその顛末は省く。どうにか切り抜けて、五体無事で帰ることができた、とだけ記しておく。

「あらかじめ裏切られた革命」第五章グルジア篇 

あらかじめ裏切られた革命 (講談社文庫)

あらかじめ裏切られた革命 (講談社文庫)

著者の岩上安身氏(今ではtwitterでも有名人ですね)に幸いだったのは、彼は組みも関節も体系にある大道塾で、第二回UFCにも参戦した某空手家ともスパーをするぐらいのリアル・ディールだったこと。

この顛末は略さず、もう少し詳しく書いてほしかったな。


これは自分がまとめたやつ。ツイート主はライター

OGAWA Kandai氏が見た、旅した−中東の人と社会 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/663466 @togetter_jpさんから

爆笑!苦笑! 中東における日本イメージ

OGAWA Kandai @grossherzigkeit 2014-04-26 04:19:48

誰が持ち込んだのか中東某国でヨサコイソーランが踊られてて、若者が「日本の伝統芸能」と喜んでるという話を聞き、言葉がないです。

 

さすがに中東まで来ると、ニンジャの実在を固く信じている自称・知日親日派がいて、「いや、昔からああいうのはいないんですよ」「ウソだ! サムライ・ショーグン・ガバメントに虐殺されて姿を隠していると聞いた!」なんてガチな論争に発展して困る。

  

中東某国では、アラビア語なんか分からなくても、ヤクザニンジャ、ショーグンとか言ってれば重んじられるのではないかと思われてくるくらい、これらのことのファンが多い。突然「ハットリハンゾウ!」「オヤブン!」なんて単語で話しかけられるほどの状況てす。

 

ジャパン、ヤクーザ!」と話しかけられて、にこやかに山口組直参組長の話題を教えてあげたり、「ニンジャニンジャ!」と言われて「ニンジャキリング・テクニーク!」と立ち関節技を極めてあげることのできる人だけが「あそこは親日国」とか言いなさい、と思う中東某国の昼下がりです。

 

というわけで、行く先々で仁義を切ったり、人を柔道技で締め上げたりしてる当方は、中東某国で大人気で歓待されております。

自分は世代的に、「よさこいソーラン」なんてとても気恥ずかしく、また技術的にも躍れないが、海外でウケるとなればそれはそれでくーるじゃぱん。若い世代にはひとさし舞っていただくのもいいかも。自分もならうかねえ。そしてヤクザ人気ですか。P○○DEも、アメリカでなく中東に進出していれば……


おして極め付きが沢木耕太郎深夜特急」のタイ編。

今手元に実物がなく、本文を引用できないので誰かのブログにないかなー、と検索したら、2005年の自分の記事があった(笑)。その日の記事の下に、池内恵氏の「時流自論」という朝日連載記事を紹介していたのも因縁。しかし9年前か…

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20051219

深夜特急」の旅の途中タイ国で(ガキ相手に)柔道技を披露して遊んでいたら「うちの兄ちゃん連れてきたー。闘って闘って!」といわれ、あやうく柔道vsムエタイ(プロ)との異種格闘技戦が勃発しかけたこともある(爆笑)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール (新潮文庫)

深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール (新潮文庫)

別のブログでもこの紹介記事があったす

http://blog.livedoor.jp/oceanslowwalker1/archives/2005-04.html

この本を読んで驚いたのは、沢木氏がおいらと同じような経験を

していたことだ・・・。

“続 西海岸の思い出を語っちゃおうかな!”に書いた、

おいらが空手先生をやるはめになってしまった事件と

同じような経験を沢木氏もしていた。それも2回も・・・。

1回目はタイで、柔道ができると口走ったあまりに、

キックボクサーと対戦させられそうになっている・・・。

氏は、“柔道は私闘を禁じられている”と言って

このヤバイ事態から逃れている。

これっておいらの経験とよく似ている。

言い逃れの方法もほぼ一緒だ!

すごく親近感を覚えた。

2回目はイタリア空手を披露する羽目に陥りかけたが、

1回目の経験を踏まえて“空手は知らない”と言って逃げ切っている。

これが正しい逃げ方だろう。(笑)


外国シロートたちを騙し…いや、喜ばせてあげる程度の「武術のマネ」は身につけていると便利

UFCやグレイシー柔術のせいでいろいろと世界に広まってしまって困る関節技やその他の技術体系だが、なんのなんの、やっぱりマイナーカルチャーだ。

やや複雑な(そのほうが喜ばれる)腕絡みやら腕十字、のたぐいは教えると喜ばれるのは事実です。そのへんは微妙に経験がある。

そして型でも披露出来れば、なおよし。

退屈な先方の日常に、ささやかなりとも興奮や興趣を書きたてることが出来たら、それはいいことではないか。

池内ブログでもこう書かれている。

中東だけでなく、パリ中東移民の子孫と思しき少年などからも大喜びで「アチョー」のポーズされました。皆さんもパリとかで歩いていて遠くの方からちょっとエキゾチックでかわいい男の子が目ざとく見つけてポーズ取ってきたら微笑んでやってください。

