玖
次で最終話です。
一瞬のことだ。
霞月が腕を振るった先にいた者たちは、皆一様に満身創痍となって地にひれ伏した。たった、腕のひと振りで。
これで取り囲んでいた者たちの半分はいなくなり、視界が開ける。
「な、ん……だと?」
真正面にいたはずの父は、彼の妖に庇われたのか浅い傷だけであった。そしてその顔を驚愕で彩っている。
「私は」
霞月が口を開く。その場にいる者は皆黙り込んで、彼の言葉を逃さぬように耳をそばだてた。
「私は、今、はらわたが煮えくり返っているのです」
ゆらり、と霞月の身体の輪郭が揺らめく。
それは妖独特の現象だった。
可視化出来るほどの膨大で濃密な妖気が、立ちのぼる。それが彼が妖であることを如実に表していた。
しかし、可視化できるほどの妖力など、聞いたことがない。
「大事な大事な、お嬢様を、お前達のような下賤な者共に傷付けられて、とても……憤ろしい」
――えぇ、それはもう今すぐにでも皆殺しにしたい程に。
冷たい冷たい、冷えきった声が言葉を紡ぐ。彼は、うすら笑いを浮かべていた。
「鈴蘭の全ては私のものです。彼女を愛すことも、彼女を傷付けることも、不安を植え付けることも、全て私でなければならない」
「す、ずらんは私の娘だ……!」
けれども何を思ったのか、圧倒的な力の顕現である霞月に、父は何かを言い募る。
娘。そう、娘と言ったのか。今まで碌に顔を合わせたこともないのに。それどころかその全てて汚物を見るような目を向けてきたあなたが、娘だと。
「どう扱おうと我らの」
「黙れ」
低く落とされた声が父の言葉を切って捨てる。何時の間にか青い焔がゆらり、ゆらりと彼の周りを漂っていた。
「勘違いをするなよ。余地を与えられているのはお前達だ」
恐ろしい。ただそれだけが私を支配した。生物の本能が、それが触れてはならないものだと訴えかける。その殺気が自分へと向けられているものではないと分かっていても、身体の震えが止まらない。止められない。
「鈴蘭を手の内に落とすことができたのだ。お前達はもう用済み……お望みなら直ぐにでも殺してやるぞ?」
彼の妖力が一点に集中する。その行動が、本気だと、表していた。
「……ひぃ……っ」
誰のものとも分からない悲鳴が響く。
この場の全てのものが恐れていた。この、たった一人の妖を。
「まぁ、望むと望まないとに関わらず……そこの愚かな娘は殺してやるが」
彼は、その赤い瞳を椛の方へと向ける。
今まで蘇生していたのか、彼女の肩と腕は繋がっていた。
「霞月……?」
困惑したような椛の声。
「な、あたしを殺す……? なんの冗談……」
「冗談ではない」
彼女の言葉を遮ると、霞月は彼女の方へと歩み始める。
「あ、あたしが何したって言うのよ……! そいつより何もかもが勝ってるあたしが、そいつから搾取するのは当たり前でしょ!」
「優っている?」
「そうよ! あたしは力も、頭脳も、美貌も! その出来損ないよりも優ってるわ!」
優越感を隠そうともせず言った彼女に、霞月は殺気を滲ませた。
「私には全く逆に見えるが」
直接殺気をぶつけられて、椛はがたがたと震え出す。気丈に振舞ってはいるけれど、その姿は痛ましいとしか言いようがなかった。
「お前が鈴蘭に優っているものなど何一つないだろう。敢えて言えばその過剰なまでの自信か」
嘲笑を浮かべた彼は、周りを浮かぶ青焔を椛へと差し向ける。しかし、その間へと早蕨が体を割り込ませた。
それでも、止まらない焔がその身体を包もうとした時。
「か、げつ」
その場に落ちたのは誰の声なのか。ひどく掠れているそれに、霞月は妖気を幾分か霧散させた。
そして。
「どうかしましたか、鈴蘭」
彼は私に問いかけた。先程とはまるで変わった優しい声で。どうやら先程の声は私自身だったらしい。
