肆
「無様ですね、お嬢様」
くつりと笑みを漏らした霞月に、私は何も言わず、ただ無言を返した。
言い返すだけの気力も、睨むだけの威勢も私には残っていないのだ。
そうすると何を思ったのか、霞月は私の長い前髪を払った。霞月の膝に寝転がっているので、霞月の体温の低さが直に伝わる。
霞月はその上半身を屈めると、私の瞼に唇を落とした。
やはりぞわりとしたものがこみ上げてきて、私は瞼を押さえた。
「素直に言えばいいのですよ、私は鈴蘭様のモノだと」
そんなこと言えるはずがないではないか、と心の中で愚痴る。それに、彼自身そんなこと一欠片でさえも思っていないくせに。
髪を梳くひんやりとした霞月の指が心地よくて目を閉じる。
「お前は私のものじゃないわ」
「要らない意地ですね」
「意地じゃないわ」
そうだ。私のものなど何一つ無いのだ。
忌子の私は何一つ望んではいけないのだ。
それに、彼女に逆らうことも許されない。
椛に楯突くことは父に背くことと同義だ。実際見たことはないが、神代の歴史の中でも稀な才能を持ち美しい椛を、父はそれは大層可愛がっているらしい。
それに対して殆どないものと扱われている私。
そんな私が愛されている彼女に楯突けばどうなるかなど目に見えていた。
悔しくないと言えば、きっと嘘になるだろう。私は彼女が羨ましくて仕方がない。
「――ならば」
感情を削ぎ落とした霞月をじっと見つめる。
「貴女が私のものとなればいいのです」
彼の目はいつにも増して黒く黒く深淵のようだった。それがとても恐ろしくて、彼の目を手で覆う。
「……馬鹿なことを言うものじゃないわ」
それよりも。
「どうして私が歌詠みの儀に参加することになると、知っていたの」
そう問えば、霞月はかざしていた私の手を取ると彼の長い指と絡めた。まるで、恋人同士のように。
「知ってなど、いませんでしたよ」
「…………本当に?」
「ええ。ただ、予感が、しただけです」
そう言って笑う霞月。月明かりのせいか、その微笑みは酷く妖しく見えた。
私の世話を全てこなし、荒れていた庭を庭師顔負けな程に手入れし、時折忍び込む下位の妖をあっさりと屠り続けてきた美麗な青年。
なぜ彼のような完璧な人間が私なんかについているのか、よく分からない。それこそ父は彼の有能さを知らないのだろうか。
あぁ、そういえばこの男はいつから私の側に侍るようになったのだっけ。
いくつだったか……多分七つの時だ、この青年が私の元に来たのは。今と少しも変わらない容姿であった気がする。そう思えば彼は一体いくつなのだろうか。年齢を測ろうとじっと見つめてみたけれどもやはり何もわからなかった。
考え事に夢中になっていた私に、霞月はふわりと笑む。
「鈴蘭」
お嬢様、でも様付けでもない、その呼び名。
「何度も言いますが」
するりと彼の指に顎が取られる。
「忘れてはいけませんよ」
「…………――――です」
首筋に、彼の唇が触れた。
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