(cache) 仮面を脱ぐとき　～ヘッドホン越しの恋～

15．All of me

　今日のミッドナイトＮＯＷを聞いてくださいって、いったい何があるんだろう。今、外出先だから聞けないんだけど、どうすれば……って、そうだった。もうＴＡＫＡさんの声は聞かないって決めたんだった。なに動揺してるのよ。

　実は澪はこの一カ月ミッドナイトＮＯＷを聞いていなかった。正確には、ラジオの前にはいるのだが、ヘッドホンを耳につけることができなかった。ＴＡＫＡさんの声を聞いたら、あの辛い思い出がよみがえりそうだったから。
　もう自分は番組から離れた人間。だから、こんなメール気にすることなんてない。……でも、伊勢谷さんがメールをよこすくらいだから、なにか特別なことがあるのかな。ああ、どうしよう。もう放送はじまっちゃってる……

　頭の中はぐちゃぐちゃで、全然整理できなかった。まるで嵐の中に投げ出されたかのように、自分自身の言葉に翻弄された。それでも、数多の言葉の中から今自分が一番気になることを必死で手繰り寄せる。それは――

「どうしたの、澪？」

　美和ちゃんの言葉に我に帰った。気づけば、澪は鞄を手に立ち上がっていた。

「ごめん、美和ちゃん。私急用ができたから、ちょっと帰る」
「えっ、こんな時間に用事？」
「事情は後で話すから。とりあえず、途中で抜けてごめん」

　切羽詰まった表情でそう言った自分に、美和ちゃんは何かを感じ取ったのだろう。微笑みながら「わかった。気を付けてね」と言ってくれた。

＊＊＊　＊＊＊　＊＊＊

　澪は夜の繁華街を駅に向かって歩いた。
　今から帰っても、絶対に間に合わない。どうしよう、ラジオを聞く手段なんて家に帰る以外思いつかない。どこかラジオが聞ける場所……
　そう思って左右を見渡した澪の視界に、タクシーから降りる人が映った。
　そっか、タクシーなら――
　澪はヒールのまま走って、タクシーを呼び止めた。客を下ろして一度閉まったドアが、再び開く。澪は走るスピードをさらに上げて、脇目もふらずタクシーに飛び乗った。

「どちらまでですか？」

　運転手さんの声に荒い息を吐きながら自分の住所を言う。一息つく間もなくスマートフォンを見ると、時刻は0時20分を示していた。

「すみません、ラジオのチャンネル、変えてもらってもいいですか？」

　快く頷いた運転手に、ミッドナイトＮＯＷをかけてもらう。ラジオからは洋楽が流れて来た。

「このチャンネルでいいの？」
「はい。ありがとうございます」

　どうして伊勢谷さんは、今日の放送を聞いてくださいって言ったんだろう。逸る気持ちでラジオに耳を傾けていると、ラストフレーズが終わったと同時に、『wake me upでした』と曲名を紹介するＴＡＫＡさんの声が耳に入った。

　あっ、ＴＡＫＡさんの声だ。

　一ヶ月ぶりに聞く声は、以前と全く変わらず甘さと硬さを兼ね備えた耳触りのいい上質の声だった。この一ヶ月聞かなかったのが信じられないくらい、その声は自然と澪の体の中に染み渡り、体を内側から震わせた。

　やっぱりこの声が好き。この声のＴＡＫＡさんが好き。はあ、これじゃあ、まったく失恋から立ち直ってない。でも、もうどうでもいいや。好きなものは好きなんだから。
　そう開き直って、澪は後部座席のシートに深くもたれた。ＴＡＫＡさんがメッセージを紹介する声を目を閉じて聞く。もしかしたら、伊勢谷さんが聞いてほしかった部分はもう終わってしまったのかもしれない。でも、そんなことはすでに気にならなかった。ただ、久しぶりに聞くＴＡＫＡさんの声を堪能したかった。

『次のメッセージは……、これにしよう。ラジオネームシュウさんからです』

　短い沈黙の後、ＴＡＫＡさんがメッセージを読みだした。

『君がいなくなってから、君の事ばかり考えています。出会いが出会いだったから、信用できなかったかもしれない。言葉足らずだったかもしれない。それでも自分のことを少しでも好きだと思ってくれるなら、もう一度会って話をさせてほしい。君のことが好きだ、――澪』

　えっ……、今、澪って。

『……彼女はこのラジオを聞いてくれてるかな。不器用な男心に幸あれ。では、今夜ラストの曲です。All of me――』

　少し硬いＴＡＫＡさんの声にかぶせるように、ピアノの曲が流れ出した。男性歌手の甘く切ない歌声がタクシーの中に響き渡る。

　Cause all of me　（僕のすべてが）
　Loves all of you　（君のすべてを愛してる）

　Give your all to me　（君のすべてを僕に託して）
　I'll give my all to you　（僕のすべてを君に捧げるから）

「お客さん、大丈夫？」

　そう言われて、はっとした。気づけば、とめどなく流れる涙が頬を濡らし、顎を伝ってぽたぽたと服に落ちていた。手で拭っても拭いきれない涙に、鞄からハンカチを取り出して拭く。すみません。そう運転手さんに謝ると、

「男ってのは案外憶病で不器用なもんだよな」

　信号待ちの運転手さんが誰に言うでもなくそう呟いた。ふいに、マスク姿で不機嫌そうにこちらを見たＴＡＫＡさんの姿が思い浮かんだ。次いで、さっきのＴＡＫＡさんの少し硬い声がよみがえる。

　――不器用な男心に幸あれ。

　もしかしたら、ＴＡＫＡさんのこと誤解してたのかもしれない。本当は――
　そう思った瞬間、タクシーの後部座席から身を乗り出していた。

「すみません、行き先変更してください」

本文での歌詞はJohn Legend "All Of Me"　を使わせていただきました。

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