「そんなに震えて」
いつものように、ゆったりとこちらへ歩みくる霞月。なくなった殺気に、恐怖も鳴りを潜めるのが分かる。地に座り込んでいる私と目を合わせるように、彼はしゃがんだ。
縋るように彼の着物を掴めば、彼は私の手を取る。やはりその動作は恭しくて。
「…………ねがい……お願い、やめて。もう、こんなこと」
必死に言い募れば、霞月は困った風な顔をして、首を傾げた。
「庇うのですか……? あなたをずっと虐げてきた者たちを」
その言葉に私は首を振る。違う、違うのだ。
確かに彼らは私を快く思ってなどいないし、何より私も彼らが嫌いだ。憎たらしく感じるし、庇ってなどもいない。むしろ死んでくれとさえ思う。それでも。
「もう、いいの…………」
彼らが居なければ、この世界の平和は崩れてしまうのだ。いくら歪んでいようとも、この神代家があるから人間は妖と対等に生きて行ける。
それなのに、彼らという抑制が、秩序が無くなることで、何の関係もない人々が危険に晒されてしまうのだ。
私のそんな心を察したのかそうでないのか、霞月はすっと目を細める。
「分かりました。いいでしょう……殺すのはやめてさし上げます」
そう言うと霞月は私を抱き上げた。横抱きにされたからか、その距離はとても近い。
ちらりと父を見やれば、彼は憎々しげに私達を睨み付けていた。ここまで圧倒されたというのに睨みつけてくるその気概は、目を見張るものがある。否、ただの愚鈍なのかもしれないが。
分家の者たちは、反対に霞月の力に圧倒されて、口を開くどころか大半が項垂れ腰を抜かしている。
しかし、霞月はもう興味の欠片もないとばかりに、それらを視界に入れることはなかった。
「出ますよ、鈴蘭」
「……えぇ」
言葉に違うことなく、霞月はそのまま私を抱えその場を立ち去る。
「気が付かなかった」
何処かに運ばれながら、私はそう霞月に話しかけた。しかし、目を合わせることは出来ず、私の視線はさ迷う。
「隠していましたから」
「…………そう」
彼が妖だと。誰も気が付かなかった。最も近くにいた私でさえも。
妖退治を生業とする一族の本家。その中にいたというのに、誰にも気取られることなく数年を過ごしていたというのだ。きっと彼の力はそれだけ強いのだろう。
しかし、躊躇わずに生物を殺すことが出来る、残虐性があるというのに、何故か今は彼自身に対する恐怖はなかった。
視界の端に白い髪が映る。
「ねぇ、どうして……お前みたいな妖が、出来損ないの私なんかに傅いていたの」
顔を上げて問えば彼の赤い目と視線がかち合う。もしかして、ずっと私を見ていたのだろうか。いや、まさかそんなはずはないだろう。
「貴女に取り入る為ですよ」
明け透けに言い放った彼に、私は首を傾げた。
私に取り入ったところで利益など出ないだろう。それは全く無駄な行為だ。しかし、そういう意味ではなかったらしい。
「隙を探していたのです。あわよくば、貴女を――篭絡しようと考えて」
「……私が七歳の時から?」
「歳など私達には関係ありませんよ」
くすりと彼は笑みを漏らす。そうして私にその唇を落とした。
「まぁ、思惑通り貴女を手にすることが出来たわけですが」
満足そうに彼は笑い、頬に手が寄せられる。
気のせいかその目には情欲が宿っている気がした。
「――それは、どういう意味で?」
奴隷や下僕として? それとも。
「態とらしいですね。分かっているくせに」
彼はそう漏らすと、私の唇に同じく彼のそれを触れ合わせた。思いの外それは柔らかくて心地良い。
「お願い、への代価は頂きますからね」
囁かれた言葉に、私はもうどうにでもなれ、と半ば思考を放棄して頷いたのであった。
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