(略)

ただ、こういった日本人の印象も、時代の変化と共にだんだんなくなっていくんだろうねえ。アラブ人の子供がアチョーをやらなくなったらそれはそれで寂しいような気もする。

そして「時代劇や黒澤映画のような振る舞い」をマスターしつつ、あとは「私闘は禁じられている」とか「武は喧嘩の技でなく、己の心に克つことだ」的な文章を、英語で言えるようにしておかなきゃならんね(笑)

これなんかは参考になる。

■「武の世界」とは何か?を端的に描く漫画アグネス仮面・天地拳編」。ヒクソンLYOTOも超えて  http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090905/p2

f:id:gryphon:20090905044635j:image

f:id:gryphon:20090905044627j:image




かつての「傭兵ブーム」の話

武道の話と一部重なり、一部は別物だけど、1980年代の半ばには間違いなく「傭兵ブーム」「外人部隊ブーム」がありました。

映画ランボーシリーズの大ヒット、「エリア88」、「パイナップルARMY」が人気漫画になったこと、少年サンデーでもボクシング漫画だった石渡治B・B」が途中に「傭兵編」が入ったりね。

[asin:B00HEB8CVC:detail] [asin:4091929036:detail]

MASTERキートン1988年開始だから、もろこの潮流に乗っかって誕生したわけか。えーと「パイナップルARMY」が1985年から1988年まで連載。つまり間をおかずに「傭兵ものはウケる!!次の連載だ!!」となったぐらいのブームだったのですよ。この間、作者の浦沢直樹は毎週連載で「YAWARA!」を大ヒットさせてたわけだからすげーし、そもそもその2作を並行連載しているところがあっぱれですね。

MASTER KEATON完全版 11―MASTERキートン (ビッグコミックススペシャル)

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そこらへんの元ネタとしても活用されたのが

[asin:408749005X:detail]

であって、今の視点で見れば作者がノビー落合であり、すなわち事実関係はそういうものでありつつも(笑)、本単体としては確かに作者の出世作に成りえたであろう面白さを備えている。

そこで準備されたがゆえに柘植久慶、毛利元貞氏らも当時から90年代にかけて、おおきな活躍の場を得られたのだろう。

古い本を探すとこんな感じか。

[asin:4562016981:detail] [asin:4890630368:detail]

池内氏が自分の文章で話のとっかかりにしていた記事はこちら

戦いたい!海外の戦場へ向かう日本人たちの系譜 http://goo.gl/UbxkwK @JBpressさんから

日本人傭兵やら義勇兵は切れ目なくいたし、そういう人はかなりの割合で手記を残す(笑)。いや母数がわからないからどれぐらいの比率かは分からないけど、絶対数的にはかなりのものだ。それらを紹介し、一覧的にまとめて傾向を分析する記事があればいいと思うが、私以上の適任者はごろごろしていると思うのでそういう人に期待したい。(自分は上以外はよくしらんのよ)

そして今はインターネットの発達で、そこにまぶし放題、盛り放題だったニセの武勇伝や経歴些少は、やっぱり難しくなった。宝島30や噂の真相での追及程度に留まった時代とは違うのだ(笑)大山、堀辺、柘植落合などがいた70-80年代ノスタルジックな「ホラの時代」へのなつかしき憧憬はあるものの、とりあえず、今の傭兵外人部隊手記はリアリティをそれなりに高めているようではある。そもそも、全員が全員ホラをふきたがるわけじゃないだろうしね。

 

 

そういえばイスラーム国参戦志願、の記事ブクマ

http://b.hatena.ne.jp/entry/chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-206.html

id:toronei

筒井康隆とか「気分はもう戦争」みたいな感じだよね。

ともありました。

筒井氏の「歌と饒舌の戦記」は1986-87年の作品。

歌と饒舌の戦記

歌と饒舌の戦記

http://www.varicon2012.jp/taizen.php?no=08

『歌と饒舌の戦記』は、『文学界』に一九八六−一九八七に掲載された「純文学」作品である。とはいえ、内容としては、一九八〇年代に大流行していた「戦記もの」「戦記シミュレーション」のパロディである。

(略)

