陸
「――最終演目、決闘の儀。演者は前に」
しんとした会場。
私は重い腰を持ち上げると、ゆっくりと会場へと降り始めた。
そこに立てば、既にそこにいた椛がにぃ、と笑う。
「真っ青」
哀れなものを見るような目で見られても、私は何も反応できなかった。既に神経がすり減らさらていたからだ。
「霞月、ずっといないねぇ?」
「…………」
「かわいそーに。捨てられちゃった?」
「…………」
にやにやと笑みを浮かべて私の心を抉る椛。
そんなこと分かっている。分かりきっていることだ。霞月がこの場にいないのが何よりの証拠なのだ。
目を伏せて何も言わない私に、彼女はすっと目を細める。
「つまんないのー。ねぇ、早蕨どう思う? あたしのおねーさま」
椛が斜め後ろに控えている、妖に問いかける。確かかなり高位の妖、だったか。
彼は私をじっと見つめてから、やはり他の者と同じように、侮蔑的な視線を向けてくる。
「…………一幕の娘もそうだったけどさぁ、こんな弱いモノに生きる価値なんてあるの? てかほんとに血繋がってんの椛様」
心底不思議だ、とでもいうようにして言われた言葉にぐ、と消え去っていたはずの激情が込み上げる。
「そぉよ、残念ながら」
いつものように髪をいじりながら会話を続ける椛。演目は始まっている筈なのに、何も行動を起こさない私たちに、席からはざわめきがもれていた。
「それにしても、霞月ってそんなにイイモノなの?」
「え? あぁ、そりゃあ……イイってもんじゃないわよ。あれは――」
くるり、くるりと髪をいじる椛。その手を止めて私を射抜く。
「――全て極上、よ」
「…………へぇ」
早蕨の目がさも面白そうに歪められる。
「だからねぇ……こいつには勿体ないからあたしがもらってあげようと思って」
優越感を隠そうともしない表情。
ふつふつと腹のあたりから沸き上がる、どろどろとしたその感覚に手を握り締めた。けれどもそれを抑え切ることはできなくて。
「…………ふざけんな」
思わずそんな言葉が口からこぼれ出る。
はっとするも、時はすでに遅しであった。
「…………は?」
聞いたこともない、椛の限りなく落とされた声が、耳朶に届いた。
「お前になどくれてやるものか」
睨みつけて、そう詰れば、怒り、を顔いっぱいに浮かべた椛が視界に入る。
次の瞬間には腹に凄まじい衝撃が走った。
いきが、とまる。
衝撃に耐えきれなかった身体は壁に打ち付けられ、口から血がこぼれた。
「う、ぐ…………っ」
肺から無理やり空気が吐き出されて、苦しくて嫌でも呻き声が漏れた。
「なぁに調子に乗ってんの?」
くすくすと笑みを漏らしながら、椛は言う。彼女は私の傍まで歩み来ると、その下駄を履いた足で私の腹を踏みつけた。
「あんたごときが? あたしをお前? くれてやるものか?」
ぐりぐりと抉られて痛みが走る。
あぁ、彼女を怒らせてしまった。
「あたしがもらって、やるんだよ。勘違いすんな、屑が」
腹を蹴られただけなのに、既に掠み始めた視界で彼女を捉える。血を吐かせただけでは満足できないであろう彼女は、にぃ、と笑った。
「――取り敢えず、腕一本いっとこーか?」
椛の言葉にぞわり、と肌が泡立つ。
「早蕨」
「あいよ」
椛に応じ、爪を巨大化させた早蕨に、私の心臓は激しく鼓動し始める。
嫌、いやだ、やめて。
口の中がからからと乾く。
人一人分ほどの大きさになった爪はきっと容易く私の腕を切り裂いてしまうのだろう。
「…………っ」
立ち上がろうとするけれども、力が入ることはなかった。眦から、何か熱いものが溢れる。それが涙だと認識することに然程時間はかからなかった。
そうして、私に迫る、鋭い爪。
どうしたって逃れられないのならば、と。
私は目を閉じた。
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