参
自室でうつらうつらとしながら本を読んでいた昼過ぎ。
あいも変わらず閑散としていた離れで、珍しく人の足音が聞こえてきた。ばたばたと鳴らされている足音は酷く耳障りに感じる。
霞月は一切足音を立てないし、ここには私と霞月しかいない。なら誰がこの不愉快な足音をたてているのだろうか、と考え直ぐに思い至った人物に私はそっとため息をついた。
その直後に大きな音を立てて入ってきた彼女に、私は嫌々ながらも体を向ける。
「そんなに急いでどうかなさったのですか、椛さん」
そう問い掛ければ目の前で腕を組んで私を見下ろしている彼女――私の妹は不機嫌そうに眉を寄せた。
しかめっ面をしたいのは私の方なのだけれど、と毒づきたくなるのを堪えて控えめに微笑む。
しかし何故彼女はここに入れたのだろうか。塀は登れないほど高いし、そもそもこの建物は池のど真ん中に建っている。その上門には見張りつきだ。……あぁ、なるほど。またこいつは門番を買収したのか。
「ねぇ、鈴蘭」
甘ったるい彼女の声が響いた。いきなり変わった彼女の態度を不思議に思い、ちらりと部屋の隅を見れば霞月がぴんと背筋を伸ばして正座していた。
きっと彼を意識してのことなのだろう。
「はい」
仕方なく付き合ってやると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「あたし、貴女に提案したいことがあって来たの」
◇◇◇
「…………は?」
椛の言葉に呆気にとられた私は、思わずそんな風に口を開いた。
何時もならば眉間に皺の一つでも作る彼女であっただろうけれど、そんなことはなくにっこりと笑みを浮かべ続けている。
「申し訳ありませんが、もう一度言っていただけますか……?」
そう言った私に彼女は先程と同じ内容を口にした。
「だーかーら、霞月をね、あたしに頂戴って言ったの」
にこにこにこ。尚も笑いながら言った彼女とは反対に私は血の気が引く、という事を正に実感していた。
霞月を、頂戴……?
「それは、どういう……」
「霞月をあたしの付き人にしたいの」
明らかに今までとは違う我が儘。柄にも無く動揺して口を開いては閉じる、といった仕草をしてしまった。
「ねぇ、いいでしょ?」
そう言いながら首を傾げた彼女の、唇に塗られた紅が光る。目先は明らかに霞月へと向かっていて。
「わた、しに……決定権はありませんから」
からからと乾いた口でそう言うと、彼女はうーん、と唸ってからぽん、と手を叩いた。
「じゃー勝手に貰っていって良いってことだよね! 鈴蘭のものはあたしのものだもの」
「え、でも……」
いつも私の物を持っていく彼女の常套句であった。でも、何故、どうして。
今更、霞月を欲しがるの。
今まで数年も見向きもしなかった癖に。
「なによぉー。出来損ないのくせに何かあたしに反論でもあんの?」
そこで目をすっと細めた彼女とその刺々しい雰囲気に、私は目を伏せる。口は固く引き結ばれて、言葉を発することができない。ぎゅっと手を握り締めても僅かに指先が震える。
何も、言えない。
言っては、ならない。
私は忌子で彼女は跡取り。
身分がこれほどまでに違う。
口答えなど許されない。
「……旦那様はご承知なのですか?」
しんとした空気に溶け込むように、霞月の声が響いた。どことなく、不機嫌なようにも聞こえるそれに、珍しさを感じる。
「……えぇ? パパぁ? 今パパは関係ないでしょぉ」
先程までの刺々しさを仕舞いこんで、また甘い声に戻った彼女はくるり、くるりとその綺麗に手入れされた髪をいじる。
「私は旦那様から、鈴蘭様に付けられている使用人ですので、勝手な行動は出来かねます」
「えぇー」
「それに私は見ての通り『凡人』ですから――」
霞月の言う『凡人』という言葉に私は目を見張った。彼のどこが凡人だとでもいうのだろうか。
やる事なす事を全て完璧にこなし、美貌と英知を兼ね備えているというのに。けれど、彼が本家には凡人、で通っていることに気付いて私は何も口を挟まなかった。
「貴女には全て最高のものを。そう考えていらっしゃる旦那様が、私を貴女に付けることを許すとは思えません」
「……そんなことないよぉ」
「どちらにせよ、私は鈴蘭様の下僕ですので、貴女に付くことは出来ません」
淡々と言い切った霞月。その言葉にじわり、と感じてはいけない筈の暖かいものが胸に広がった。
因みに話している間、彼の視線が椛に行くことはなかった。椛は不満げに頬を膨らませると、きっ、と私を睨みつける。
「……ふーん……じゃあさ」
目に暗い色の宿った彼女を見て思わず身がすくんでしまう。
言ってはなんだが、穢い、とそう思った。
「決闘の儀、しようよ」
びり、と空気が震えた。
「……明後日は丁度、歌詠みの儀」
にやり、と笑った彼女を見て思った。彼女は初めからこのつもりだったのだ。
ただでは手に入らないことを理解してそのうえで勝敗が覆ることのない勝負を仕掛けてきている。
力がすべての神代家。だからこそ、決闘の儀は何よりも重く、そして絶対的。
「いくらパパでも、決闘の儀で決められたことを覆すことは出来ない、そうでしょ」
「…………」
「あんたが賭けるのは霞月。あたしが賭けるのは、そうだね……あたしの妖を一匹あげる」
何て理不尽な賭けなのだろうか。
受けたくない。こんな勝負。
あんたなんかの使い捨ての妖なんていらない、そう言えれば。いいのに。
私には得など一つもない上に、勝機など万一にもない。どうすればいいのか私には検討も付かなかった。
ちらりと霞月を見遣るけれど、彼はじっと目を伏せこちらを見る気配はない。それはそうだ、口ではあんなことを言っていても、結局は身分の高い者に仕えたいに決まっている。
勝手に喜んだ自分が馬鹿に思えて、ふ、と自嘲の笑みをこぼした。
「…………分かり、ました」
決闘の儀、お受けします。
私の小さなはずの声がやけに大きく響いた気がした。
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