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視点・論点 「抱っこで赤ちゃんはなぜ泣き止む」2014年10月15日 (水)
理化学研究所 脳科学総合研究センター 黒田公美
私たち人間を含め、哺乳類の赤ちゃんは未熟に生まれるため、毎日お世話をしてもらわなければ生きることができません。そのため、親は授乳や保温、危険から守るなどの、いろいろな「子育て」をします。
一方で子どもも、親子関係を維持するためにさまざまな活動をしています。自分の親や育ててくれる保護者を記憶して、その人を慕って後を追いかけ、泣いたり笑ったりして意思を伝えます。こうした、子どもから保護者への積極的な活動をまとめて、「愛着行動」と呼びます。
しかしとくに小さな赤ちゃんの場合、愛着行動は、ちょっとした体の動きのような、一見些細なもので、また言葉を介さずにごく自然に行われるので、なかなか気づきにくいものなのです。そのため、まだ科学的な研究が十分に進んでいません。今日はその中で、親が抱っこすると赤ちゃんが泣き止む反応、輸送反応についてお話したいと思います。
赤ちゃんを抱っこやおんぶして歩くと、赤ちゃんが泣き止み眠りやすいことは、経験的によく知られています。例えば保育園の新入園の時期には、泣き止まない子を保育士さんが抱っこやおんぶでなだめているのをよく見かけます。
このことは、あたりまえのように思うかもしれません。ところが、科学研究としては、逆に「抱っこと子どもの泣く量の間には関係がない」という論文が多かったのです。そんなはずはないと思いまして、その頃生まれた私の次男で実験してみたところ、やはり抱っこして歩くと泣き止みやすいことがわかりました。
(ビデオ)
これは生後6か月の次男をだっこして座っている時と、抱っこして歩いている時を比較した実験です。母親、つまり私は赤ちゃんを腕に抱いた状態で約30秒ごとに「座る・立って歩く」を繰り返し、その時の赤ちゃんの心電図を記録しています。
グラフの横軸は時間、縦軸は赤ちゃんの心拍数で、この値が低いほど赤ちゃんはリラックスしていることになります。
このようにして、自分の子でまず何度も実験を行い、実験の細かな条件を調整しました。それから、実験に参加できる他の親子を募集しました。そして、生後6か月以内の赤ちゃんとその母親、12組に同じ実験を行ってもらったところ、母親が歩いているときは座っている時に比べて、赤ちゃんの泣く量が平均で約10分の1、自発運動の量は約5分の1に低下することがわかりました。また心拍数は母親が歩き始めて約3秒程度で下がります。つまり赤ちゃんを抱いて歩きはじめると、赤ちゃんはすばやくリラックスするのです。この、運ばれること、輸送されることに対する赤ちゃんのリラックス反応を、「輸送反応」と呼ぶことにしました。
なおこの実験は母親で行いましたが、父親やそのほかの保護者でも、同じようにできることが予備実験でわかっています。
輸送反応は、実は他の哺乳動物にもあります。皆さんも、のら猫の親が、こどもの首の後ろを口でくわえて運ぶ時、子猫が大人しく丸くなっているのを見たことがあるかもしれません。これはライオンやリスなどいろいろな哺乳類種でも知られています。ところがさきほどのように体の動きや泣き声、心拍数を測定して、大人しくなることを証明した研究はありませんでした。
(マウス、カップのビデオ)
そこでハツカネズミ、マウスを使って実験をしてみました。
まず、プラスチックのカップの中にマウスの子供を入れます。子マウスは自分で出ることができないので、母マウスがカップのふちによじのぼって、くわえて子供を一匹ずつ助け出します。
この時、子マウスは大人しく、手足を縮めて助け出されることがわかりました。
(マウス、PND15のビデオ)
次に、マウスの母親を真似して、人間が指で子マウスの首の後ろの皮膚を軽くつまんで持ち上げても、子マウスは大人しくなります。
この方法をつかって詳しく調べますと、子マウスは実は超音波で鳴いているのですが、人間の赤ちゃんと同じように、子マウスは運ばれている間、泣き止んでいました。
さらに心拍も低下してリラックスしていました。
これらの実験から、親が子を運ぶときには、マウスでも人でも、子どもはわずか数秒でおとなしくなり、リラックスすることがわかります。
この子マウスの体の感覚を一時的に阻害することによって、子マウスが自分が運ばれていることがわからなくすると、運ばれている間も暴れてしまう状態になります。
このような子マウスをカップの中に入れますと、母親が助け出すのにより多くの時間がかかることもわかりました。つまり子どもが暴れると、親は運びにくくなってしまうのです。
もしこれが、危険が迫っていて親が子を急いで助け出さないといけないような自然界の状況だったとしたら、どうでしょう。暴れている子は親に置いていかれてしまうかもしれません。
このことから、輸送反応は、運んでくれる親に対する協力であり、原始的な愛着行動であることがわかります。
子どもがリラックスしておとなしくしていてくれれば、親も助かりますし、結果として子どもの生存にも有利にはたらきます。つまり、親子双方にとって都合のよい、Win –Winの関係をつくるのです。だからこそ、親が子を運ぶ哺乳類には、広くこの輸送反応が備わっているのだと考えられます。
それでは、輸送反応が科学的に証明されると、実際の子育てにどのようなメリットがあるでしょうか。
例えば赤ちゃんが泣いているのが一時的な理由の場合、例えばワクチンや、大きな音にびっくりしてしまったような時なら、輸送反応を利用して、つまり抱っこして歩いてなだめてあげることによって、早く落ち着かせてあげることができますね。
しかし、もしおなかがすいていたり、どこかが痛くてないているときには歩けば少しは泣き止むかもしれませんが、止まればまた泣き出すことでしょう。
このように、親子関係や子育てを科学することによって、これまで経験的に行われていた育児の方法がどの程度有効なのかを測定して、はっきりさせることができます。子どもが泣き止まないことは親にとって大きなストレスです。子どもが生理的にどういう刺激で泣いたり、泣きやんだりしやすいのかを客観的に知ることができれば、育児のストレスが少しでも軽くなるのではないかと期待しています。
一方で、夜泣きする赤ちゃんを抱っこして歩いて、やっと大人しくなったと思って、そおっと寝かせようとすると、急にまた泣き始めてしまうことがよくあります。この現象は、輸送反応が終わっただけだと考えれば納得がいきます。輸送反応は赤ちゃんを泣き止ませるための都合のよいツールではなくて、あくまでも赤ちゃんが自分自身の生存のために備えている反応ですから、歩くのをやめればまた元の状態に戻るのは自然なことです。
赤ちゃんは泣くことで親を操ろうとしている、という考え方を聞くことがあります。もちろん、2歳くらいの子になれば、嘘なきで親をいいなりにしようと試みることはありますが、生後数か月の赤ちゃんの輸送反応は、単純に生理的な反応であって、別に悪い意図はないのです。つまり輸送反応に関する科学的知識によって、誤解を防ぐことができるのです。
そして一番大事なのは、親子関係が、親の子育てと子の愛着という、お互いの協力によって成り立つ、相互作用であることがわかります。子どもはただ子育てを受けるだけの受け身な存在ではないのです。まだ小さな赤ちゃんにできることは限られていますが、それでも、抱っこしてもらうとすぐに泣き止むことによって、実は赤ちゃんも子育てに協力しているのです。このことを意識することによって、毎日たいへんな子育てに追われているお父さんやお母さんが、少しでも報われる気持ちになってもらえればと思います。