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ミラガシ 作者:哉木 幽

番外編

化け物と少女

( 哉木)もおだてりゃ木に登る。

出会いのお話です。
 美しい化け物は嘆く。

――あぁ、なんて煩わしい世界だろう。それでいてとてもつまらない。あぁ、つまらない、つまらない。

 頬杖をつきながら、化け物は眼下の村を見下ろした。篝火がそこかしこで灯され、着飾った人々が楽しげに舞っている。

 それを見て化け物はくつりと笑った。

――よくもまぁ楽しそうなことだ。苛立たしい。

 表情と感情が一致しないそれは、彼にとって今はもう当たり前のことだった。全て欺き、壊し、陥れる化け物の性が自然と彼をちぐはぐなモノへと変えていたからだ。

 そうして彼はいつか昔に同じ化け物に言われた事を思い出す。

『長い時をかけて、きっとその差異がひどく恐ろしく感じるようになるだろう。そうしてお前は狂うのだ』

 自嘲と同情を含んだ声で紡がれた言葉。

 嫌な言葉だ、と彼は眉を寄せて毒づいた。それを思い出す度に苛立ちと黒いぐつぐつとしたものが沸き上がるのである。

 けれども同時にその言葉に救われていることも事実であった。
 かの化け物がどういう心境でそれを吐いたのか知ることはないが、割と彼にはどうでもいいことだった。どちらにしろそれは腹立たしい内容であったし、随分昔に自ら滅せられた愚か者の事など考えたくもなかった。

――あぁ、苛々する。

 化け物の苛立ちに比例するように、周りに黒い妖気が充満していく。それに触れた木々は養分を吸い取られたかのように次々と枯れていった。

――壊してしまおうか。

 兎に角この苛々した感情を発散したかった。
 それが楽しげなものを壊すことに繋がったとして、自分には関係のないことだ。せいぜい脆弱ななりに足掻けばいいと、化け物は微笑んだ。

 幸せそうに笑い、怒り、悲しむ……くだらないちっぽけな命を壊すことが楽しいわけではない。その行動に意味を見出しているわけではない。ただ、苛立ちを向けるところが偶々そこであっただけの話。
 理不尽極まりないことだけれども、それをまかり通してしまうのが、化け物だった。

 そして化け物は周囲を見渡し、どこから手をつけるか見定める。
 子供? 大人? 女、男、老人。それとも全て一瞬で葬りさってやろうか。そう考えているうちに、楽しくもないのに口元が勝手に釣りあがる。

