壱
初投稿です。よろしくおねがいします。
いつからだっただろう?
私の隣に、この男が侍り始めたのは――。
少し肌寒い風が吹き始めた紅葉の季節。閑散とした離れの庭では、鈴虫が鳴く声と共に、鹿威しの音が響いていた。
日はとっくに暮れ、僅かな燈籠と行燈の光に照らされたその場所は、妖しくとも幻想的な雰囲気を醸し出している。
そんないつもどおりの庭を前に、私は又、いつもどおり縁側に腰掛けていた。
少し手を伸ばせば直ぐにでも触れられる池は、 この離れを覆うようにして造られている。なので、 少し浅めに腰掛けていると、庭にはみ出る足先に水が触れるのだ。
私はその水に触れる感覚が好きで、時偶……と言わず毎日のように、この縁側からはしたなく足を突き出していた。
――ちゃぷん、と何度目か分からない水音が響く。
ちゃぷん、ちゃぷん……ちゃぷん。
水紋が広がる度に私の心臓から、指先に、足先に、頭の先に。何かが広がっていく。
「――――お嬢様」
足裏を水面にぴとりと付けていると、静かな静かな――何の感情も乗っていない声が耳朶に届いた。
もう何年も側で聞き続けてきた声だった。
振り返れば、ふわりと笑う絶世の美男子。
この数年間ずっと変わらない、ゆったりとした漆黒の着物を身に纏いながら、彼は私のもとへと一歩一歩近づいてくる。
「霞月」
私の真後ろで歩みを止めた彼の名を言えば、お嬢様、ともう一度彼は私に呼びかけた。
「そろそろお入りにならないと、風邪を引いてしまいますよ」
やはり、聞こえたのはいつもどおりのきまり文句、であった。
そっと濡れた足を霞月の方に差し出すと、彼はどこからか出したふわふわのタオルで私の足をぬぐう。その間霞月をじっと見つめるけれど、私の視線に気づいている筈なのに彼は何も言わない。これもいつもどおりだ。
霞月のほっそりした白く綺麗な手で、労わるように、壊れ物のように扱われると、丸で自分が何処かのお姫様のような気がしてくる。
……否、私がお姫様など厚かましく似合わないにも程があるけれども。兎に角それ程に霞月の触れ方はとても恭しかった。
私の足に付いた水滴を拭った後、霞月は私の足の甲にその唇を這わせた。ぞわり、といつまで経っても慣れないその感覚に、私は足を引っ込める。
そこでやっと霞月は私と目を合わせた。くつり、と美麗な容姿に似合わない捻くれた笑みに、思わず眉が寄る。
「やはり、お可愛らしいですね。お嬢様は」
本気で言っているとは思えないような表情に、私はつい、と彼を見下した。そうして。
「頭がおかしくなったんじゃあないの。お前」
「貴女がそうおっしゃるのなら、おかしくなってしまったのかも、しれませんね」
馬鹿にしたように言った筈なのに、少しも損なわれない機嫌に、私の方が気まずくなる。
暗い闇色の瞳は、見つめ続ければ引き込まれてしまいそうで、目を逸らした。
「もう直ぐ、歌詠みの儀が行われる時期ですね」
けれども霞月はそんなことを気にしたふうもなく、私に語りかけた。
――歌詠みの儀。それは我らが一族の力を示し神へと捧げる、儀式。
私はそれが途轍もなく嫌いであった。
神への捧げなどというのは名ばかりな、自己の力を顕示するためだけの、醜い宴。力のあるものは良い。自己顕示欲を満たすには最適な場だろう。けれども力を持たぬ弱き者にはどうにも辛い場であることは確かだった。
「私は今年も出ないのだから、どうでもいいことだわ」
それに聞きたくもない話をわざわざされるなど煩わしいものはない。
そう言った私に、霞月はまたもや笑い声をこぼした。まるで愚か、とでも言いたげに。
「ええ、確かに、そうですね。まぁそれも――」
一息ついてから言い聞かせるように、彼は言う。
――参加しないという選択肢が与えられているという、前提ありきの話ですが。
思わず逸らしていた視線を霞月に向ける。やはり、彼は笑っていた。皮肉げに口元を歪めて。
「…………どういう、ことかしら」
漏れでた声は掠れていた。思い至る答えに行き着きたくなくて、霞月を思い切り睨みつける。
そうすれば、彼はもとの上品な笑みを浮かべなおしたけれども、それでも皮肉げな言葉を口に乗せた。
「御自分でお考えになられてはどうです?」
「…………」
意味深な彼の言い草にとても腹が立って、私はつい、とそっぽを向いた。それでも彼は何も言わない。
自分に都合の悪いことなど知らなくていいのだ。そう、知ってしまえば苦しいだけなのに、態々苦しむ必要がどこにあるのか。
「霞月」
「はい、何でしょう」
「褥まで運びなさい」
動かすことが億劫な両腕を、差し出して言えば、霞月はふわりと私を抱き上げる。
僅かに蜜柑の甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
色香の漂うこの人の、白い、不気味なほど白い肌も、端整な顔も、細いけれども靭やかなこの体も。一体誰のモノなのだろうか。
あわよくば……それが私であることを願っていたい。
「お嬢様」
「……なぁに」
「お召し物は、白に致しましょう」
涼やかな顔のままそう言った彼に、私は何も答えなかった。
◇◇◇
神代家――それは帝が誕生した時代から、裏社会でひっそりと生きてきた一族だ。しかし、ひっそりとは言っても、裏社会を牛耳り表社会にでさえ影響を及ぼす程の権力を持つのだが。
本家筋と分家筋に分かたれてはいるものの、その性根の部分は大抵が似通っており、強さを持つものが崇拝されている。
そんな神代家は、『妖退治』を生業としていた。
一般人では目にすることさえ出来ない悪霊や人に害をなす妖を調伏するのだ。その際、事前に契約している高位の『妖』と連携をとり、封ずべき敵を追い詰める。
であるから調伏技術もさることながら、『妖』との契約は神代の者にとって無くてはならないことであった。
つまるところ、『妖』と契約が結べなかったものは役立たずの烙印を押されるのである。
そして神代家の本家筋、その長女として生まれたのが私だった。
けれども同時に、力がすべて物を言うこの一族の中で、私は恥ずべき『忌子』としての烙印を押されてしまったのである。
よりにもよって、最も力を持つべきである本家の者に『忌子』が生まれたことは一族にとって恥であったようで、物心ついた時にはまるで隔離されるように離れでひっそりと暮らしていた。
力が強ければ強いほど透けるような水色の髪と瞳を持つ神代家。しかし私は真っ黒な髪と目を持って生まれた。父も母も妹も、綺麗な水色であるのに。
当然の如く調伏能力は無に等しく、忌子と蔑まれる私と契約を結びたいなどという変わり種の妖はいなかった。
幼い頃だ、妹を手に引きながら私を見て「恥曝しが」と汚いものでも見るようにして、父に履き捨てられた言葉がずっと耳に残っている。
母屋がどうなっているかなど、踏み入れたこともないから知るわけはないし、両親の顔など朧げにしか覚えていない。
この寂れた離れにも使用人は霞月だけで、実質彼と私だけがこの離れで暮らしていた。
しかしこの待遇が不満かと問われれば、私はすぐさま首を振るだろう。
霞月がいるおかげで毎日が気持ちよく過ごせるし、力が弱いおかげで血なまぐさい争いや危険な場には行かなくて済む。
どれだけ一族の者たちに蔑まれ見下され噂を囁かれても、私はこの生活に満足していた。
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