 北海道ソ連が占領し、そして日本側はゲリラとなって闘うという設定のこの「架空戦記」は異様と言うしかない。まず戦争が始まる動機は「面白そう」だからである。ソ連アメリカの両トップが会談で「面白いことするの今のうちかもしれなよね」「攻めこんでみるか。驚くだろうなあ。面白えなあ。ふふふふふ」という、両者の「メリット」を度外視した「面白いから」という理由で戦争が始まる。

(略)

 そしてそれに応じるゲリラの側も、決して「愛国心」などをベースにしているわけではない。サバイバルゲームマニアたちが、実弾サバイバルゲームをやろうとしていたところ、たまたま戦争が始まったので、面白そうだから参加するだけである。



気分はもう戦争」は1982年初版が出たそうだから、かなり早いほうか。

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

いまも版を重ねているのかな?みたいだね。

そういえば

「いいかよく聞きゃあれ! 俺は好きこのんで戦争しているんだ あんたらと一緒にしねェでくれ!」

「あれも戦争 これも戦争 どこで死ぬかぐれーは手前の趣味を通してェ!」

といったセリフは、(今も多少はそうだが)当時は「とんでもないタブー破りの衝撃的な言葉」という意味合いもあったらしく、これを論じた文章を色々読んだ気がする。たぶん自分は、一昔前のこの作品を、そういう論評を通じて実際に読んでみようと思ったんである。

f:id:gryphon:20141019044308j:image


その戦争に「大義」があったなら、参戦日本人は英雄か?

さきほどの記事 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41990 にはこういう一節がある。

 2011年秋頃から本格化したシリア内戦は、そうした義勇兵志願者にとっては、久々に登場した「場」である。反政府軍各派は外国人義勇兵積極的に受け入れているし、邪悪な独裁政権と戦うという大義もある

こうしたゲリラ義勇兵系の日本人は、これまでの系譜を見ると、多くは反共民族闘争に参加している。その動機は一概には言えないものの、「戦いたい」「極限状態で自分の力を試したい」との熱意とともに、明確に政治的スタンスがあるように見える。元自衛官も多いが、そうでない人もいる。

シリアを長く支配してきたアサド体制の二代目バッシャール・アサドの統治が残虐なものであることは疑いないところだろう。

(もっとも田岡俊次氏は最新の「東洋経済」でアサド体制弁護の長文記事を書いている。賛同はし難いが興味深いので一読あれ。ネットでも読める氏の過去記事でもシリア好意的 http://diamond.jp/articles/-/41227 )


戦争はよくない、は戦後テーゼだが、それでもキューバ革命に「好き好んで」参加したゲバラ戦争や、スペイン市民戦争義勇軍は賞賛されている。色川大吉氏など、ずっと平和運動に参加していたが「スペイン内戦日本人が1人しか義勇軍に参加しなかったのは残念だった」とか公言していた。

辺見庸氏「自分も元気だったら、パレスチナ義勇兵になっていたかも」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140808/p2

「・・・パレスチナ国際義勇軍の編成が呼びかけられたかもしれない。元気だったらわたしもパレスチナ入りをめざしたかもしれない。サルトルも国際義勇軍に賛成しただろう。オーウェルはそれに参加しただろう。」

http://yo-hemmi.net/article/402883885.html

だからおいら、最初に「イスラム国参戦志望の日本人が…」という報道が出た時、こうブクマしたねん。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASGB66614GB6UTIL062.html

辺見庸氏のコメントをとってくれ。

だが、実際の話として、いま、鋭意奴隷制度復活中のイスラーム国である。

いわゆる「イスラム国」が、ヤジディ教徒を奴隷化人身売買していることを、自分たちの媒体で認めている。 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2141340157349162801

今回はそのISに日本人が参加しようとしたから騒動となったが、「少数派宗教信徒奴隷にしようとするISは許せない。俺は奴隷状態の彼らを助けるため、イスラム国と闘う。そのために身を投じた」という人が仮に出てきたらどうなるだろうか。法としては当然それも私戦なんたら罪になるだろうが、道義的な評価はどうあるべきか…これは。

まあ、まだ幸いにもIF話である。もし本当のことになったらあらためて辺見庸氏にだな…。



まとめ 「仮に日本が幸いにも平和が続くなら、一定数の割合で海外に戦争しにいく人はいるだろう」と。

これは戦後教育社会の不平等やら平和憲法占領憲法)やらの話とは別に、どうも「常に一定数いる」のがある意味自然”なんじゃなかろうか。突然変異はかならず一定数発生するものであり、突然変異がひとつも出ません、じゃ逆にそれこそが超常現象なわけで。

そういう日本人が「空手柔道」などを媒介にして、各国の軍事組織に参加しやすくなるというのは偶然のたまものではあるが(笑)、とにかく、こういうところには「何人かは日本人も加わっているもんだ」という、そういう前提で情報に接することも必要なんでしょうかね。




おしまい

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