――あぁ、それとも私は心の水底では楽しんでいるのだろうか。

 そもそもこの二面性は、心を欺く化け物の性が、己の心さえも偽った結果なのか。そう考えるとどうしようもなくやるせない気分になる。

――否、どうだっていいのだ。何も考えず私は化け物の性に従って殺し壊せばいい。

 どちらにせよ、この行為に嫌悪を抱いているわけではないのだから。そう考え、化け物はその白い腕を持ち上げる。
 そして全て一瞬で葬る為に妖気を込めたとき。

 ふと、村の奥にある山に目が止まった。

 祭りの熱気と無関係な、山の上には静かな屋敷があった。ぽつんと建っている様子は不気味なものさえ感じさせる。

 俗世と隔離されたそこは、妖退治を生業とする神代家の屋敷であった。聞くのも忌まわしいその家系は、こんな辺鄙な村に存在していたのか。

 破壊の対象を村からその屋敷に変えるために、立ち上がった時別のものが目に入った。角度の問題か、その屋敷と大分離れた場所に小さな家が建っていた。

 それを認識した途端、よく分からない感情が化け物を支配した。恐れ? 喜び? 悲しみ? 怒り? そのどれともつかない複雑に絡まった思いが心の中で吹き荒れる。

 そこに何かがある。そう何かとても重要なモノが。

 突然の感情にらしくもなく戸惑いを抱えながら化け物は一歩を踏み出した。

 突如上から降ってきた、全身が黒い人物に周囲の村人たちは怪訝な目を向ける。しかし化け物には既にあの屋敷しか目に入っていなかった。

 半ば確信のこもった感覚に従って、彼はその建物へと跳ぶ。山へ入った時に結界に引っかかったのか、僅かな痛みが走った。けれども気にせず先へと進む。

 無心で木々を抜けて、暫くすると開けた場所に出た。そうして村から見えたその建物の前へと着き、地面に足を付ける。

 深い深い池に囲まれたその屋敷は、さながら鳥かごのようで。一層大きくなった何かの気配に近づくように、一歩一歩、池の上を歩く。

 その先に目に入った存在に化け物は目を見張った。そして感情の正体にようやっと気が付く。

 快い、そう。これは快いという感情だ。久しく感じていなかった、安心と安寧を示す感情。


『せめて神子がいればな』

 かつて自分に余計な事を言ってきた奴の言葉が、反芻される。

「――神子」

 黒い髪と瞳を持つ、脆弱な人間。

 辿り着いたのは、小さな少女だった。



 本当にこの世のものなのかと、信じられないほどの美貌を備えた少女。彼女は縁側に座っていた。急に目の前に現れた化け物に驚くこともなく、じっとその黒い瞳を彼に向ける。

「きれいな人」

 たどたどしい口調は年齢相応だ。けれども纏う雰囲気が常人のそれとは異なっていた。世界を拒否するような刺々しい雰囲気。
 全てを飲み込んでしまいそうな闇を抱えた目に、彼は言葉を紡げないでいた。

「ここにきてはいけないよ」

 凛とした声が言葉を紡ぐ。

「父さんに、怒られてしまうわ」

 誰なのか、なんてことは聞かずにそれだけを伝える少女。それは彼女が化け物に対して、欠片も興味を持っていないことを示していた。
 けれども父さん、の部分だけがひどく色落ちた言葉に、少なくとも『父さん』よりは興味を持たれているようだ、と化け物は感じた。

「ねぇ、きいてる?」

 ずっと口を噤んでいる化け物に、少女は怪訝そうな表情を浮かべて、首をかしげた。

「……えぇ、聞いていますよ」

 やっとのことで口を開いた化け物に、少女はおかしそうに笑う。

「そっか」

 先程までの雰囲気を覆すような、朗らかな笑みだった。そうして少女は目線を池に落とすと、その足でちゃぷちゃぷと水をはじく。

「何故、このような場所にいるのです?」
「……わたしが忌子だから」
「独りなのですか」
「……そうよ」

 会話をしているにもかかわらず、少女の視線はずっと池へと向かっていた。ちゃぷちゃぷと水音が響く。

 なんてことはない。なんてことはない、ただの人間。それなのに、どうしてか化け物にはこの少女が特別な者に思えて仕方なかった。

「…………貴女の、名を教えてくださいますか」

 そう化け物が問うと、少女は顔をあげ、少し思案してから呟く。

「わたし、は……たぶん、すずらん」

 多分、という言葉に化け物は引っかかりを覚えた。それは、少女がまともに名を呼ばれたこともないという証明だろう。

「……すずらん」

 化け物が呼ぶと、少女はぱちりと瞬きをした。そうして何かを言おうとして、けれどもそれを音にすることなく口を閉じた。

「あなたは?」
「私は、私には名はありません」
「そうなの」

 聞いておいて欠片も興味の無さそうな返答に、化け物は笑みを漏らす。そんな彼を見て少女はふと思いついたかのように手を叩いた。

「……ほしい? なまえ」

 余りに魅惑的な、提案。
 思わず唾を飲み込む。けれども化け物はそれに頷かなかった。

「……いいえ、特には」
「そう、じゃあつけてあげるわ」
「…………」

 まるで化け物の意思など完璧に無視している。物言いたげな視線を向けるも、少女は楽しげに思案している途中だった。


□■□


「そうだ、あなたのなまえ……――にしましょう?」

 くすくすと笑いながら告げられたそれに、化け物は目を伏せる。あぁ、とため息がこぼれた。

「――ですか」
「ええ」

 名付け、それは主従関係を結ぶ一種の儀式だ。
 それをこの少女は知ってか知らずか、現在最も強き化け物と交わしたのだ。

 不思議と半ば強引に名付けられたことに、苛立ちは感じなかった。ただあるのは、胸を焼く喜びのみ。

 脆弱なる人間などと契約を結ぶ、ましてやその下につくなど冗談ではないと思っていた筈だ。けれども、この娘にならば傅いてもいいか、という不可解な気分が心中にあった。


「あら、いやだった?」

 首をかしげて、けれども気に入らないなんてことはないでしょう? とでも言いたげに笑う少女。化け物は再び笑みを漏らした。

「……いえ、良き名です。ありがとうございます」

 そうして、化け物は少女の前に跪く。

――この行為の意味を知らないならば、それはそれでいい。

「――お嬢様」

――私などというモノに名を与えてしまった可哀想で、奇っ怪な貴女に。

「誠心誠意仕えさせていただきましょう」




 そしてその日、化け物は愛する主と『霞月』という名を手に入れた。

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