終戦記念日対談
金子兜太さんといとうせいこうさんが「俳句」から戦争と平和を語り合います
【社会】出陣碑 ラグビー場前に一時移設 学徒の悲劇新国立継ぐ
二〇二〇年の東京五輪に向けた国立競技場(東京都新宿区)の建て替えに伴い、敷地にあった「出陣学徒壮行の地」の碑が十七日、約一キロ南の秩父宮ラグビー場前に一時移された。碑の行方が焦点になっていたが、日本スポーツ振興センターが、新競技場の敷地で保存する方針を七月に発表。元学徒は「戦争の歴史を後世に伝える一助になる。保存が決まってうれしい」と話している。 一九六四年の東京五輪のため建設された競技場の場所には、かつて明治神宮外苑競技場があり、四三年十月二十一日、学業を中断して太平洋戦争の戦場へ向かう出陣学徒の壮行会が開かれた。それまで徴兵が猶予されていた計約十万人ともいわれる文系の大学生、専門学校生らが、兵力を補うため駆り出された学徒出陣。冷たい秋雨の中、行進する姿は、戦争の悲惨さを象徴する一場面となった。 壮行会に参加した元学徒の寺尾哲男さん(91)=横浜市港北区=は当時、早稲田大三年。学生服にゲートルを巻き、歩兵銃を抱えてぬかるんだグラウンドを歩いた。「競技場はやはり特別な場所」と感慨深く語る。 碑は壮行会から五十年となる九三年、元学徒らが競技場のマラソンゲート近くに建立し、その後、碑前で元学徒の追悼式が行われてきた。壮行会からちょうど七十年だった昨年、合わせるように持ち上がったのが競技場の建て替えだった。 元学徒有志は「碑を敷地に残してほしい」と日本スポーツ振興センターに求め、政府も昨年十一月、それに沿う答弁書を閣議決定。七月にはセンターも「壮行会が行われた場所にあるのが望ましい」と結論付けた。一九年三月末の新競技場完成を目指し、今後、最終的な碑の場所を決める。 学徒出陣では、海軍航空隊員としてフィリピンに赴き、出撃したまま帰らなかった戦友も多くいたと、寺尾さんは表情を険しくする。「新競技場でも目立つ場所に置いてほしい」。出陣の記憶を次代につなぐため、碑の意義を訴え続けるつもりだ。 PR情報
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