図書館発、キュレーション行き

元図書館職員(司書)の怠惰な日常

お金がなくて恋愛できないのではなく、草食化して恋愛ができないのでもないよねという話

ホッテントリに若者恋愛論花盛りなのだが、若干思う所ありのため備忘メモ的に。

 

若者が草食化してお金がないので恋愛が出来ないというのは本当か - orangestarの日記

お金がなければ恋愛できない社会。 - シロクマの屑籠

 

だから私は、「経済的な貧しさ=草食化」という構図は、ちょっと単純すぎると思う。「経済的な貧しさは、それ単体では恋愛を阻害するものではない。プラスαの要因があってはじめて、経済的な貧しさが男女の仲を阻害する」あたりのほうが事実に即しているのではなかろうか。

 

シロクマ先生(id:p_shirokuma)の「経済的な貧しさ=恋愛できない」は単純すぎるというのは正しいと思うが問題はその先。

 

何が言いたいのかというと、「経済的な豊かさは失われたのに、男女交際の作法やプロトコルは、豊かだった時代の名残りを引きずっているのではないか」ということだ。

 

この指摘自体は「誤り」ではないと思う。
だが、「その先」が必要なのだとわたしは思う。
つまり、「経済的な豊かさは失われたのに、男女交際の作法やプロトコルは、豊かだった時代の名残りを引きずっている」のは正しいが、問題は何がそれを引き起こしているのかという点だ。

 

高度経済成長が終わって、全体的に昔基準に戻らないといけないのに、価値観だけがバブルってた時のままで、そして、地縁とか血縁とか実利的に必要になってきて、そういう関係性だけは強化されつつあるのに、その地縁血縁を補完する文化の部分が置いてきぼりになってしまって、歯車がかみ合わずに、男女交際という形にすすまない。それが、表面的にみると、“草食化”という風に見えているだけではないのかなあと思いました。(小並感)

 

こちらも「誤り」ではない。「その先」を考えたい、ということだ。
データを提示してもらっているで話がしやすい。
「地縁とか血縁」という表現は、「親や周囲の期待に応えられる」の項目が1987水準にもどっていることから来ていると思う。

「地元を大事にする」「親の期待に応える」というのは、ヤンキーぽいが実は中身はマジメなマイルドヤンキー像にピントが合ってるように見える。
一方「文化の部分が置いてきぼりになってしまって、歯車がかみ合わずに、男女交際という形にすすまない」というのは、シロクマ氏の指摘に重なる部分だ。

 

「男女交際の作法やプロトコルは、豊かだった時代の名残りを引きずっている」
「文化の部分が置いてきぼりになってしまっている」
…のはなぜなのか。

 

それは…
高度経済成長以降の日本に厳然として影響を持っているものは「自由主義」と「資本主義」だ。

一言で言えば、「自由」があるので、皆、自由に振る舞い結婚への義務感を感じなくなった。また、自由恋愛の時代になったので、相手に対して高望みするようになった。
(結婚した場合に「社会的信用が得られる」と考える人の割合がどんどん減っているのを見て欲しい)

 

一方、資本主義の方だが、基本的に資本主義に撤退戦はない。成長につぐ成長が資本主義の作動原理である。
すなわち G-W-G である。
したがって、消費生活に慣れた人間が、「地縁とか血縁」を大事にしたいからといって、ご近所のおばさんから野菜をおすそ分けしてもらって、物々交換で暮らすような生活には戻れないのである。
なぜなら、本当にそうなったら経済がシュリンクしてしまうから、そうならないように、資本はつぎつぎに新しい商品やサービスを繰り出して、消費者の欲望を刺激するからだ。

 

恋愛に関する消費もこの仕組みで巻き取られる。
ただ、デフレ時代の若者はバブル時代のように恋愛にお金をつぎこむことができない。
そうすると、結果「恋愛」に対して欲望を刺激されなくなってしまう。
デフレ時代はネット時代にも重なるから、今の時代の欲望のあり方は、バブル期から完全にシフトしている。

 

別にサブカル的・オタク的なものが2010年代の欲望のすべてというつもりはない。
しかし、欲望の対象としての「恋愛の商品化」はバブル期よりかなり低調にならざるをえない。
ネットやコンテンツに関する、あるいはクリエイティブな欲望は、単純にお金をかけるのではなく、違うやりかたで欲望を充足させられる。
それは資本の側からすると効率良くないのだが、デフレ時代にはそれが成功の手段となるので、やむを得ないのだろう。

 

一方「恋愛」に関する消費は、「安上がりにする」ことは絶対にできない。
ネットや作品を介さない「人対人(面直)」になると、人間は見栄を張る生き物だからだ。
これを「文化」と言い換えることは簡単である。
ただ、我々が資本に支配されている以上、この「体面」という文化を壊すのは難しい。
「男が女におごる」もその一部だが、「女性はオシャレしなければならない」もまたその一部だろう。(良し悪しではなく、我々がそういう文化に支配されていると言っている)

 

で、どうするの?
という話だが、コミュニタリアンなわたしとしては「共通善」の普及が鍵と考える。

 

コミュニタリアンリバタリアニズムのように「主体としての個人の意思決定さえあれば何でも自由」ではなく、サスティナブルな心地良い社会を作るためには最低限の共通善は守ろうよ、と考える。

 

ここで言うと、「皆が結婚しない」「子どもを作らない」社会は当然サスティナブルでない。だから、共通善に反し、Evilである。
一方、「結婚しない自由」は人権を担保するために保持しないといけない。
しかし、「結婚しないこと(離婚も含む)は望ましくない」という価値観(共通善=「徳」)は保持しなくてはならない、と考えるのである。

融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論

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